第44話 絶死の空下

リュミエール王国及び、ダンケルハイト帝国領土間緩衝地 グラウ平原――




「……なんだ、あれ?」


その声を発したのが、劣勢を強いられている王国の兵士であったのか、味方の快進撃に呆気に取られていた帝国の兵士であったのか、竜牙兵カドモスナイトであったのか、それともサーモ伯爵とヤマト将軍の一騎打ちを観戦していた森人エルフのものだったのかは解らない。


だが、声につられて何人もの人間が視線を戦場から外し。

その後さざめきのように広がる困惑の声にあわせて、そちらの方を見る者たちは徐々に増えていった。



戦場の向こうから、人間のようなものがやってきている。



人間のようなもの、といっても、その造形が可笑しいわけでは無い。

頭があり、腕が2本あり、足が2本あり、直立歩行してこちらに向かってきている。


ただ驚くべきは大きさであった。

まるで空高く、天空にさえ至るのではないかと思われるほどの背丈の人間が、こちらに向かってきているのだ。


いつからそこにいて、いつからこちらに向かっているのかは分からない。

しかし、思わずその場に居た何人かが自分の頬をつねり、あるいは隣にいた人間の頭を殴りつけても光景が変わらないことを確認し、これが夢ではないことを確信した。



「『古の巨人ヨトゥン』!!」


最初に反応をしたのはエルフだった。

戦の一切を休止し、巨人を睨みつけ、弓を構える。


他の兵士たちはここで初めて、あれが巨人であることに気が付いた。


それも無理はない話だった。

巨人という存在は知っている……人型で大きな体躯の魔物であると。

だが人間が知っている巨人というのは、最大でも5~6mの存在である。


巨人は人間とは干渉せずに独自の集落で生活しており、ときおり国の末端の開拓村で諍いがあり襲撃事件が発生する。

この場にいる兵士の中には、巨人の討伐に参加経験のある者もいる。

だからこそ、天高くそびえる体躯の巨人など見たことも聞いたこともなかった。


そう、この場ではエルフしか『古の巨人ヨトゥン』を知っている者はいない。



ドォンッ!!



地面が揺れる。

思わず踏鞴を踏む兵士たち。


地震か?と呟く者もいたが、そうではない。

古の巨人ヨトゥン』が、こちらに向かって駆けだしてきたのだ。

そのせいで大地が震えているだけに過ぎない。


ずしん、ずしん!と轟音とともに大地が揺れ、そしてその巨大な身体が迫ってくる様子を見れば、『古の巨人ヨトゥン』のことを知らない兵士たちであったとしても、「アレが安全な存在なのかどうか」くらいの区別はつく。


その姿が近づくにつれて、時間が経つにつれて徐々に鮮明になり、その山脈もかくやと言わんばかりの体躯が迫りくれば、疑問は確信になり、疑惑は恐怖になる。


王国も帝国も関係なく兵士らは後ずさり、そればかりか指揮官すらも及び腰で、じりじりと後退する。

やがて一人が耐えきれなくなり逃げだせば、それを止める指揮官すらも併せて逃げ出し、その場から脱出しようとする人間たちで戦場は混乱に包まれた。



「…………」


そんな人間たちの背を、エルフたちは苦々しい表情で見送っていたが、ふとヤマト将軍の隣に立つ人間……サーモ伯爵の姿を認める。


「サーモ伯爵、そなたは逃げぬのか?」


「今更逃げても間に合う気がしないしね、それに王国兵士も散々やられているし、ここで巨人からも逃げたら詰め腹確定だよ……それなら、やるだけやってみようかな?」


「その心意気や、ヨシ!」


ニイ、と笑うヤマト将軍だが、その表情は「む!」という声と共に引き締められる。


「竜神様!」




戦場へと駆け寄る『古の巨人ヨトゥン』に向かい、上空を飛んでいたドラゴンは一直線に突っ込んでいった。

ドラゴンの身体も人間やエルフよりも遥かに大きいが……しかし『古の巨人ヨトゥン』のそれとは比較にならず、さながら玩具のよう。



ドゴォォォン!!



まるで、空から大岩が墜ちてきたかのような轟音が鳴り響き、少し遅れて、轟!と衝撃が風となり周囲を吹き飛ばす。

エルフやサーモ伯爵がそれに耐えて様子を見れば、突っ込んだドラゴンの拳が『古の巨人ヨトゥン』の胸を打ち据えていた。



ズドォォォン!!


「ああ?!」


しかし、『古の巨人ヨトゥン』はそれを意に介する様子もなく、自身の懐に飛び込んだドラゴンを掴み、そして地面へと叩きつけたのだ。

その衝撃で、まるで水のそれのように土の柱が立ち昇り、思わずといった様子でエルフより悲鳴が上がる。


「竜神様?!……ぬうっ!!」


グッ……


同じく声を上げるヤマト将軍であったが、すぐにその表情を引き締める。

古の巨人ヨトゥン』が地面に手を伸ばし、土を掴んだのだ。


……いや、単なる土くれを掴んだとは言えまい。


巨人の掌の大きさを鑑みれば、それは王国の大貴族の屋敷の庭の広さにも匹敵する。

掴んだそれは単なる土だけに及ばず、地中の岩石を多分に含んでいた。


「いかん!身構えよ!」


グゥォンッ―――……!


ヤマト将軍の号令が響くや否や、『古の巨人ヨトゥン』は手にした土砂を投げつけてきた。

様々な土に石くれ……大きなものであれば馬車ほどの大きさもあるそれらが、『古の巨人ヨトゥン』の剛腕をもって投げ飛んできたのだ。


握りこぶしよりも小さな石すら、頭部に打ち付けられれば人は死ぬこともある。

それよりも大きな石くれを、いわんや、人間が投げるよりもはるかに強く、大量に、広範囲に投げつけられれば――この場で逃げ惑う、王国や帝国の兵士らがどれだけ死ぬか、見当もつかない。


「秘剣――」


ヤマト将軍が弓を捨て、刀を腰だめに構える。

息を吐き、目を閉じ……歯をくいしばり、数呼吸の間その態勢を維持する。

そして投げつけられた土砂が、ついに到達しようとした瞬間、目を見開いて刀を振るった。






――居合術とは、エルフの武士もののふにとって基本となる技術である。

侍刀エルヴンソードを振るい、眼前の敵を両断する。


つまり侍刀が振られたから、モノが切断されるのか?

それは違う、とヤマト将軍は考えた。


斬る、斬り捨てるという意志によってモノは斬られると考えたのだ。

侍刀とはあくまで物質であり、手段であり、手法である。


侍刀を振ったから、モノを切断するのではなく。

モノを切断するという事実を確実とするために――侍刀は振られるのである。


これが、ヤマト将軍が数千年を生き、往き、今は亡き大陸獣ベヒモスに一太刀を浴びせるために編み出した剣技。

ただを現実に落とし込む、日属性の複合大魔術――『散華ヴィンディケイト』だ。




ギィン━━━━━━━━━ッ


澄んだ音と共に、致命の土砂の全てが失速、そして悉くが斬り飛ばされた。

土砂の大小の違いなく、ただただ全てが斬り落とされる。



「ガハッ!!」


ヤマト将軍は吐血しガクりと膝をつく。

奇跡にも至る魔術の行使には、集中力も魔力も体力も、自身の全てを注ぎ込まねばならない。

さしもの古強者といえ、身体にかかる負担は生半可なものではない。


「将軍!!」


声をかけ、サーモ伯爵が手を差し伸べる。

すさまじい一撃に感嘆を隠せない、しかしサーモ伯爵の表情は苦いままだ。


なにせ、『古の巨人ヨトゥン』の一撃をただ一度、防いだだけに過ぎないのだ。



「くそっ、もはやこれまでか……ッ!」


「どうすれば……」


血を吐いても、『古の巨人ヨトゥン』を睨みつけるヤマト将軍。

古の巨人ヨトゥン』は、自身の一撃を止められたことにいら立ちを隠さぬ様子で、再び地面に手を伸ばし土を掴む。

次も防げる自信は、ヤマト将軍にはなかった。




ドォン!!!



だがそれに、応えるように、答えるように。


土に打ち付けられた影が空へと飛び立つ。



巨悪を貫く牙。


万敵を砕く顎。


悪辣を引き裂く爪。


空を覆い隠さんとする翼。


燃えるように輝く赤銅色の鱗。


悪しき物全てを睥睨する黄金の瞳。



ドラゴン。




その身体に金色の光を纏わせ、まるですべてを守り、まるですべてを滅ぼさんと言わんばかりに。



ドラゴンが、再臨す。


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