第48話 信仰の侵攻

……時間は、帝国で祝宴が開催される少し前にまで遡る。






旧リュミエール王国領 セーズ村――






リュミエール王国とダンケルハイト帝国の戦争ともいえない戦争が終結し、城塞都市ブルスが帝国のものとなり、セーズ村やエルフたちが新たに住み着いた森林帯もまた帝国領……暫定的な措置で将来的にはドラゴン自治区になる予定らしい……に変わったとしても。


セーズ村で生活する多くの人にとっては、あまり関係のない話である。


いつものように、朝起きれば田畑を耕し、森の中で採取や狩猟を行い、川で魚を採る。

森の中にエルフが住み着いてからは彼らとの交流も始まり、ともに訓練をしたり、工芸品や食料品の交換取引を行ったりもしている。


とはいえ、これらの生活も確かに数年前と比較すればあり得ない話ではあるが……慣れとは恐ろしいもので、もうすっかりそれが日常と化していた。


その中で、生活が最も変化したのは他ならない、セーズ村のフォルト村長であろう。


なにせ、瀕死の重傷を負ったのだと思えば……ドラゴンの奇跡を賜り、頑強な身体を持ち若返ったのだから。




「ふう……」


軽く汗を流しながら、フォルト村長はセーズ村の中央に鎮座しているドラゴンの鱗を磨き上げていた。


元々は村の皆で手が空いたものが行っていた仕事であったのだが、若返ってからは村長が専属で行っていた。

老い先短く、あとは自身が積んだ経験をどうやって村の皆に還元していこうか、と自身の死後を見通してた矢先での若返りである。


驚きもあったが、それ以上に身体に溢れたのは歓喜と、そして感動であった。


失ってから有難さに気が付くものだ、とはよく言ったものである。


思うように身体が動き、身体の節々が痛むこともなく、食事をたくさん食べることのできる、健康的な身体。


それを再び手に入れたフォルト村長は、ドラゴンへどうすればご恩を返せるかを考えた。


結果ドラゴンに感謝するため「一日一万回感謝の鱗磨き」を行うことにしたのだ。

空拭き→水拭き→布拭き→再度空拭きという一連の流れを行うのに丸一日かかっていたのだが、最近は半日で終わるようになっていた。

身体の動きにも磨きがかかり、多分そのうちには一時間で鱗磨きできる気がしているのだ。




「精が出ますね、フォルト村長さま」


今日も鱗を磨いていた村長だったが、声をかけられたことでふと、その手を止める。

振り返ればそこには、村人を十数人引き連れてやってきた、見覚えのある女性の姿があった。



「これはこれは……


先の冒険者の訪問の時、そしてフェイス教国の使者としてやってきた彼女とフォルト村長は面識がある。

それに自身の身の上も話したのだ、忘れている筈もなかった。


「セーズ村に何か用事ですかな?それとも、ドラゴン様に、でしょうか?あいにくとドラゴン様は、帝国にいらっしゃいますが」


「帝国に?」


「ええ、帝城の舞踏会に参加すると、ミコより聞いておりますが」


エレーヌに返事をしながら、フォルト村長は内心で「はて?」と首をかしげていた。

彼女がセーヌ村を訪れてきた理由が良く分からないのだ。


フェイス教国としてドラゴンを訪問するのであれば、もっと格上の人間を連れてくるだろう……以前は司教で失敗しているのだから、それこそ枢機卿を連れてくるとか。


エレーヌ自身はドラゴンを深く敬愛している、とフォルト村長も感じてはいるが、その位階は低い。


使者としてならともかく、訪問客であるならば彼女は不適格だろう。


そして使者として……という割には、彼女以外にフェイス教国の人間の姿は見えなかった。


代わりに村の人間……男女問わず、特に中年以上の年配のものが多いが、エレーヌが彼らを引き連れて村長を訪れる理由も検討が付かなかった。



「実は、村長にご用事がありまして」


「儂に?」


肉体は若くなったが、所作や口調までは変わらず、時折年寄りのような言動を出しながらも村長は首をかしげる。

が、単なる開拓村の村長を訪れる理由……?



「それはいったい?」


「ええ、実は……」



エレーヌはそう言って深く頭を下げ、そして数歩、歩いて村長に近寄ると……一息に大きく踏み込んだ。



「がっ?!」


唐突に脇腹に生まれた熱にフォルト村長が息を吐く。

エレーヌが突き出した短剣が、フォルト村長の脇腹に突き刺さったのだ。


「何をっ!!」


「お手伝いを!」


村長の上げる悲鳴にも似た問いかけと、エレーヌが声を上げるのは同時だった。


エレーヌの後ろに居た村人たちは、一斉にフォルト村長へと飛び掛かり、その腕や脚にしがみつくようにして動きを止める。


「お前ら、いったい何を?! くそっ!離せ!!」


フォルト村長が力を籠め、腕や脚を思い切り振り回す。


ドラゴンの奇跡を賜った肉体……竜化の軌跡を受けたその身体は、人間のそれとは比較にならない剛力をその身にもたらしている。


十数人掛かりで抑え込んでいるのに、力を抜けば思わず吹き飛ばされてしまいそうなほどの力だ。


だが、特に武に優れるわけでもなく、鍛えたわけでもない。

人間が十数人掛かりで挑めば、村長の身体を一時的に抑えることくらいは、不可能ではないのだ。


「すみませんフォルト村長さま。あなたの身体に流れたドラゴン様の奇跡の力……それを、この聖遺物アーティファクトに移したいのです」


そういってエレーヌが見せるのは、先にフェーブル伯爵が古の巨人ヨトゥンへ変貌するために用いた聖遺物の人形。


意味が解らない、という表情を浮かべる村長に、エレーヌは語り掛ける。


「聖遺物というのは仕組み自体はとても単純シンプルなのです。この人形は、奇跡を貯めて、にその奇跡を施すためのもの」


人形を手に、エレーヌは微笑む。


「この人形に収められていた『巨人化』の奇跡は行使され、空っぽになりました。ですから、ここの中にドラゴン様の奇跡を収めることが出来るのです」


「まさか!儂からドラゴン様の奇跡を、奪おうと……!」


「奪うとは人聞きが悪いですよ、ただお借りするだけです……が」


血に濡れた短剣を手に、エレーヌは微笑む。


双眸を爛々と輝かせ、口を半月に歪めながら、微笑む。



「奇跡がフォルト村長さまに施されている以上……奇跡のみを抽出するには、フォルト村長さまの命が邪魔になりますので……」



短剣を持つ手が、振り上げられる。

フォルト村長の悲鳴が、短くセーズ村に響いた。

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