11話 軋轢(2)

 ルネアの願いもむなしく、情勢は悪化の一途を辿った。これまで小競り合い程度のに留まっていた、北部と南部の境界線上の戦い。互いを嫌悪する白肌、褐色肌の者同士が激しく衝突し、多くの被害が出たのだ。

 そして、欠片を持って戦線を維持していたエルムサリエ帝国側の〈剣の神子〉が、戦闘に巻き込まれて死んだ。


 故意ではないにせよ、北部の兵が〈剣の神子〉の命を奪ってしまったことは、ダムナティオ皇帝に侵攻の大義を与える事となった。命を繋ぐ〈剣の神子の〉を奪った国に、報復を、と。




 ルネアは、王宮内を忙しなく駆けていた。普段であれば小言を投げかけていそうな騎士ジョゼフも、黙って後を追う。

「ヘラク!」

 ばぁん、と寝室の扉をあけ放ち、ルネアは叫んだ。何時も身体を悪くして寝込んでいる筈の国王の姿は、なかった。几帳面に皺が付かないよう伸ばされたシーツと、掛け毛布だけが残されていた。


「どういうこと……⁉ 何であの人は居ないの? どうやって、王宮から抜け出したというの!」

 珍しく苛つきを隠さずに、ルネアは傍らのジョゼフに問うた。ジョゼフは冷静ながら惑いを含んだ神妙な面付きで、口を開いた。


「侍従を捕らえて吐かせたのですが……どうやら、陛下御本人から口止め料を受け取り、外出を手助けしていたようです」

「口止め料って……」

 ルネアは思わず、呆れを多大に含んだ溜息を付いてしまった。ジョゼフからは淡々とした報告が続けられる。

「陛下の行き先は不明です。ただ、陛下はルネア様が留守にされている間に何者かと頻繁に文通をしていた様です。その相手と会うつもりであったと……」

「文通ね。色事だったらまだ良いのだけど。きっと……違うのよ」

 ルネアの視線は綺麗に整ったままのシーツに向けられた。開いた窓から穏やかな風が吹き込む寝室は、主を失って嫌に清潔なままだ。そして、ルネアの予感は、数日を経たのち、当たってしまうこととなる。




 南北境界線。

 イブ大陸東部の南北を分かつ戦線の南側で、ダムナティオ帝はほくそ笑んでいた。

司令部として建てられた天幕の中で、ダムナティオは人を待っている。密偵を何人も遣わせて、永妃ルネアの勢力に勘付かれる事が無いよう細心の注意を払った。数月のあいだ、信頼を得るために聖人君子のような人間を装い、文をしたためた甲斐があった。ようやく、この場までこぎ着けたのだから。


「陛下。ティ・ルフ国王がお着きになられました」

「通せ」

 兵士の報告に対し、ダムナティオがにべもなく言い放った。天幕入り口の布が持ち上げられ、ある人物が迎え入れられる。対面する瞬間から、ダムナティオの顔は柔和で物分かりの良さそうな、穏やかなものにくるりと変わった。

「ようこそ、ヘラク王。体調の優れぬ中にもかかわらず、よくぞいらっしゃって下さった」

 ダムナティオが微笑む先には、ティ・ルフ王国の王ヘラクが、青い顔をして立っていた。


「だ、だ、ダムナティオ皇帝。ようやくお会いできて光栄です」

 ヘラクは自分から歩み寄り、ダムナティオへ手を差し出した。ダムナティオの方はぴくり、と僅かに眉間の皺が震えたが、すぐに握手に応じる。先んじて用意させていた椅子に落ち付かせてから、自身もすぐ近くに腰掛ける。


「……私こそ光栄だ。以前から貴殿の聡明ぶりは知られていたし、特にティ・ルフ遺構研究の学術については私も感銘を受けた。近年、病を得てからは休まれていると聞いているが」

「え、あ、その。とんでもない……でも、とても嬉しいです」

 ヘラクは若い頃に発表した学文について評価されたのが意外だったようだが、嬉しそうにはにかんだ。一方のダムナティオは、心の底ではしたり顔をしていた。


(分かりやすい男だ。国内では目立たず、役に立たない論文の評価、承認欲求……。おまけに国政は妻に取られて自分は寝室に閉じこもるしかない。王族生まれの世間知らず、甘い言葉を囁く相手を信じて疑わん)

 張り付けた笑顔の裏でそのように考えた後、本題を仕切り出した。


「ヘラク王。文でも伝えた通り、境界線を跨ぐ門扉を開くことは了承できるだろうか? このままでは、戦争に終わりが見えん」

「あ、あ、は、はい。そうですね。大丈夫です。はやく終わらせないといけませんね」

 ヘラクは緩んでいた表情を引き締めるように顔を手で叩き、頷いた。側近の兵士になにか囁いたあと、調子の悪そうな身体に鞭打って立ち上がった。

「感謝する。私の訴えを聞き、信じてくれたのは……ヘラク、君ひとりだけだ。君は私の心の友だ」

「え、い、いや。僕は。ううん、僕もです。……絶対に止めましょうね」

 国を主導する若きふたりは大義に胸を燃やし、視線を交わして頷き合う。だが、この大儀ある人物像こそが、ダムナティオの策略だ。ヘラクの元へ秘密裏に届けさせた文の中で、彼はこう記した。


『戦争を主導しているのは私ではない。別の皇族によって嵌められたのだ』

『南北境界線の国境門を開いてほしい。両軍の諍いが頻発しているのは、この門の占有権を狙ってのことだ。開門が叶えば、講和を進めることが出来る』

『立場や私の噂もあり、信じ難いことは承知している。だが私は、栄えあるティ・ルフ王国を取り仕切る永妃陛下でなく、国を影ながら支えている貴方になればこそ、一縷の望みを掛けている』


 勿論、ヘラクといえど最初は疑ってかかり、まともに取り合おうともしなかった。しかし、ダムナティオの粘り強い交渉と真摯な文章と、普段は表に出ないヘラクの人間的魅力を事細かに褒めちぎり続けて、ついに信頼を勝ち取ったのだ。

(まあ、その信頼というのも、もう……)

 謀略を好む皇帝は、自国の兵に門を開くよう命ずるヘラクの後背を悠々と眺めていた。

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