第26話 選択の宣言
リミュエール王国 アンファン候爵宅 ――
リュミエール王国の領土は、北を上にして✕の字を書いた4つの領土より成り立っている。それぞれに侯爵が一家ずつ付いて君臨し、その下に伯爵がついて実質的な管理運営を行う。
侯爵よりも上位の爵位として公爵家があるものの、こちらは王家というリミュエール王国の正当性……かの建国王の血を引いた子孫であるということ……を盤石とするため、王家に有事が起き血が途絶えたときに新たな王家となるための
つまりは、4つの侯爵家こそがリミュエール王国においての屋台骨であるといえ……王家にも勝るとも劣らぬ判断力や強力な
「……なるほど、良く解った」
報告は以上です、と答える冒険者ギルドの役人に労いの言葉をかけ退席させると、アンファン侯爵は目頭を揉み嘆息した。
今の彼の心境を物語るように、吐き出される溜息は非常に深く、長い。
アンファン侯爵は先の御前会議において、確かに竜の
とはいえ、相手のことも調べず、また勝敗も考えずに挑むほど耄碌はしていない。
そもそも上位貴族である以上、優先すべきは王国の繁栄であり、討伐派か
だが。
冒険者の持ち帰った情報を見れば、もはや唸る他ない。
――騎士団を派遣しても苦戦しそうな魔物の群れを睨んだだけで殺した。
――竜の加護を受けたらしいセーズ村の村人らは皆が豪傑となっており、その魔物ら相手に善戦する。
――魔物よけとして村に置かれている竜の鱗は
ざっと調査結果を見てもこれである……わけがわからない。
もはや
報告の詳細まで確認すればきっと明け方になるだろう、というのは感覚で理解していた。
信じられずに何度も読み返すという理由が半分、あまりの内容に興奮と恐怖と後悔に襲われ眠気など消えてしまうだろうという理由が半分だ。
冒険者が話を盛っている……とは考えない。
彼らは未知を既知に塗り替える専門家であり、それ故に情報の貴重さというのを理解している。
報告の内容は過小にしても過大にしてもいけない。
それ故に建国王の時代に「単位」という全ての国家で統一した長さや重さの基準を決め、それをもって報告することを義務付けられているのだ。
それ故に報告の内容は、ほぼ事実に等しい。
認めたくなくても、疑うことのできる点がないのだ。
……なるほど、調査後に月曜教会の僧、エレーヌ助祭が侯爵を訪ねてきたのも道理である。
「絶対に敵対するな」と時節の挨拶もそこそこに進言されたが、こんなものに戦など起こせるものか。
そう。
もはや悩むなどという次元の話ではない。
それどころか、頭を抱える暇もないのだ。
当然だ、この事実を確認した以上、このドラゴンに戦いを挑むなど無理無茶無謀、国や貴族や民が得られる恩恵は何も無い。
いや恩恵が無いだけで済むならば、それだけでも恩恵とさえ言える。
先の会議での前言を撤回して意見を述べねばなるまい……流石にこれを報告すれば、どれだけ私兵自慢の貴族だろうと黙るとは思うが。
とはいえ、根回しはしなくてはならない。
人間は事実や正論だけで動くわけではない。
それは自身の経験からも、よく知っている……面子で動かざるをえない人間に正論を叩きつけるのは、一時の快楽を得るには良いだろう。が、それで恨みを買うのは全く得策ではないのだ。
振り上げた拳を戻せるだけの理由を用意する必要がある。
さしあたり
冒険者から報告を受けた以上それはほぼほぼ事実だとしても……貴族が未だ一人も現地の状況を知らないのは、それはそれでマズい。
冒険者の目線と貴族の目線では感じ方も物の見方も異なってくる。
幸い報告のセーズ村はフェーブル伯爵の管轄であるし、彼に確認してもらおう、と考えたためである。
彼には正義感がある。
汚職を嫌い公平さを重視する貴族ではあるが、若さ故に血気盛んなところがある、というのが侯爵が彼にする評価であった。
既に私兵を準備しているようだとは聞いていたが……まあ、実際に派遣させるのであれば無駄にはなるまい。
討伐派である伯爵に、言葉で言っても伝わらないだろうから……自分の目で見てもらおう、そして経験を積んでもらおう、という老婆心も加えて。
◇◇◇
ダンケルハイト帝国 帝都ヴァルト 皇帝執務室――
カツン、カツンと小気味の良い音をたてながら……アインス皇帝は執務机に置かれた盤上の駒を並べ、あるいは位置を変えていく。
机上にはそれらの他に羊皮紙や繊維紙、
ここにあるどの書式も全て報告書だ……ドラゴンについての。
「……王国の領地的には、あの場所はアンファン侯爵の管轄だったか」
「はい」
「わかった、下がれアレクサンダー、大義であったな」
「はっ!」
アインス皇帝の独り言にもとれる確認に、執務室に通された男……セーズ村を訪れ調査を行った冒険者、アレクサンドル……帝国名でアレクサンダーは直立不動のまま返答し、一礼をした後に部屋から退出する。
冒険者はその職務上、様々な国家や貴族の領地を通過する必要があり、それが認められている稀有な存在である。
諜報活動をするためには非常に都合の良い身分であるのだ。
当然だがそれを利用しない為政者など存在しない。
特に神官などはフェイス教国に情報を流すだろう。
それ故に帝国も特務騎士……特別な任務を遂行する帝国の特殊部隊……を派遣していた。
特務騎士たるアレクサンダーも10年以上の月日をかけ冒険者アレクサンドルとして資格を得て立場を確保して、冒険者ギルドや雇い主である王国への報告のほかに、情報や成果物の一部を帝国に流す極秘任務に就いている。
「アンファン侯爵は……経験も知識も豊富だ、それ故に慎重に動くはずだろう。この結果を得てもすぐに大きく動くとは思えん。まずは様子見……自身は動けない。おそらく下位の貴族を派遣し様子を見に行くはず……男爵はない、信用を担保するならば子爵もなし。それならば伯爵。そうすると、しかしリュミエール王国の貴族規定第114条の動員に該当する、内部の決裁に時間はかかる筈だが……先手を取られるかどうかは賭けだな」
アレクサンダーが部屋から出た後、アインス皇帝は盤上に置かれた侯爵の駒を奥に設置し、子爵の駒を少し持ち上げたが戻し、代わりに伯爵の駒を手元に置く。
そして蝋板に数字を書き込みながら次の陣営へ目を移す。
「ドラゴンがセーズ村を発ったのは一週間前。情報は冒険者ギルドに報告。アンファン侯爵に情報がすぐに伝わったとして……多く見積もって5日間のアドバンテージは握られている。教国は、帝国と同じだろう」
アインス皇帝は蝋板に5と数字を書き込み思案する。
「そうだ。教会も知りえたのは確定。助祭と言う立場ならすぐに枢機卿には伝わらない……いや、違うな?教会規則第514条の
カツン、と月の印象が書かれた司祭の駒を手元に置く。
「コミンテルン共和国はない。この条件なら……帝国が出すべき駒はツェツィーリアか?次期継承権を持つ皇女、器量も良し……いや、ダメだ。ドラゴンが人間の女などに興味を示すものか。いや、あると仮定しても、その場合はとっくに手を付けている
と見ていい。それだけの力の持ち主だ、倫理観まで期待するのは希望が過ぎる」
皇女の駒を手に付けたアインス皇帝は、しかしその駒を手元に置かずに盤面に転がす。
「……こうなるか」
ほんの少しの嘆息と共に、アインス皇帝は別の駒を手に取り、カツンと盤面に置く。
盤面の中央に置かれている、
それに最も近い場所に、アインス皇帝は皇帝の駒を置いた。
◇◇◇
フェイス教国 月曜神教会本部――
「なぜですか!アイシィ枢機卿!」
ひっそりと静まっている教会に、半ば悲鳴にも近い女性の声が響く。
声を上げているのはエレーヌ助祭。
先の調査で冒険者の一員としてセーズ村を訪れた彼女は、冒険者ギルドへの報告を終えると同時に教会へと推参し、緊急の会合にて説明を行ったのだ。
その結果に、エレーヌは納得が出来なかった。
「なぜ枢機卿ご本人ではなく司祭が!拙僧の報告が信じられぬと?!」
「あなたの言葉を疑いはしません、エレーヌ助祭」
年齢で言えばエレーヌと大して変わらないが、しかしその敬虔さと実力から枢機卿の座をいただくアイシィ・シンデレラ月曜神枢機卿は、エレーヌの目を真っすぐに見据えて答える。
「ドラゴン様が正しく神の御業を行使されていることも。ドラゴン様の鱗が
「ならば!」
アイシィ枢機卿の言葉にしかし、納得がいかないエレーヌは言葉を重ねる。
エレーヌの報告及び進言、それらは確かに殆どが事実だと受け取られており、教国としても現状の最重要案件だと認識しているのは違いない。
そう、ただ1点のみ、エレーヌの進言は受け容れられなかった。
ただ1点。それは――
「間違いありません!ドラゴン様は!ドラゴン様は神ご本人であります!」
「いいえ、違います」
アイシィ枢機卿は、必死に訴えるエレーヌをしかし否定する。
これもまたアイシィ枢機卿だけでなく、他の枢機卿も同意見……即ち、教国としての認識だ。
七曜神自身と謁見する機会と権利を持ち、必要であれば神との質疑すらも認められる枢機卿だからこその認識である……ドラゴンはかの建国王と同じ存在であろうというのが、枢機卿の結論であった。
尚も進言しようとするエレーヌを、しかしアイシィ枢機卿は片手をあげ遮る。
エレーヌは口を数度開閉させ……やがて、口を閉ざし俯く。
教国においては、地位の差というのは非常に重い。
他国において爵位とは、その者の能力を鑑みた総合的な評価であり……それ故に事情や状況によってその差はある程度無視されることもある。
しかし、教国において地位とは神が下す評価に基づいたものである。
それに逆らうことは、自らの信じる神への否定に他ならない。
勿論それは下位のものが上位のものに意見してはならないということではないし、ある程度の無礼があったとして即座に破門される、というわけでもない。
だが枢機卿が集まり教国として決定した事項に、助祭の進言がそれを覆せる理由は何もなかった。
アイシィ枢機卿は、もはや語ることはない、と言わんばかりにエレーヌに背を向け静かに廊下を歩いていく……後に残されたエレーヌは俯いたまま、しかしその手はきつく握りしめられていた。
拳には腱が白く浮き上がり……ついには、爪が食い込んだ手の平から血潮が滴り始める。
噛み締められた歯がギリギリと音をたて、大粒の涙が床に落ちた。
そして。
双眸は爛々と輝いている。
「神がご降臨なされたというのに……なぜ……解らぬのですか……」
エレーヌは微かに、静かに、呟く。
彼女の胸元で、月曜神の印象のアミュレットが揺れた。
◇◇◇
とある森林奥――
「
「真よ、かの竜神様のお力添えがなければ我らすべてが骸を晒し……
「近習ともあろう方がそのような……!よもや将軍ともども乱心されたか?!」
「聞き捨てならぬ!よかろう、刀にて真偽をはかろうではないか!!」
「笑止!年寄りとて容赦はせぬ、引導を渡してしんぜよう!!」
「やめんか、こんの蛮人どもがァ!!!目玉くりぬいて手ェ突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろかァ?!!」
「「ははぁ!!姫様!!」」
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