第伍話

第15話 もうひとりの妹


 倉庫の奥に眠っていた天体望遠鏡を見つけた。


 使ってなさ過ぎて埃を被っていたので、ブラシで掃除をして……使えるかどうかは実際に夜になってみないと分からないな。今使えば、目が太陽に焼かれるだろう……。


 いざ使うとなってもしも壊れていたなら……それはもう仕方ない。倉庫の奥で眠っていたものだ、その可能性だって充分にあるはずだ。


 どうせなら新しいものを買ってもいいし。安い買い物ではないけど、妹のためだ……さすがに手が出ないほど高いわけでもないだろう(……だよな?)。


 自腹が無理ならじいちゃんに相談だ。買わずとも貸してくれる人を紹介してくれそうだ。


 ひとまず、おれができることは不調を確かめ、綺麗にすることくらいか。

 作業を続けていると、庭まで漂ってくる特徴的な匂いがした……そろそろ昼か。

 昼間からカレー……? いいけど。

 夜もカレーかもしれない。じゃあ……次の日の朝も……?


「まあ、いいけど」


 居間に戻ると、ちょうど雪門がテーブルを拭いていたところだった。

 食事の準備、を……して…………「え?」


「あ、神谷くん。外にいたんだね。――カレー作ったんだっ、食べてみてよ」

「え……あ、うん。それは、食べるけど……雪門……、だよな?」

「? もちろん、あたしは雪門深月だけど」


 たとえ覆面をしていたとしても雪門のことはすぐに分かると思う。

 それだけ、彼女の言動は分かりやすい。


 見た目が変わった程度で彼女だと分からなくなるわけではない……ないが、今回のこれは、驚いた。元のイメージが強いからこそ、それは卑怯だ。

 破壊力が段違いだった。


 蝶々や舞衣、雛姉がするのとは全然違う。飛鳥は想像できないから除外するとして……黒冬さんが同じことをすれば驚いただろうけど、まさに目の前にいる雪門がそういうことなのだから、想定する意味がなかった。



 ――ツインテール。


 雪門深月が、左右で髪を結んでいた。



 ……ふたつ、みっつ、年齢が下がったように見える。

 言動も相まって、こっちの方が合っているとも言えた。


 元がクールな黒冬さんの容姿なので、ギャップの効果が倍になっている――やばいな……これはやばい。語彙力がなくなっていって――マジヤバい。

 たとえるなら、大学生の雛姉が高校の制服を着てプリクラを撮っているような感覚だ。犯罪ではないし年齢的に多くサバを読んでいるわけでもないので、全然いいはずなんだけど、見ているこっちが悪いことをしているような気分になる。

 どっちも魅力的なことには変わりないけど、受け入れるまでに少し時間がかかる。


「……あれ? これ、もしかして似合ってない?」


 おれの視線を追って――変わった髪型について、感想を言わなかったことで不安になった雪門が、自分の髪に触れた。


「あ、いや……そんなことはない。似合ってる。

 ……そうなんだよな、不思議と似合うんだよなあ……」


「ほんと? ……でもその言い方……似合うとは思ってなかった、みたいだよね?」


 雪門のくせに、細かいところを気にする。――そんなことより、と話題を変えてしまえば、不満顔の雪門も一緒についてきてくれるので、妹よりは扱いが楽だった。


 どっちの妹? ……どっちもだ。

 どっちも、取り扱い注意だった。


「カレーを作ったのか……、それが花嫁修業?」

「うん。料理の基本を教えてもらったの。今日は具材があったからカレーになった」


 比較的、簡単なものを選んでくれたのだろう。

 簡単過ぎても手応えがないだろうし……カレーくらいがちょうどいいのかもしれない。おれでも一応は作れるが……まあ、クオリティは人並み以下だろうけど。


 カレーもこだわって作れば難しいと思う。今日は花嫁修業なので普通のカレーを作ったのだろう。雪門は……たぶん甘口好きだ。

 辛口を食べて舌を出し、ひーひー言っている絵が目に浮かぶ。


「深月ちゃん、陽ちゃんは――――あ、見つかった? じゃあ、あとは蝶々ね」

「いるよ」


 居間に顔を出した雛姉の背後、匂いに釣られてやってきたのは、蝶々だ。

 今、家にいるメンバーはじいちゃんたち『シルバー世代(黒冬さんも含め)』を除けば、この場にいるおれたちだけだ。

 全員が集合しているので、昼食にしてしまっても問題はないだろう。


「もう少ししたら舞衣が部活から帰ってくるとは思うけど……時間がまだ読めないのよね……、先に食べてよっか」


 舞衣には悪いが、腹は正直だった。カレーの匂いを嗅いでしまえば、ここから十分だったとしても、お預けされたらがまんできなかった。

 部活帰りの舞衣がすぐに昼食を取るとも限らないし……うん、先に食べよう。

 冷めたら美味しさも半減だ。


 ちなみに、次女である飛鳥は昨日から家には帰っていない……。

 正確には会っていない、だけど。帰ってはいるらしい。短い時間だけど。

 帰らない日は友達の家に泊まったりしているようで……滅多に会わない不良娘だ。


 雛姉が言うには、着替えなどを取りに深夜に帰ってきて、朝方には出ていってしまうらしいけど……だからおれと舞衣、蝶々は会えないのだ。

 ……舞衣は部活の朝練があるので早起きしているから……会う機会もあるのかもしれないけど……。


 深夜まで外、か……女子が歩くには心配だけど、うちの中よりも外にいる方が気楽なら、その方がいいのかもしれない。


 家にいることが負担になるなら、心休まる場所がないし……それはきついはずだ。

 飛鳥も、大変な体質だから――仕方ないことではある。



 雛姉、蝶々、雪門とテーブルを囲んでカレーを食べる。

 男女の差? なのかもしれないけど、おれが一番先に食べ終わった。


 ごちそうさまと同時だった――玄関の方から「ただいまー」と声がした。

 舞衣だ。部活から帰ってきた。


「あ、舞衣が帰ってきたみたい――」


 言いつつ、雛姉がスプーンを置いた。

 まだ三分の一ほど残っているが、急いでかきこんで食べられるほどの少ない量ではなかった。残りを落ち着いて食べたいのだろうけど、舞衣の面倒を見てからだと冷めてしまうだろう。

 ここは早く食べ終わったおれがいくべきだな……。


「汗かいているだろうから、シャワーの準備を、」

「雛姉、おれがやるから座ってていいよ」

『え?』


 雛姉だけでなく、雪門と蝶々も揃って声を出した。……その『え』は、なにが?

 おれが手伝うのが、そんなにおかしいのか? 家の手伝いはしてる方なんだけど。


「ちゃんと舞衣に聞くよ。その上で、手伝えることがあれば手伝うし」

「そう……ならいいけど」


 立ち上がりかけていた雛姉が、座布団に腰を下ろした。

 渋々にも見えるけど、おれに任せてくれたらしい。


「…………気をつけてね」

「あー、うん……大丈夫」


 飛鳥よりはマシだから。

 ……マシなだけで、やっぱりつらいことには変わりないけど。


 一瞬、動揺が広がったものの、蝶々は黙々と食べ進め、雪門は食べる速度を上げていた。でもそんなに急ぐと……ああ、やっぱり喉に詰まらせていた。

 水を飲んで、雛姉に背中をさすってもらっている……案の定だな。


 彼女の失敗を尻目に、おれは玄関へ急いだ。

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