10話 軋轢(1)
エンジとの情報共有を終えて、騎士達にはより一層注意するようにと伝達した。 本来であれば、首都トリアイナ以外にティ・ルフ王国を形成する【エルミの瞳】とグンロギの、〈剣の神子〉達へも顔を出しに行かなければならない所だ。
だが、まるで鬼が禍を引き寄せたかのように、情勢が一変したため、その予定は変更された。
それは件の卑劣漢、エルムサリエ帝国のダムナティオ皇帝が打ち出した政策方針にあった。帝国に住まう人々の肌の色──褐色肌と白肌をもとに、人種隔離政策を唱えたのだ。
白肌の人々は、明確に区分分けされた。住む地域や仕事、税金、果てには国籍や婚姻の権利までを奪われ、狭い地域に押し込まれてしまった。彼らを追いやって出来た広い領地を、白い肌の者が悠々と独占する。エルムサリエ帝国はなんと、〝
大陸南部のほとんどの国に息がかかるエルムサリエ帝国。その影響は大きい。ルネア達が住まう北部でさえ、帝国の改革の余波を恐れて、白肌の者が〝
あくる朝、王宮内でそれは起こった。ルネアが何時ものように支度を整えて寝室から出ると、部屋の前で騎士ジョゼフが、顔に大きな痣をつくって立っていた。
「ジョゼフ‼ やだ、どうしたの、その傷? こんな所で立って居ないで早く治療を……医務室に行きましょう!」
「姫様、有難いお言葉ですが私は平気で……姫様っ……!」
驚いた勢いのまま、ルネアはジョゼフの腕を引いて連行しようとする。勿論ジョゼフは断ったが、有無を言わさない態度をみて、やがて大人しく従った。二人のやり取りを聞いてか、寝室の扉が開いて、中で休んでいた国王ヘラクが、ひょっこりと顔を出す。
「
ヘラクは騒ぎを聞いて様子を見にきたようだったが、褐色人だと分かると興味を失い、寝室内へ戻った。
「……」
ルネアはヘラクの挙動に気付かなかったが、ジョゼフは国王の冷たい態度を見てしまった。一方では怪我を心配する主に腕を引っ張られ、もう一方では無関心を見せつけられる。腕を引かれながらジョゼフは俯き、神妙な面持ちで口を閉ざした。
ジョゼフの怪我は、出勤前にすれ違った白肌の住人からによるものだった。突然、褐色人であることを非難されながら石を投げつけられたのだと言う。
「別に、褐色人である事を中傷されるのは珍しいことでは無いのです。ただ、ここまで激しい態度を取られるのは、初めてですね」
「……そう……」
医務室から出て執務室へ向かう途中、そう呟いたジョゼフに、ルネアは思わず声色を小さくしてしまう。帝国の方で肌色差別が激しくなっている事は知っていたが、こんなに身近な人物が被害を被っていた、そのうえ気づきもしなかった事に自己嫌悪していた。
「……姫様。私の事などお気になされぬよう。政務は山ほどございます」
小柄なルネアに向かって、やや腰を折って意地悪に告げたジョゼフだが、その顔には慈しみに近いものがあった。ルネアが自分を心配していると分かって、気が逸れるように敢えて言っているのだろう。
「……分かってるわよ。次からは、怪我したら治療してから来なさいよ。代理の従者を立ててね」
そうと知っていて、ジョゼフの顔を見上げながら強気にルネアは返した。
「姫様! ここにいらっしゃいましたか。ご無沙汰しております」
ちょうどそこへ、やや掠れた男性の声が掛けられる。何事かとルネアが振り返ると、そこには見知った懐かしい顔があって、落ちていた表情が綻んだ。
「リシュパンス! リシュパンスじゃない。久しぶりね」
男性のもとへ近寄り、握手を求めるルネア。声を掛けた男性の方も、苦笑気味に応える。
「お変わりありませんな。母君に似て、我々のような者にも気さくに接して下さる……。かの国とは大違いです」
「当然よ。小さな頃、私を身体を張って護り続けてくれた人を、粗野に扱ったりしないわ、私は」
男性に褒められたことで、誇らしげに胸を張るルネア。
「ただ……名前を覚えるのはやはり苦手でいらっしゃいますな。私はアランです」
「やだ‼ 本当? 悪かったわ。一族皆似てるものだから……」
遠慮がちにアランから告げられ、ルネアは握手した手のうえから更にもう片方の掌で覆いつつ、弁明した。アランは、ジョゼフの父親で、先代のルネアの従者でもある。ジョゼフは代々、女王を守護する従者を務める一族の末裔だ。
(確かアランの前がリシュパンスで……その前がジョルジュよね。やっぱり一族全員おんなじ顔してて、間違えそうになるのよね。危ない危ない……)
表情には出さず、ルネアは心の底で吐露していた。彼らの一族にとっては、代々の王妃は慣習的に同じ名前でこそあるが、当然ながら別の人間だ。
だが、ルネアは代々の王妃の〈魂〉に乗り移って生きているので、全員同じ人間といっていい存在なのだ。ユリアス達と共にこちらへ来てから七〇〇年。共に過ごした人々の記憶もあまりに多く、似た顔の区別は付けづらくなっているのが現状だった。
そんなルネアの背後から、珍しく『嫌だ』という感情を前面に出したジョゼフが近寄る。顔の痣を覆った処置布を見て、アランは顔を顰めた。
「何だ、ジョゼフ。誰かと喧嘩でもしたのか? 酷い顔だな」
「……来るとは聞いていなかったです」
「献上品があってな。わざわざ倅に言う必要もないだろう」
アランから不躾な態度を取られて、ジョゼフは眉を吊り上げる。普段は従者らしい態度を崩さない彼だが、肉親のことは苦手なようだ。
(……ジョゼフは見た目違うから間違えなくていいわ。確か病気でそうなったんだっけ……)
親子が話している様子を見ながら、ルネアはまた心の中で呟く。ジョゼフの従者一族は代々金髪の人間が多い。アランも、リシュパンスもそうだ。だが、ジョゼフは長い白髪に青目という珍しい体質だった。幼い頃に罹った病の影響なのだと聞いている。目の前の二人が親子とは、とても見えない。
「姫様、帝国の件はお聞きになられましたか? 南北境界線での戦闘が激しくなっている様です。視察に出向かれる際には、どうぞお気をつけてください」
「そう……。ありがとう。すぐ収まると良いけれど……」
アランからの助言に、心の中で騒いでいたルネアは現実に引き戻される。大陸南部から起こった差別の潮流が、徐々にティ・ルフ王国を蝕み始めていた。
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