第肆話

第11話 夏の夜の約束を


 次の日。花嫁修業(……のつもり)で顔を出した雪門を居間まで案内する。


 昨日もきたので部屋までの道順が分かっているからと言って、先導するおれを追い抜くのは、一応客人としてはどうかと思ったが……そういうところも雛姉に教えてもらえばいい。

 気を遣うのも花嫁(大人)には必要なことだと思う。


 黒冬さんは肉体の維持のために昨日から神谷家に泊まっている。雪門はさすがに夕方には帰宅しているが……。おれからすれば黒冬さんが泊まるが方がドキドキした。

 当然、生活圏内は被らなかったけど。


 雛姉と妹ふたりの壁で、黒冬さんとは雑談もできなかった……警戒し過ぎだ。

 おれは狼じゃないんだぞ?


 黒冬さんが泊まるとなれば、「――あたしも泊まりたい!」と駄々をこねる雪門のことは予想できていた。だが、説得するには時間がかかったのだ……。


 花嫁修業という理由があるとは言え、泊まらなければできないことでもない。

 雛姉の「ちゃんと帰りなさい」の一言で、雪門は納得してくれた。

 ……納得したのかな。触らぬ神に祟りなし……と思って引いただけかもしれないが。


 雛姉は基本優しいけど、一線を越えてしまえば神谷家の中で一番怖いのだ。次点でばあちゃんかな……。雪門も雛姉の怒りの片鱗を見てしまい、素直に引き下がった。


 気を遣えなくとも空気は読めるようで安心した……やっぱり雛姉には逆らえない。



「――クールになりたいの」

「むりだと思う」


 居間で向き合う雪門と――下の妹である蝶々。

 昨日、やむを得ず事情を話したので、蝶々ともうひとりの妹の舞衣は雪門の目的を知っている。

 花嫁修業の誤解も解けているはずだが……舞衣はともかく、未だに蝶々がちょっと不機嫌なのは分からない。妹の「ぬけがけ」発言もよく分かってないし……。

 だって雪門とはなにもないのだ。

 それとも、兄と仲が良い異性の友人が家にいるのは、妹からすれば嫌なものなのか?


 聞いてみれば話は早いけど、聞きづらいな……。まるで妹がおれに嫉妬している、と思い込んでいるみたいで……みたいというかそれそのものだ。

 それを指摘されたらと思うと……勇気が出なかった。

 なので特に触れることなく、機嫌が直るまでは刺激しないようにして――。


「雪門さんは、クールになれるタイプじゃないよ」

「そうかな……」

「そう。感情表現が豊かで、身振り手振りの動きが大きくて……好意を恥ずかし気もなく相手に伝えられる人が、クールになれるわけがない。なる必要もないと思うけど……」

「でも、あたしはクールになりたくて……ううん、ならないといけないの」


 蝶々の分析は当たっていた。ようは向き不向きの話だ。黒冬さんのイメージを引きずる容姿をしているから、表面だけを整えればクールに見えるかもしれない……が。

 それは雪門深月の、本来の個性を潰してしまうことでもある。


 天真爛漫なイメージが強い雪門深月がクールになろうとしても、滲み出る明るさがクールにもやをかけてしまう。クールが「暗い」「おとなしい」に縛られるわけではないが、今の雪門にクールはやっぱり似合わない。


 それでも。

 雪門はクールにならなければいけないのだ。


 彼女は自分のではなく黒冬さんの個性を引き継ごうとしているのだから。……無茶なことは百も承知だ。それが分かっているから、雪門は最初から「ただのクール」になりたいのではなく、花嫁修業と称して「大人」になろうとしているのだ。


 今の雪門でも、大人っぽくなればおのずとクールさも得られると考えて……。

 理屈で理解しているとは思えないが、本能でそれを嗅ぎ取ったのなら、雪門深月は理論ではなく感覚で「見つける」タイプだ。


「そうなんだ……がんばってね」

「うんっ、がんばる!!」


 やる気に満ち溢れている雪門の背後。

 襖が開いて、雛姉が顔を出した。


「深月ちゃん? こっちは準備できたけど……」

「はいっ、おねがいします、雛先生!」

「こちらこそよろしくね……じゃあ、まずは台所でお料理を――」


 雛姉に連れられて、雪門が居間を出ていった。残り四十日近く……お盆もあるので毎日とはいかないとは思うが、雪門の花嫁修業が始まるのだ。


 居間に残されたのはおれと蝶々だけだ……。

 雪門がいなくなったので騒がしさが消えた。静かだった……、セミの鳴き声は響いているものの、逆にそれが静かさを際立たせているとも言えた。

 セミが鳴いているということは部屋に音がないということでもある。


「…………蝶々は、今年の自由研究はなにするんだ?」


 去年は確か……、釣った魚の魚拓を取って、オリジナルの図鑑を作ったんだっけ……? 結局、図鑑というか、魚拓をまとめて提出しただけの気もする。

 蝶々と夏休みの間、何度も釣りに出かけて……海、川……色々なところへいった。ふたりで真っ黒になったのが懐かしいな。日焼け対策なんて一切していなかったから――おれはいいけど蝶々は日焼け対策をしないといけなかったみたいで、雛姉に怒られたことも同時に思い出す。


 小学生でも女の子だから。……肌のケアは大切らしい。

 今年はなにをするのだろう……。また付き合わされるのか……楽しかったけど。

 でも去年のように『毎日』蝶々に付き合うことは、今年はできなさそうだ。

 雪門の事情がある。黒冬さんのことだって放置はできない。


「………………星」

「ん?」

「天体観測とか、してみようかなって……」

「へえ……面白そうじゃん」


 去年の反省を活かしたのかもしれない。活動が夜なら、日焼けの心配もないしな。


「だから、にいさん。夜はわたしに付き合っ」



「あ――神谷くん、いるかしら」

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