第20話 強くて弱い拳

「さっきまで天体観測をしてたんだ。

 だから反抗期じゃない……。今が夏休み中だって分かってるよな?」


「さすがに分かってるっつの。家に帰らない日もあるけど、不登校じゃねーぞ? こう見えてもやるべきことはやってんだ。――成績は良い方なんだからな?」


 そうなのだ。……昔からの蓄積とコツコツと学力を維持する努力はしているようで、不良ではあるけど学力がないわけではない。

 すぐに手が出るところは短絡思考のバカにも思えるけど、ただストッパーがバカになっているだけで、考え始めれば雛姉の妹らしく最善の答えも出せる。


「できる」と、それを「発揮する」はまた違うけど、飛鳥の根が優しいことはおれたち『きょうだい』は全員がよく分かっている。


 不貞腐れて道を踏み外した不良じゃないことは、言っておかなければならない。

 ……姉が誤解されて、バカにされるのは、弟としてはがまんできないのだから。


「……ごめんな、急に飛びかかってくるからさ……癖で反撃しちゃったんだよ」

「いや、おれも悪いし……。あと、飛びかかってはいないけど。もたれかかりそうになっただけで……」

「一緒だろ」


 深夜の薄っすらとしか先が見えない闇の中では同じことか。

 自分に近づいてくる影を自衛で殴るのは、おかしなことではない……殴られたのがおれで良かったよ。蝶々だったら、大変なことになっていた。

 おれなら、すぐに治る。


「……とは言え、いてて……でも、もうあんまり痛くはな――あ、治った」

「相変わらず、頑丈で治りが早い体質だな……」


 分かっていながら、飛鳥はそれを理由におれに頼ることはしなかった。

 ……これまで散々言い合いをして今の答えに辿り着いたのだから、今更蒸し返すことはしないけど……やっぱり……おれとしては不満なのだ。

 壊れないから叩いてもいいという理論を受け入れられないのは分かるが、それで飛鳥が家にいない時間が増えるなら、おれは叩かれることを選ぶ。


 まあ、それを絶対に良しとしない性格をしていることも、長い間姉と弟をやっていれば分かってしまうけど……もしもおれが飛鳥の立場なら、死んでも頼れない。


 姉でも妹でも、手を出せるわけがない。兄でも弟でも同じことだ。

 これは受ける側のエゴだ。自覚はある……。


「飛鳥……その、さ……今は――」

「大丈夫だ、外で発散してる」


 そっか、と安堵したけど、それはつまり家の外で『被害に遭った人がいる』ということで……――喜ぶのもまた違う気がした。

 相手を選んでいるとは言っても、悪人でも人間だから……善悪は難しい。

 でもやっぱり、飛鳥のやり方は『正しくはない』のだ。


 すると、力の入ったもうひとつの足音が近づいてきていることに気づいた。

 門の外ではなく庭の先、家の玄関の方だ。


 さすがに深夜に庭で(普通の会話程度だけど)騒いでいれば、気づかれるだろう……雛姉だ。

 玄関の戸が開き、飛鳥の帰宅を待っていたのだろう、寝間着に着替える前の雛姉がサンダルを履いて近づいてくる。


 センサーで玄関前の蛍光灯が点いて周囲を照らす。飛鳥をよく見れば、怪我はないものの、服も肌も薄汚れていた。


「よう。ただいま、雛菊」

「…………はぁ。うん、おかえり、飛鳥」


 雛姉は溢れ出そうな不満を抑え込んで、飛鳥の体を観察する。

 隠している怪我はないことをきちんと確認してから――「お風呂? ご飯?」


「お前はあたしの嫁かよ」

「姉ですけど」


 毎回繰り返されているのだろう……以前、夕方に突発的に帰ってきた時も同じ会話をしていた。

 これを挟むことでお互いに世界観を合わせているのかもしれない。


「風呂、だな……全身が汗でベタベタで気持ち悪い」

「うん、じゃあ準備するわね……ご飯は?」

「軽めでいい。おにぎりとかあるか?」

「あるけど……ダメよ。バランスの良い食事を用意するから……早くお風呂に入ってきなさい」


「いやおにぎりひとつでいいって……」

 と言った飛鳥が、雛姉の表情を見て、

「……じゃあお願い」とあらためた。


 雛姉の意見を曲げることは難しい。ここで言い合いになるなら、バランスの良い食事を素直に食べた方が楽だ。


 それに、おにぎりひとつで済ませるよりも提案に乗った方が良いだろう。

 作ってくれると言うなら、甘えて損はないはず。

 飛鳥が甘えられるのは、やっぱり雛姉だけなのかも……。


「おっと――」


 さすがに限界を迎えたようで、蝶々がおれの肩にもたれかかってくる。

 全体重を預けているので、ずるずると下がっていってしまう――。

 もうほとんど眠っているようなものだった。


 倒れそうになる蝶々を支えて、背中でおぶってやる。

 おれの肩に顎を乗せた蝶々の口から、完全な寝息が聞こえてくる。


「陽ちゃん、もう寝かせてあげて」

「うん……分かってる。おれも寝るよ」

「そう……あ、望遠鏡……、私が片づけておくから。陽ちゃんも、蝶々を部屋で寝かせた後、そのまま寝ていいわよ」


 そう言った雛姉はまだ眠れないのだろう。少なくとも飛鳥が寝る準備を済ませるまでは……。

 そして、飛鳥はまた、朝方に出ていってしまうのだ。

 どこでなにをしているのか、分からないけど――褒められたことではない。

 飛鳥の体質を考えれば……絶対に被害者は出てくるわけで――。


「おやすみ、陽ちゃん」

「うん、おやすみ、雛姉――」



 飛鳥は昔から短気な方だったけど、手がつけられないくらいにカッとなって手を出したのは、中学生に上がってからだ。


 当時の飛鳥は気に入らないことがあればすぐに他人を殴っていた。ちゃんとぐーで。さすがに無関係な人を殴ったりはしなかったけど、自分に害を与える者――悪人を狙って容赦なくボコボコにしていた。


 まるで正義のヒーローだ。

 でも、この世界は暴力に厳しい。感謝する人がいても、手を出してしまえば飛鳥が悪者だ。悪人以上に悪者で……。


 人が変わったように、飛鳥から人が離れていくのは当然だとも言えた。


 トラブルの原因だった舞衣はいじめられていたけど、飛鳥はいじめられず、距離を取られた……避けられたのだ。


 いじめられていた方が良かったとは言わないし、思わないけど、殴られないように距離を取られるのは、いじめられるのと同じくらいにきついことだとおれは思う。


 運動神経が良くて、勉強もできていた。学年でも上位には入っていたはずだ。

 雛姉の背中を追っていた飛鳥が雛姉に近づくのは自然なことで、雛姉がする努力を、飛鳥は努力とは思っていなかった。


 だから飛鳥はいつも言うのだ……「勉強なんか全然してないぞ」と。

 飛鳥からすれば、必要以上の勉強を努力と呼び、それ以下は「していない」とみなすのだ。


 結果、努力をしているのだけど、本人には自覚がない。

 力は入っていないけど、努力をする人間と同じ場所に立つことができている……。

 飛鳥をよく知らなければ、天才と呼ぶのもまあ分からなくはないか。……でも。


 肩の力が抜けている優等生だった飛鳥は、暴力ひとつでその評価が地に落ちた。

 大人は、飛鳥の人間性を全否定して。


 それに絶望した飛鳥の顔は、今でもはっきりと覚えている……。

 褒めてくれた先生も、頼ってくれた大人も、ひとつの不祥事で離れていく。失望して、切り捨てる。飛鳥はそれを経験して、テンプレートな不良に自分をはめこんだのかもしれない……。


 所詮、自分は不良だから、という前提があれば、誰も期待しないだろうから。


 人が変わってすぐに手が出てしまう自分自身を警戒させる考えもあったのだと思う。


 飛鳥の乱暴な振る舞いは、周りを守るためなのだ。

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