第45話 空が堕ちた日
ドラゴンが咆哮をあげると、その場の空気がビリビリと震える。
音を伝えるために空気が振動しているという、単なる
即ち、それはドラゴンの怒りだと。
相対するもの全てを滅ぼさんとする、ドラゴンの意思の具現であると。
「ドォォォラァァァゴォォォンンン――――ゥッ!!」
世界が震撼するドラゴンの意志に抗うように、『
かつて世界を制覇し、ただただ
グゥォンッ
古の巨人が、跳ねる。
大地を蹴り、跳び上がる。
人間であれば、通常1mにも満たない距離。
身体強化を施せば更に高く跳べるであろうが、それでも、例えば王城を跳び越えるほどの高さまで跳ぶことは、
だが古の巨人の筋力と、その巨大さはそれを可能にする。
上空にて――雲にも至るほどの高さより、先ほどまで見下ろしていたドラゴンへと到達する。
ドゴォォォォンッ!
見下すのは終わりだ、引きずり落としてやると言わんばかりに。
まるで太陽を掴むかのように、明星を叩き落とすが如く、古の巨人の腕がドラゴンへと伸ばされ、そして強く叩きつけられる。
さしものドラゴンでさえ、この一撃を受けてもなお平然とはできなかったのか、まるで流星のように地面へと墜落し――――
グンッ
ドゴォォォォ――――――ッ!!
だがしかし、重力に逆らうように再び急上昇し、そして砲弾のように、いまだ跳び上がり上空にいた古の巨人の鳩尾へと突撃し、突き刺さる。
「ごぉぉぁああああああっ!!!!」
悲鳴をあげたのは古の巨人であった。
咄嗟にドラゴンを跳ね除け、そのまま重力に従い地面へと着地したのだ。
ズドォォォン!!という、まるで隕石でも落ちたかのような轟音が鳴り響く。
土が、石が、岩が、平野を構成する総てが衝撃によってめくり上がり、土煙が尖塔のように柱となって立ち昇る。
一瞬遅れ、大地が鳴動し音を立てて砕け、地面が割れる。
ズゥォォォッ!!
立ち込める煙の中、しかし古の巨人も痛みに打ち震えるだけでは済まさない。
地面を深く強く蹴りつけ……土の下に存在する岩盤を隆起させ、さながら槍の穂先を立て槍衾を作るがごとく、岩盤の端々をドラゴンへと向かわせ、飛ばす。
バギバギバギ!と音を立て殺到する岩盤の刃の群れ。
例えこの場にいる王国と帝国、そしてエルフらが束になろうと数秒で壊滅せしめん攻撃に、さしものドラゴンも無視はできず、羽を払いて、それらをへし折る。
だが、その程度の攻撃では何の効果はないと、ドラゴンに傷をつけることはできないだろうと、古の巨人も理解している。
僅かばかりでも時間を稼ぐ、それだけの目的だ。
ズゴゴゴゴゴ━━━━━━━━━ッ
轟音。
古の巨人が大地の中に手を入れ……何かを掴み上げ、大地から引きずり出す。
それは一振りの巨大な剣。
それは岩の、鉄の、土の、石の、水晶の塊。
地面の底、土の下にあり大地を支えている、岩盤と呼ばれているもの。
それは太古にて、まだ人間が存在し得ないほどの太古にて、古の巨人らが振るっていた武具に他ならない。
担い手を失い、横たわり朽ち果てるに任せていたところに、幾千もの年月をかけて土が積もり、大地を形成したに過ぎないのだ。
地割れのように地面が裂け、その上に繁茂していた木々がへし折れ、山脈の麓が削れていく。
――まるで天を割らんかと言うほどの
グ ゥ ォ ン ッ
古の巨人が武具を振るう。
あまりに大きすぎ、その動きが酷くゆっくりと見えてしまうのは錯覚だろう。
剣の切っ先は、人間が振るうそれとは遥かに素早く振るわれている。
バギィィンッ!!と金属同士が打ち鳴らされるような音が響く。
ドラゴンが身体を翻し、その尾で剣を打ち据えたのだ。
傍から見れば、まるで大男が振り下ろした大剣を、女児がナイフを振るって受け止めるほどの体格差である。
しかし、古の巨人に相対するのは、最強の存在である、ドラゴン。
道理を通さず、それすらを力にて捻じ伏せる。
ギャイィィィンッ
ドラゴンの尾が振り抜かれると、堪らずといった様子で古の巨人が数歩下がる。
剣は握ったままだが、しかしその剣先はドラゴンの尾の形に抉れ欠けていた。
なるほど、その剣が古の巨人の武具だというのならば。
今度はこちらが見せてやろう。
そういわんばかりに、ドラゴン身体が光り輝く。
何か良くないことが起きる、そう咄嗟に判断した古の巨人は、決死の想いで再度、巨剣を振るいかかる。
しかし、瞬きすら惜しむほどの時間には、ドラゴンの手は既に完了している。
ドラゴンの周囲の世界が、書き換わる。
空間の一点に干渉した奇跡。
その一点に発生した非常に重力が、周囲を呑み込む。
重力は加速度的に増加し、やがて光すらも捻じ曲げられ、その進行方向が一点へと向かい始め――周囲は歪んで見え、実際に時空すらも歪曲し始める。
中性子の核の縮退圧を凌駕――重力の強さで中性子が潰れ始め、重力崩壊が発生。
そして光速を超えた引力によって光は外へ出てこれなくなり、観測不能な空間……情報伝達の境界面である、シュバルツシルト面よりも小さく収縮した存在……ブラックホールが発生した。
「――――――――――」
古の巨人が何かを叫ぶ、しかし光速を超える引力を前に音は拡散せず、しかし誰の耳に届くこともなく、古の巨人の身体は刹那の時間でブラックホールへと引き寄せられる。
潮汐力により、古の巨人の身体は細く引き伸ばされ……そして、一点に到達する前に、頑丈な珪素の身体など、まるで土くれのようにバラバラに引き裂かれるが、しかし誰の目に届くこともなく、古の巨人はただ観測不可能な空間に閉じ込められる。
そうして一呼吸にも、瞬きにも満たない刹那に、大地は抉り消え、その上の木々は根こそぎ立ち消え――空すらも重力に負けて墜ちる。
奇跡の行使が終わり、後に残るのは、まるで
そして上空を飛び、どこか憂いを帯びた表情のままに事態を観測していた、ドラゴンのみであった。
「ああ……我が神」
一人の少女は、巨人を下し、空を孤高に舞うドラゴンの姿に、ほう、と熱い息を漏らす。
まるで恋をした乙女のような仕草だが、爛々と輝くその双眸は、まるで野獣のようであった。
「どうか、お待ちください……私も、すぐにそちらへ」
その双眸に合わせるように、口を半月に歪め笑みを浮かべながら、少女は手の中の人形を握りしめる。
フェーブル伯爵を巨人へと変化させ、その力を失った聖遺物たる人形は、少女の手の中で、今はただ眠っていた。
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