第39話 信仰の新興

コミンテルン共和国 ナロードニキ宮殿 主執務室――



コミンテルン共和国の代表を務めるアレクセイ・リエフ総書記は、今日も執務机デスクの上に山積みに置かれた書類を前に決裁に追われていた。


とにかく堆く積もった書類の山を見るだけでもウンザリするというのに、執務室のドアの前では決裁書類を抱えた事務官が列をなしている。


「もう、いっそ戦争しちゃおうかな……」


アレクセイは物騒なことを口走りつつ目を閉じる。


戦場は良い、特に自分のような獅子ライオン人は戦っている時こそ至福を感じる性質の持ち主である。


空想の中で戦場を駆け巡っている間は頬が緩み、自慢のたてがみもまた総毛立っていた。


「閣下、このままでは今日までに終わりませんよ」


「わかっとるわ」


アレクセイ総書記の側近であり、執事である羊蹄人のイワン・アフツァ同志の言葉に目をくわっと開け、アレクセイは再び仕事現実へ引き戻された。


覇気をまとっていた鬣もしゅんとなり、まるで萎んでしまったようにも見える。


そうして数時間をかけて執務机の上が空になったところで、アレクセイは一服を取っていた。


紅茶にたっぷりのジャムを流し込み、それをゆっくりと味わって飲むのがアレクセイの最近のお気に入りだ。当初こそは熱い紅茶を飲んで舌を火傷するわ、そもそもお茶なんぞ獅子人たる自分が飲めたものか!などと思っていたが、執務の疲れを癒すにはコレが一番である。


「兎跳人と亀甲人の喧嘩はどうにかならんのか……もう自分たちでも覚えてないくらい昔のことで仲違いしよって、仲裁する身にもなってみろというのだ」


「しかも閣下が仲裁して落ち着いたかと思ったら、こんどは兎跳人と鰐顎人が喧嘩をし出して、亀甲人も再度ぶり返しましたからな」


「ほんとにこの国、蛮族しかおりゃん……」


アレクセイは頭を抱える。

コミンテルン共和国は多種多様な獣人を抱える国家である。

様々な種族からなっているため、実体としては連合国に近い。

各種族が自分の得意分野を仕事として、それぞれの成果物を平等に国民に分配する……かつて建国王が語った「理想的な国家ゲームとかだと強文明」の概念を聞き、自分たちなりにアレンジして運用している……元々、産まれにより得意不得意がハッキリと分かれる獣人にとっては、これはかなり有用な政治形態であった。


とはいえ、問題は山積みだ。


同じ獣人とはいえ、種族間でのわだかまりや遺恨というのは今でも根付いている……どころか、たまに紛争大きめの喧嘩が起きる程度には表面化している。


食文化の違いもある……肉を主食とする種族、穀物や野菜を主食とする種族、魚を主食とする種族と様々なため、食糧生産や備蓄の舵取りが難しい。


また頭脳労働が得意なものがそう多くない……もとより、獣人は身体を動かすことの方が得意な種族だ。それ故に第一次産業農業や採掘第二次産業工場勤務のような肉体労働は非常に人気があるのだが、事務仕事とか書類仕事は恐ろしく不人気なのだ。


そのせいで、獣人としては聡明な頭脳を持つアレクセイは、本人の意思にかかわらず国のトップに召し上げられ、こうして書類と格闘している羽目になっている。


「そういえば、ダンケルハイト帝国から戦争の話がありましたな」


イワンの言葉にアレクセイは頷く。


「いいなあ、我が国も参加できないか?」


「犬歯人と猫目人が喧嘩紛争していなければ、それもよかったでしょうが」


「どうせそっちを収めたら、今度は鯱尾人と海驢人が喧嘩するんだよなあ」


はあ、とアレクセイがため息をつく。

万事がこうだ。必ずどこかで騒動が起きているため、外征などする余裕は一切ない。


帝国と同盟を組めたのは本当に良かった、とアレクセイは思った。

食糧生産に不可欠な肥料を安価に売ってもらえるおかげで相当楽が出来ている。

胃袋を他国に握られているのは、正直なところ国家としては落第なのだが……そう言えるのもまだ首が回せるからだ、いずれ解決すべきだが今は甘んじるしかない。


「武官の観戦くらいはさせてもらいましょうか?」


「じゃ、私が行こう」


即答するアレクセイに、イワンは「はあ」とため息をつく。

とはいえ止めはしない。執務漬けで相当ストレスが溜まっているだろうし、偶には休息も必要だからだ……戦いが娯楽とは、獅子人も難儀な性格をしているのだなあと、羊蹄人であるイワンは思った。





リュミエール王国 フェーブル領 僻地――




道のない道を、一人の男が歩いていた。


男が着ているのはしかし旅装束ではなく、貴族が身に着ける質の良い部屋着のようであり……泥や血にまみれている。

血は、魔物か何かを倒した返り血など……ではないのだろう。

その証拠に男の身体には布地包帯が巻かれており、所々血がにじんでいた。



男……フェーブル伯爵は、荒い息を吐きながらも歩みを止めず、背丈の高い草をかき分け、ただ突き進む。


フェーブル伯爵は、目を閉じれば、今でも鮮明に思い出すことができた。

自身の腹心として付き従う騎士シェイヴ卿に、有事の際には頼りになる私兵団たち。


あの時、ドラゴンの力によって空を飛ばされたフェーブル伯爵は、ただ死を覚悟していた。

しかしフェーブル伯爵は、裂傷や打撲こそあれ大きな骨折もなく、気が付けばアンファン侯爵家で治癒師ヒーラーの治療を受けていた。


しかしそれは、フェーブル伯爵自身に何か特別な力が宿ったわけでも、神が慈悲を示し奇跡を起こしたわけでもない。


伯爵と一緒に飛ばされた、シェイヴ卿や兵士たちが、自身の身を顧みずに魔術や身体強化を施した自らの身体を使って、伯爵だけでも助かるようにと尽力した結果である。


彼らの忠義に応えねば、そう意気込んでいたフェーブル伯爵であった。


だがフェーブル伯爵にも当然だが耳があり、目があり、そして貴族として伯爵位をいただくほどの頭脳がある。


自身がどのように言われているのか、どのように噂されているのかなど、すぐに知れた。


口さがない者など何処にでも、いくらでもいる。

それは侯爵家のメイドであったり、御用聞きにやってくる商人たちであったり、あるいは貴族であったり、ここに来るまでの間にすれ違った民の話であったり。


自分のことを「愚か」と称されるのは、許すことが出来た。


「フェーブル伯爵はドラゴンに挑み敗れた軟弱者だ」と言われるのも、「ただ一人わが身可愛さに、部下を犠牲に生き残ったのだ」と聞けば、反論こそしたいものの客観的には事実であった。


それを咎めるつもりはなかった。


しかしシェイヴ卿や私兵らを、忠臣たちを馬鹿にされるのは我慢ならなかった。

「犬死に」だの「国を危機にさらした愚か者」などと、彼らの名誉が傷けられることを赦せるほど、フェーブル伯爵は鈍感でも薄情者でもなかった。


国は侮られたら負けである。

侮られたのなら、侮った相手が死に絶えるまで全て殺さねばならない。


それは貴族でも同じだ。


内心で軽蔑するのはいいだろう、自分もそうであった。

しかし、それを口から出したのであれば、それまでだ。


汚された名誉は回復せねばならない。

侮辱した代償を払わせねばならない。



「帝国め……王国め……!ドラゴンめ……!!」



必ずを、ぶち殺さなければならない。




フェーブル伯爵は、ただ歩いていく。





フェイス教国 審問の場――




7人の枢機卿が座る円卓。

議場は重苦しい空気に包まれていた。


誰もしもが口を閉ざし、目を伏せ、時折息を漏らす。

いつまでもそのような状態が続くとさえ思われていたが、ラシュモア枢機卿が一際大きな息を吐いたのちに口を開いた。


「……今回の責任は、議長としてまとめた私にある」


「いえ。枢機卿として、教国として皆納得の上で結論を出したのです。責任はどこに?と聞かれれば、ラシュモア枢機卿だけでなく、にあります」


アイシィ枢機卿の言葉に、他の5人の枢機卿も頷いた。


「……建国王のことを真っ先に意識してしまったのがいけなかったのだ。神が答えられぬ話であるならば、前と同じだと、勝手に誤解してしまった」


続くメサビ枢機卿の言葉に、やはり他の枢機卿らも同意する。


建国王クソボケめ……死してなお、神々の思し召しにケチをつけるとは」


「やめておきましょう、今回は私たちの勘違いよ……そう思う気持ちは解るけれど」


忌々し気に吐き捨てるヘレンズ枢機卿を、マルール枢機卿が窘める。

とはいえ、建国王への「怒り」というのは、枢機卿ならば全員が抱いている感情だ、大小の違いはあれど、ヘレンズ枢機卿の言葉は、これもまた枢機卿らの共通の認識でもあった。


それ故に今回、誤ってしまったのだが。


「再度、確認しておく。派遣に向かった司祭が聞いた限り……ドラゴンは『若返りの奇跡』を行える」


ラシュモア枢機卿の言葉が響く。

枢機卿らは重く、重く頷く。


「『若返り』は魔術では不可能な領域。最上位の奇跡……。かの建国王ですら『若返り』はできなかった、だから老いて死んだのだ」


「つまりは……」


「ドラゴンは建国王と同じ……。天使様であろう」


神が人々に直接、干渉する手段はいくつかある。


もっとも基本的なものは神託ハンドアウトだ……自身を信奉する信徒らに言葉を投げかけるのである……時折、試練クエストとも呼ばれる挑戦を与えられた場合、達成すれば新たな奇跡を行使する権限を付与され、神官としての位階もあがる。


神託だけでは意向が伝わらない、あるいは神託を受けたものは信仰こそ厚いが力が足りない場合は、加護サプリメントを与えられる。

加護を与えられた信徒は使徒プレイヤーと呼ばれ、より上位の奇跡を行使する権限を一時的に貸与される……神の代理人としての役割を果たすのだ。


では使徒ですら解決不可能な事件が起きた場合、どうするのか。


天使ノンプレイヤーを遣わすのである。


天使とは神に仕える下僕であり、人間のそれよりも遥かに上位の奇跡を行使する権利を有する。簡単に言えば、人間にとって神に仕える最上位階である教皇ですら、天使の領域には至れない。


天使の姿はごく様々だ。

一般に、人と接する必要がある場合は人に近い姿を取るとされている。


信徒ではない人たちにも広域に神託を下さねばならぬ時、人と共に巨悪と戦わねばならぬ時、人の間に『神の血』を織り込むために子を生す必要がある場合……記録に残っているのはこの3つ。


だが人と関わらない、あるいは関りが薄くても構わない場合は、その限りではない。


過去の事例では……獅子と人を混ぜ合わせたような奇妙な姿、巨大な目玉に夥しい数の羽が生えた姿、そして目玉が重なり並び球体を作った姿を見せている。


ならば、ドラゴンの姿をしていてもおかしくない。


「あるいは……」


それだけを呟くと、ラシュモア枢機卿は口を閉ざした。

他の枢機卿たちも追求もしないし、問いただしもしない。

ラシュモア枢機卿が言いたいことは、分かっているのだ。


最上位の奇跡を行使できる存在は、天使のほかにもう1柱だけ存在し得る。


それは、神。



「……あの子には悪いことをしました」


アイシィ枢機卿は、他の枢機卿たちに聞こえないようにポツリと呟いた。


助祭と言う立場ながら一番最初にドラゴンと接触し、その力の一旦を見て、正しくドラゴンと言う存在の強大さを訴えていた、あの少女を。

信仰で目が曇ってしまっていたのは、アイシィ枢機卿のほうであったのだ。


枢機卿として謝ることはできないが、個人として謝罪に行こうと、アイシィは小さく決意をした。







護符アミュレットに口づけを行い、エレーヌ月曜神助祭は護符をそっと川辺に流す。

月曜神は、日中は「静かの海」と呼ばれる水辺でその髪を洗っていると伝えられているため、水辺であれば、意志が伝わるのではないかとエレーヌは考えたのだ。


それは月曜神への信奉を辞め、自らに与えられた地位と、奇跡を行使する権利を返納する儀式であった。


「ありがとうございました」


生まれ育った故郷に礼を言うため、エレーヌは立ち上がり、教国のある方角へと頭を深く下げる。

そして再び頭を上げるころには、その双眸は爛々と輝いていた。


「今、参ります。我が神……ドラゴン様」


ただ一人、神官を辞めた女が歩いていく。

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