第36話 慟哭の王国

リュミエール王国 王都リュミエール 王城内会議室――




巨大な机に居並ぶ王国の貴族たち……領地運営を取り仕切る伯爵位以上の貴族らが全員居合わせているこの場は、しかしその人数を感じさせないほどにシンと静まり返っていた。時折聞こえるのはため息、あるいは頭を掻き毟る音、それとも咳払いか。



「……特別遊撃兵エスカドロン・ヴォランより報告があった」



もはや物理的な圧さえ感じるほどに重苦しく、静寂が漂っていた会議室を、ユーネ・ロワ・リュミエール王太子の凛とした声が響き渡る。


ザッ、という音が鳴り響いた。


この場に居た貴族ら全員が王太子の方に首を向け、そして姿勢を正したからだ。


まるで徒手体操マスゲームのように揃った動きではあるが、これはリュミエール王国の貴族らが王家に忠誠を誓っている、という理由がである。


もう半分の理由は……少しでも事態の好転を願い、もたらされた情報に期待を寄せていたからである。


だが、王太子の表情を見て貴族らは内心で、深く深く嘆息する。

どう見ても吉報がもたらされたようには見えない、むしろ……。



「……悪い知らせニュースと、とても悪い知らせと、すさまじく悪い知らせだ」


もはや王太子の御前であろうと我慢できず、幾人かの貴族が思わずと言った様子で溜息を漏らす。


仮にも王の名代として出席している王太子の前での不敬だ、本来であれば咎められる場面ではあるが……ここにいる貴族の誰もが、そして何より王太子自身が「仕方がない」と思っている。


そんなことで揚げ足取りをする余裕もなかった。


「まず悪いニュースだ……ダンケルハイト帝国より宣戦布告があった。内容は、城塞都市ブルスの帰属について……そして」


王太子の口から聞かされる言葉は……正直なことを言えば多くの貴族にとって「予想通り」であった。

城塞都市ブルスの領有を巡り、帝国と争うのはこれで1度や2度ではない。


今でこそ大人しいものの、過去にはフェイス教国やコミンテルン共和国とも戦争したこともあるし、酷い時にはいつの間にか軍事同盟を組んでいた、帝国と共和国が同時に攻めてきて二正面作戦を強いられたことすらある。


「停戦協定が切れればすぐにでも帝国は宣戦布告してくるだろう」というのは協定を結んだその会場で既に話されていた内容だったのだから。


だが、今回はそれで終わらなかった。


「そして、フェーブル領……セーズ村とその一帯の森林地帯。王国の国境沿いの北部の帰属についてだ」


ざわ、と俄かに会場が色めき立つ。


貴族らの視線が、そのセーズ村を有するアンファン候爵へと集まるが、侯爵はただ苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべるほかない。


だが一方で、首をかしげる貴族もまた存在した。


フェーブル伯爵……そのセーズ村について管理・運営を行っている責任者……の姿が見えないのだ。

伯爵位であればこの会議には参加する資格があり、また参加して然るべき状況である。


貴族位を頂戴している以上、国王名で行われる会議とは何よりも優先する義務ノブレス・オブリージュなのだ。

例え親族が危篤で今にも命を落とすような状況であろうと出席せねばならない。


「次に、とても悪い知らせだが……かのドラゴンとフェーブル伯爵との間で戦闘が発生した。伯爵は敗北し潰走……いや、した。ドラゴンには全く手傷を負わせることもできずに」


続くユーネ王太子の言葉に、貴族らは息を呑む。


伯爵位の持つ兵力と言うのは、男爵や子爵のそれとは異なる……領を運営するにあたり、不測の事態に対応するためにそれ相応の兵力を持つことが認められているのだ。


つまり伯爵が戦をして鎧袖一触であしらわれた――これは、ここに居る貴族ら、それこそ伯爵より上位である侯爵のもつ兵力もまた、単純に戦っても敵わないことを意味している。


「ユーネ殿下……付け加えるならば、フェーブル伯爵らとその部下は、我が館の前まで。兵も騎士も関係なく、潰れ拉げて臓腑をばら撒いたのです……助かったのは、伯爵のみでした」


集団で襲い掛かればいいのでは?という疑問を抱くものも僅かに居たが……それは顔を両手で覆って俯き、泣いているようにも怒りを隠しているようにも見える、アンファン侯爵の言葉を聞き、そんな都合の良い考えは霧散していった。


セーズ村からアンファン侯爵の館まで飛ばされた?人間が?という疑問と恐怖だけが満ち溢れる。


「……そして、すさまじく悪い知らせだが」


貴族たちは大きく息を吸い込み、そして静かに息を吐きだして、僅かにでも落ち着こうと試みていた。次の言葉に耐えるために。



「かのドラゴンと、そしてエルフがダンケルハイト帝国が縁を結んだ。友人として帝国を訪れたらしい」



呼吸の音だけが、しばらくの間響いた。




リュミエール王国 王都リュミエール 王太子私室――



御前会議が終わり、戦争に備えるよう指示された貴族らが帰路につく。

だが、2人の貴族は内々にユーネ王太子の元に呼び出されていた。


宮廷魔術師でもあるオーキツネン公爵、戦上手として名高いサーモ伯爵。


半ば教育係としてユーネ王太子と共に行動するオーキツネン公爵はともかく、サーモ伯爵とは公の場では接点はない。

が、その才覚を買ったユーネ王太子は、彼を次期側近として捉えていた……ユーネが王になった暁には、軍務の大臣の座を与えられる予定だ。


「しかし驚いたな、もっと阿鼻叫喚な状況を……それすらも悲鳴に消えることになるかと思ったが」


「……皆、覚悟しておりましたので」


貴族らの内心を代弁する様に、すこし自嘲気味な笑みを浮かべつつもサーモ伯爵が口を開く。


「さて、もうはっきり言ってしまうが……今回の戦争。戦わずして城塞都市ブルスを帝国にあけ渡すつもりだ。そのことに異論あるか?」


ユーネ王太子の言葉は、驚くべきことであった。


宣戦布告をされたにも関わらず、槍も剣も交わさずに都市を譲り渡すなど言語道断だ。売国奴の誹りを受けても不思議ではない。

もし、これをただの貴族が語ったのならば、時と場合によっては処刑さえされかねない。


だが、この場にいる2人はそれを罵倒することもなければ、失笑することも、たちの悪い冗談だと笑い飛ばすこともない。


王太子の前代未聞の発言を、しかし真摯に受け止め、考える。


「……まったく戦う素振りすら見せなければ、貴族は勿論のこと……村に住む領民らが納得しないでしょう。領民らはドラゴンの詳細までは知りません、いかに強大な存在とはいえ王国の精鋭が集まれば勝てると思っているかもしれません。事実、私たちも直接見たわけでは無く、あくまでも破壊された城塞都市の跡を見たり、全滅した伯爵の話を聞いただけですから」


サーモ伯爵の言葉にユーネ王太子は眉を顰める。


「それに、ここで戦うという姿勢ポーズさえ取らなければ、もし有事の際に……自分たちの住む村や町が戦火に包まれる可能性があるときに、見殺しにされるのではないかという懸念が生まれましょう。そうなれば、王国を捨てて帝国に寝返ろうとする者たちが出るのではないかと」


オーキツネン公爵がサーモ伯爵の言葉に続くことで、ユーネ王太子は「ううむ」と唸る……あり得る話だ。


貴族は王家に忠誠を誓ってはいるが、それは有事の際には王家として旗を振り共にあろう、という有り様に敬意を払っているためだ。


勝てそうにないから逃げよう、などと言うリーダーには、誰もついていかない。


仮にそれが正しい選択だとしても、領土を割譲するよう要求された貴族はそうは思わないだろう。

王家の権威は失墜する。


「……少なくとも『勇敢に戦ったが敢えなく敗北した』という建前ストーリーが必要であるか」


「被害を抑えるように動きましょう。もはや勝ち負けの問題ではありません。どうすれば被害を抑え綺麗にを考えるべきです」


「仕方あるまい、このような報告を聞いてなお、ドラゴンに挑もうなどと言う気は起きないからな」


ユーネ王太子の声色は静かだが、しかし怒りを湛えているようにも見えた。何でこんなことになったのだという思いが頭をよぎる。


「……そういえばセーズ村はフェーブル伯爵の土地であったか」


「はい……フェーブル伯爵は、命こそ助かりましたが重傷を負っており……今はアンファン侯爵の館で治療を受けているとのことです」


ユーネ王太子の言葉に、オーキツネン公爵が答える。

が、その言葉の端に潜んでいた悪意を、サーモ伯爵は見逃さなかった。


「ユーネ殿下、フェーブル伯爵を処罰するのであれば、その後のことを今一度お考え下さい」


「……一体なにをだ?」


もはや怒気を隠さないユーネ王太子を見たサーモ伯爵は、少し嘆息する。


苛立ちを募らせるユーネ王太子だが、しかし年齢も経験もサーモ伯爵の方が上だ。

もともとサーモ伯爵を側近としたのは、美辞麗句を並べる貴族などよりも、たとえ相手が上位者であろうと実用的な話を持ち出せるサーモ伯爵の姿勢を気に入ったからでもある。


「フェーブル伯爵はこの度、何一つ


サーモ伯爵の言葉に、オーキツネン公爵も頷く。


フェーブル伯爵は確かに、これほどまでに強大な相手であるドラゴンに戦いを挑んだ……端的に言えば敵対したのだ。


ドラゴンが王国に対しどのような感情を持っているかは解らない。


だが……少なくとも自らに弓引く相手に対し良い感情は持たないであろう。


王国はドラゴンと事を構えるつもりはなかったのに、勝手に行動したせいで……と捉えるのであれば、なるほどフェーブル伯爵を処罰しなければならなくなる。


だがそれは、飽く迄もの話だ。


そもそも今回の一件、フェーブル伯爵は王国が決めた法に則り行動している。


アンファン侯爵の指示を受けセーズ村を訪問、そして村がドラゴンより受け取った鱗を回収しようとした、というのは何の違法行為でもない。


村へ贈られた物を村の所有物であると認めてしまうと……例えば帝国は国境沿いの村に賄賂を贈り戦争の際に裏切らせ有利に事を運ぼうとするだろう。


なんなら戦時中でなくても「帝国への帰属」を訴えだすかもしれない。


あるいはその逆に有害な魔術具などを持たせることで、開拓村を滅ぼし国力を削いでくるかもしれない……歴史を紐解けば過去に建国王が敵対国に対して行っていたらしいので、一概に考えすぎだと笑い飛ばすこともできない。


そういった理由から村の所有物は領主に権利があると定められているのだ。


竜の鱗を王都に持ち込もうとしたのも……ドラゴンの情報を少しでも集めようとしていた王国にとっては、まさに必要な行為であった。


村長が斬られたのも当然だ……そもそも人に飛び掛かれば、これが相手が貴族でなくとも、それこそ村人同士であっても反撃されようと文句は言えまい。

それが貴人であれば猶更である。追い詰められた村長があの場で伯爵を暗殺しようとしたかもしれないのだ。


フェーブル伯爵は、なるほど公正で公平な人物である。

それ故に、相手が規格外イレギュラーすぎて裏目に出てしまった。


「フェーブル伯爵を処罰……例えばドラゴンの見ている前で処刑するとか。そうすればドラゴンが溜飲を下げてくれるかもしれません。それは大きなメリットです」


サーモ伯爵が右手の人差し指を立てる。

「その代わり」と言いながら、彼は左手の人差し指を立てた。


「王国の法や規則に何ら背いていないフェーブル伯爵への処罰は、他の貴族が間違いなく絶対に動揺します。特に法をしっかり守っているまともな貴族こそ嫌悪感を抱くでしょう。王家のさじ加減で処刑される、と表明するに等しい」


「しかし、ドラゴン相手に――!」


「当時は、ドラゴンをそこまでの脅威だとは見抜けていませんでしたからな……それにいくら相手が強大とはいえ……約束事をちゃんと守った結果、敵対したのだから詰め腹を切れ、というのは道理が通りません」


ユーネ王太子は拳を振り上げ……震わせながら、それをゆっくりと自身の膝に落とした。大きく息を吸い込んで、吐き出す。


とはいえ、ユーネ王太子の言葉ももっともなのだ。

法としてはお咎めなしにしなければ可笑しいが、しかし時にはそれを捻じ曲げ、無辜の人間を罪人にせねばらない。


政治とは綺麗ごとではない。


しかし、他人の正義を踏みにじっても上手くいかないのであれば。

王家や貴族は責任を取って首を差し出さ処刑されねばならないのだが。


それを言うのは流石に憚られるため、サーモ伯爵は無言のままユーネ王太子の言葉を待つ。


「何かしら納得できる理由で……可能な限り、穏当に済ませつつも……きちんと処理した、というポーズをドラゴンに見せられるだけの処罰にせねばならないか。あとは、ドラゴンが戦場に来ないよう祈るしかないと」


「……私の予想ではドラゴンは、戦場には来ない気がしますが」


「予想?何か知っているのか?」


「いえ、戦場の勘のようなものです」


サーモ伯爵の言葉に「なんだそれは」とユーネ王太子は疲れたような表情を浮かべる。


いずれにせよ、戦争の準備はしなければならないのだ。

これからのことを考えると、ただ只管に頭が痛い。






そんな、混乱の最中だったことも理由だろう。


アンファン侯爵家で治療を受けていたフェーブル伯爵が失踪した、という報告をユーネ王太子らが耳にしたのは、まさに戦争が始まる直前になってからであった。

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