第25話 大地が融けた日

静寂を破って行動したのは、大陸獣ベヒモスであった。



グゥォンン━━ッ!!


大陸獣は手近に転がる大岩を右腕で掴むと、それを大きく振りかぶり投げつける。大陸獣は四足歩行の獣なれど、五指を備えた手に、それを操る腕は人間のそれと遜色ないほどに精密の動かせるのだ。他の魔物だとは違い、物を投擲するなど造作もないことである。



バゴォン!!


まるで小隕石のような大きさと速度で投げつけられた大岩は、瞬きする間もなくドラゴンの身体に命中する。

エルフであろうと人間であろうと魔物であろうと関係なく、当然に即死させられる1打だが、しかしドラゴンの身体に傷一つなく。さらにはドラゴンは、ふんと嘆息を吐いてみせる。



大陸獣はただ、憤怒した。


もはや数えることすらも出来ないほどの昔、小さな生き物たち人間とエルフに谷底に落とされ這い上がれぬように土砂を被せられて以後、ただただ、その者らへの怒りと殺意という復讐心のみで這い上がってきたのだ。

地上に戻り、その千年単位で凝縮醗酵した怒りようやく発散できるとエルフを思うままに蹂躙していたというのに、ここに来て新たに腹が立つ相手が出てきたのである。面白いはずもない。


だいたい何なのだ、アレは?

あんな生き物、自分大陸獣が地上を闊歩していたころには見たこともない。翼の生えたトカゲのようにも見えるが、あんなものが新たに生まれてきたのだろうか?



だとしたら随分と世間は軟弱になったものだと、大陸獣は嘆息する。



大陸獣が地上を闊歩していた時代は、巨人が世界を駆け、怪鳥が空を統べ、大海魔がすべてを飲み込む、まさに神話の世界であったのだ。空を飛ぶトカゲ程度が出てくる場などありはしない。


暴力の権化のような存在たる大陸獣は、しかしその知能は高く、人間エルフらにも勝るとも劣らない。思考の回路や倫理は違えど、相手を侮蔑する事を理解して、それを自ら行うことはできる。


その侮蔑は、ドラゴンが身体を折りたたむようにして、上空から地上にいる大陸獣に向け落下の勢いを乗せつつ突進してきたことでますます強くなる。


馬鹿なやつだ、と大陸獣は考えた。

空を飛ぶということは多大なアドバンテージなのだ。大陸獣は確かにこの地の王者であるが、しかし翼はないために空を飛ぶことだけはできない。それ故にドラゴンが空を飛びながら攻撃してくる手段があるのならば少しだけであったが。自らその優位を捨てて突っ込んでくるならば他愛ない。それは重力の掟に従う獣らとなんら変わらない。

大陸獣は侮りながらも、その鼻っ柱を圧し折るべく腕に力を込める。精々この程度で終わってくれるなよと思いつつ――



ドゴォォォォッ!


突進してきたドラゴンが噛みつこうとした、その頭部の横顔に大陸獣は拳を叩きつける。

大地を砂場のように混ぜ返すその剛力が込められた拳を打ち据えられ、さしものドラゴンすら落下の勢いを止められる。

確かな手応えを覚えた大陸獣は、所詮見せかけだけだったな、と嗤おうとして……目を、見開いた。



顔面を殴打されたドラゴンが。

ドラゴンが笑っているのだ。

実に、実に楽しそうに。



そして、大陸獣の全身に悪寒が走り――



ドゴォォォォ━━━━━━━━ッ!



突然の衝撃が大陸獣を襲った。

その身体が宙に浮き、ドラゴンから離れるように吹き飛び、暫く大地と水平に飛んで、大地に接触するや否や全身をもんどり打ち、もみくちゃになりながらも、尚止まらない。まるで大陸獣のを何者かがつまみ上げているかのように、遠くへ遠くへ向かおうとする顔面に身体が引っ張られるように、平原を抜け樹海をぶち抜き山脈に叩きつけられ、ようやく止まる。



グボバァァァァァァ!!!!


身体の動きが止まってから暫くして、思い出したかのように大陸獣が咆哮する。なんだ今のは?どんなカラクリだ?……自分がとはついぞ理解できない大陸獣は、一先ずは考察を捨て去り、その疑問や身体中の痛みを憤怒に変える。

先程まで抱いていた侮蔑もすべて憤怒の燃料にし、大陸獣はその場でグッと力を全身に込める。全身が筋組織に覆われたその身体が、筋肉に漲る力を充填しているかのように膨れ上がり、そして――



ゴァア――――ッ!!


ドン!という雷が落ちたかのような轟音と共に、大陸獣が一直線に飛び出す。先程殴り飛ばされた軌跡をなぞる様に、そして殴り飛ばされたとき以上の速度を出し、瞬きする間に地表のドラゴンへと迫る。大陸獣の頭上の角、ただ一突きでドラゴンを貫き、穿ち殺さんとする為に。



ドォン!!


再度落雷のような爆音が鳴り響き、衝突の衝撃が離れた場所にいようとも伝わる。

だがそれは、大陸獣の角がドラゴンに届き刺し貫いたから……



ドラゴンがその腕で、大陸獣の角を掴み、止めたからに他ならない。



必殺の一撃となり得る自身の攻撃を容易くいなされ、呆気にとられる大陸獣はしかし、すぐに憤怒の形相を浮かべる。



ドラゴンが笑っているのだ。

実に、実に楽しそうに。



もがき、ドラゴンより離れようとする大陸獣だが、しかしドラゴンは角を掴んで離さず。

そして、その角を掴んだまま大陸獣を持ち上げ……そのまま大地へと叩きつける。

ドゴォォォォ━━━━ンッ!!という轟音とともに、土砂が、倒木が巻き上がり撒き散らされる。だがドラゴンは角を掴む手を離さず。今度は反対の方角へと大陸獣を叩きつける。

それはさながら、ぬいぐるみを渡された幼子のよう。ただそれを掴み振り回す。何度も何度も持ち上げては叩きつける。



三度、四度目まではまだ、大陸獣は怒号を上げて足掻き、逃れようと必死に動き回っていた。



十度、二十度になると、大陸獣は唸り声を上げ、しかし時折身体を強く動かし反撃の隙を狙う。



五十度ともなると、大陸獣は悲鳴を上げ始め、なんとか苦痛より逃れようと受け身をとるのに精一杯である。




そして百度を超え、大陸獣は慟哭していた。

理由は、全身がずたずたに引き裂かれ血しぶきをあげているからでも、自身がいいように嬲られているからでもない。ましてや、ドラゴンに命乞いをしたいがわけでもない。




ドラゴンが笑っているのだ。

実に、実に楽しそうに。



嗤っているのではない。

嘲笑っているのでもない。



笑っているのだ。

実に、実に。





ようやく大陸獣は、自身が敵対した相手のことを理解しつつあった。

そしてそれ故に大陸獣は、自身が敵対した相手に底しれぬ恐怖を抱いていた。


なんなのだ、なんなのだ!!



だがドラゴンは問に答えるわけでも、応えるわけでもなく。


とうとう飽きたのか、一層の力を込めて大陸獣を大地へと叩きつけると、その顎を大きく開く。


バチン、バチンと音を立てて青白く光るドラゴンの口腔を見て。

竜の息吹タキオン・ランスの存在など知らないというのに。

知るはずもないというのに。

大陸獣は。




グァァァァ―――――――――ッ!!!!



もはや悲鳴とも慟哭とも苦鳴とも取れる雄叫びと同時に、引きちぎれん勢いで腕を大地へと叩きつける。原理は知らぬ、道理も解らぬ、だが大陸獣が大地を殴打すれば、そこから割れた亀裂より熔岩マグマが噴き上がり、周囲を焼土へと変えるのだ。



全てを擲った決死にして必死の攻撃……突如噴出した熔岩がドラゴンを襲い、さしものドラゴンも驚いたのかその手を離し、そうしてできた隙に大陸獣は全力で大地を穿ち、身体が焦げようとも吹きだす熔岩に逆らう様に泳ぎ、まるで地中を這い回る虫のように、全力で大地の底へ逃れようとする。



駄目だ駄目だは駄目だ。

アレが世界から居なくなるまで大人しく静かに暮らそう、復讐はその後でも十分だ!いや、今見逃してもらえるならば数千年の間燻り続けたこの復讐心を捨てても良い!大陸獣は願った、祈った、請うた、呪った、乞うた。



そうして地中を掘り進み逃げる大陸獣だが、しかしもし今、振り返ってドラゴンの様子を確認できたのであれば。



きっと、全てを呪って泣き叫んだであろう。

どうか許してと祈ったであろう。

何故ならば。




ドラゴンが笑っているのだ。

実に、実に楽しそうに。





ドラゴンの周囲の世界が、書き換わる。


神の理物理法則に干渉し、その権能より再定義がなされる。それは本来この事実を引き出すためにトリチウムと必要な物たち重水素の存在を既存の物質で代替可能とする。

再定義された限定空間内で、ミュー粒子が物質の最小単位となる原子を構成する原子核へ作用し、核の電荷を中和。そしてパイ中間子を媒介とする核力……原子核内の陽子や中性子同士を結合する力……から、解き放たれる。


それは、世界の成り立ちへの疑義。

物質が物質であると証明することへの否定。

質量を等価のエネルギーに変えるという行為。

地上に太陽を造りだす核融合反応という結末。






竜の炎ティルトウェイト






光。

そして熱。





膨大な光が圧倒的な熱をもって、その空間を満たす。

それは冷えて固まりかけた熔岩を再び赤く熱し。

そして流れる熔岩を気化し、第四態プラズマへと変える。



光は。

熱は。



もはや絶叫し泣き叫び許しを請うて地中の中を逃げ惑う大陸獣にまで刹那に届き。

懺悔も、命乞いも、怨嗟も、怒号も何もかもを抱かせる慈悲も容赦も与えず。

ただただ、周囲の瓦礫と寸分違わず消し飛ばし、蒸発せしめた。





ああ。

ああ、見よ。


空を飛ぶ、威容の姿を。

ドラゴンを。


そして。

ああ。

ああ、見よ。



ドラゴンが笑っているのだ。

実に、実に楽しそうに。





そして、どれほどの時間が経ったか。

ドラゴンが飛び去ったあとに遺されたのは。



数刻前まで樹海であった、ぽっかりと何もなくなった

そして空にそびえる巨大な巨大な煙ときのこ雲。


最後に、ただただ神話の結末を見届け。

地に伏し頭を土につけ、ただただひれ伏すエルフ達の姿であった。

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