第21話 事件の日


『飛鳥っ、おれはほら、頑丈だし、痛いけどすぐに治る体なんだよ! だから飛鳥の全部を受け止められる。

 破壊衝動? が出たら、おれを殴ればいいじゃんっ。それで全部解決なんだから――』


『バカかよ。弟をボコボコにできるわけないだろ。理由もないし……。お前、分かってないんだよ。殴る側だって痛いんだ……こっちの気持ちも考えろ』



 理由を付けておれを殴ろうとしない飛鳥に、理由を与えたのだ――『えいっ』と、おれは意を決して、飛鳥の胸を鷲掴みにした。

 思えばあれが初めて触った女の子の……だったのかもしれない。


 柔らかかった。一度に何度も何度も揉んで――――気づけば飛鳥の拳が飛んできておれはボコボコにされた。

 これは使えるカードだと思ったけど、それ以来、飛鳥はおれに近づかなくなった。


 まあ、そりゃそうなのだ……会えばセクハラされると分かれば近づくわけがない。触るだけでなく鷲掴みにして揉めば――弟の前には立ちたくないだろう。


 ……避ける理由は、それだけじゃないだろうけど。


 ……やっぱり、あの時。

 弟をボコボコにしたことが、飛鳥のトラウマになっているのかもしれない。

 姉と距離があると感じたのは、それからのことだったから――。



 目が覚めた。懐かしい思い出を夢で見た。やっぱり飛鳥と会ったことで頭の中で当時のことがぐるぐると回っていたのだろう。……もう、飛鳥は出ていったのか?


 深夜に帰ってきて、少しだけ寝て、朝方に出ていってしまう――おれに会わないようにするためか。おれを避けたせいで、舞衣と蝶々にも会えなくなっているのは悪いことをした……。


「――おじゃましますっ!!」


 今日も朝から元気な声が玄関から聞こえてくる。

 もう、雪門がやってくる時間だった。

 おれもそろそろ起きよう――冷たい水で顔を洗って、腹ごしらえだ。


 夏休み。予定があるわけではないが……いや、蝶々との約束を巡って流れてしまっていたが、黒冬さんと協力をして宿題を片付ける約束(?)がある。

 一度、黒冬さんと相談して……取り組むか。

 できるなら早めに終わらせたいしな。


 それに、好きな子と同じテーブルで一緒に宿題をするなんて……、あらためて考えれば恵まれている。

 彼女が実は妖怪だった、というイレギュラーはあったが、慣れた身からすれば気にしない。


 妖怪と言ったが、脚色部分が大半を占めているので、ちょっと特別な能力を持ったおれたちと変わらない人間だ。


 だから黒冬さんを紹介するなら、妖怪ではなくまずは前世の人、と言うだろう……それだけ、前世の記憶と人格があることの方が珍しい。


 しかもそれがふたりに分裂しているなんて……。

 経験豊富なおれでも今回のケースは初めてだ。


 未知との遭遇は毎回のことだけど、ある程度のパターンはあるから解決への引き出しからなにかしらの手段は出てくるが……黒冬さんの場合はまだ分からない。


 どう対処すればいいのか……、ひとまず問題から目を逸らしているけど。

 ある意味、宿題をするのは逸らした結果だとも言えた――けどまあ。


 黒冬さんがいることを問題としなくてもいいのだ。害はない。黒冬さんは雪門の中から出て自由を得ただけで……だから生活の中で問題が生まれたのは雪門の方。


 クールになりたい雪門深月。

 ……残念だけど、おれにはどうすることもできない問題だ。



 朝食を食べながら、テーブルを囲んだ時に聞いてみれば、「じゃああとでやりましょうか」と、黒冬さんが宿題に付き合ってくれることになった。宿題なんてうんざりするだけだったけど、今年はかなり楽しみになっている……黒冬さんと一緒なら、いくらでも宿題ができそうだ。


 宿題が多ければ多いほど、一緒にテーブルを囲める時間が長くなるだけの餌にしかなっていないけど……それでもいい。手をつければ勉強は身になるはずだから。


 遅れて居間に顔を出したのは、上の妹の方だ。


「舞衣、部活は?」

「今日はお休み。ふあぁ……寝過ぎた」

「珍しいな……夜更かしじゃないんだろ?」


 朝練があったり自主練があったりで早起きな舞衣にしては珍しく、寝坊だった。


「うん……一度起きたんだけど、蝶々があまりにも気持ち良さそうに寝てるのを見てさ……私もあとちょっとだけ、って二度寝したら……ぐっすりとね……」


 夜更かしをした蝶々の深い眠りにつられてしまって、か……確かに、気持ち良さそうに眠る蝶々を見てしまえば、なかなか起きられなくなる気持ちは分かる。


 ちょっとだけ……あと五分だけ! と布団に潜れば、そこから一時間は寝てしまうのがお約束だから。さすがに舞衣も抗えなかったか。


「おはよう。……舞衣ちゃんは、宿題はどう?」

「あ、黒冬さん……おはようございます。はい、まあそこそこ、やってますよ。ちょっとずつ、ですけど……」

「良かったら一緒にどう? これから神谷くんと宿題をするんだけど……」


「私は……でも……――――兄貴は、私がいてもいいの?」

「いいけど……」

「うわ、良くなさそうな顔……」

「いいって! 気を遣うなバカ!」


 ふたりきりが良いと言えばそうだけど、それを理由に妹を弾くわけにもいかない。

 というか、そんなことをすればおれが悪く見えるだろうが。


「蝶々も誘って、みんなでやればいい…………いいよな? 黒冬さん」

「ええ、当然でしょ」



 その後、寝ぼけた蝶々が遅れて朝食を食べ、雪門は雛姉と花嫁修業に精を出して――午前中。


 宿題に手をつけていたおれたちの手を止めたのは、やかましいエンジン音と、女性だが、それでも充分にドスの利いた怒声だった。


 ……これは――――殴り込み、だ。




「神谷飛鳥は、いるか――――ッッ!!」


 神谷家はご近所さんよりも高い場所に建っている。

 かなり年季が入った屋敷であり、昔ながらの土地だからだろうか。

 おれたちの前世ではなく先祖が偉い人だったのかもしれない。


 来客からすれば少し大変かもしれない。平地から十段以上の石段を上がった先に門戸があり、さらに庭を通っていくと、住宅の玄関となる。

 そのため、出ていく時は庭を通って門戸を開け、まず石段を見下ろすことになるのだが……石段の先、車道に繋がるまでの広めの空間は、私有地である。

 そこは車が入れるようになっているため、当然バイクも入れるのだ。


 敷地内に溜まっているバイクは十数台……二十台にはいかないか。

 改造されたバイクが、エンジン音を響かせながら停車していた。


 見た感じ、女性しかいないのはそういう不良チームなのだろう……レディース? 前時代の不良少女……スケバンだっけ? ――が、昔の世界からそのまま出てきたような見た目だった。


 ……今の時代には不自然過ぎてもはやコスプレである。でも彼女たちはきっと憧れが強過ぎて真似しているから、真面目なんだろうなあ……。


 分かりやすく『夜露死苦』ののぼりをバイクに付けている……典型的だった。正義のヒーローがマントを付けているくらいには古いセンスだけど……これはこれで知らない世代からすれば新鮮なのかもしれない。蝶々なら意外と褒めるかも?


 相手は女性しかいないけど、それでも不良だ……ここは男のおれが先頭に立つ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る