第弐話
第3話 出会いの春
2
――おれが知る雪門深月の話をしよう。
出会いは中学三年生の時。
それ以前から同じ中学に通ってはいたものの――、クラスが違うので、すれ違うことがあれば顔を合わせたことがあっても、しっかりと目を見て話したことはなかった。
……だけど強く印象に残っていることはしっかりと覚えている。
彼女は学年問わず人気があった。
新入生の時から、飛び抜けて目立つ美人だったのだ。
中学生とは思えない大人びた雰囲気。令嬢のような、清楚な印象を周りに抱かせる。
ちやほやされるわけではないが、それでもアイドル的な人気があったのだ。
なので彼女と話したことがなくとも、彼女のことはよく知っていた。
色々と情報が出回るのだ。
人が群がるところには雪門がいる――というのがおれの認識だ。
分厚い人の壁がいつもあるので、雪門の顔を見る機会はかなり少なくなってしまう。
遠目から見た清楚な印象のまま、二年間、雪門のことを漠然とした目で見ていた。なんとなくでしか認識していなかったのだ。だから三年生に進級した時、初めて同じクラスになり、彼女を間近で見たら――度肝を抜かれた。
射抜かれた、とも言う。
一番後ろの席で、廊下側と窓側で反対の位置にいたから、距離が近かったわけではないが……距離があっても圧倒されていた。
令嬢、とはよく言ったものだな……的を射ている。
高身長、長い黒髪、透き通るような白い肌。いつ見ても箱から取り出したばかりのお人形さんみたいだった。見惚れた弱みで、より、綺麗に見えていたのかもしれないけど……惚れただけの美しさは、確かにあったのだ……。
初めてだった。
女の子を見て、それ以来、いつ何時もその子のことを考えてしまうなんて。
姉ふたり、妹ふたりがいるので、綺麗な女性には耐性があると自覚していたけど、雪門を前にすれば途端に喋れなくなる。
一目惚れしてから数か月が経って、やっと普通に喋れるようになったけど、やっぱりまだ緊張する……。
だから、おれにとって選択肢はひとつしかなかったのだ。
褒められたことではないけど、おれにはそれしかなかった――。
僅かな糸口を見つけるところからしか、始められなかったのだから。
ストーキング紛いのことは、苦肉の策だったことを、きちんと言っておこう。
一年間の内に席替えは二度ある。
基本的には、夏休み明けと年明けだ。これが少ないのか多いのかは分からない。席替えを一切しない学校よりはマシなのだろう。
――二度目の席替えがあった。つまり年明けになる。
卒業まで残り三か月程度(……とは言え、中高一貫の学校なので、卒業と言ってもこのままほぼ同じメンバーで高校へ上がるだけだが――)の時期に、おれは初めて、雪門の隣の席になった。
くじ運が良かったのだ。
おかげで周りの男子からは羨ましがられ、同時に疎まれたりもしたけど……。
運が良いのか悪いのか……。雪門の隣になるだけなら「良かった」のだ。
幸い、周りからの嫌がらせはなかった……過激なクラスメイトでなくてほっと一安心だ。
配られたくじは紙だった。なので席が分かった段階で取り換えてほしいという交渉は少なくなかったが、当然、おれは断固断った。
――逆に聞くけど、おれが交換してほしいと頼んだら、お前は譲ってくれるのか?
そう聞けば全員が引いていくのだから、敵のように見えてもやっぱり仲間なのだ。
同じ女の子に惚れているライバルでも、不仲ではない。
小学校から付き合いがある友人ばかりだ。仲の良し悪しでは、もうない――。
窓際だった雪門は、席をひとつ、後ろへずれただけだった。彼女は最初の名前順の席へ戻っただけだ。くじ運とは言え、二度の席替えで、ほぼ位置が変わっていなかった。
窓際後ろの席は人気の席なので、彼女も運が良いのだろう。
……ただ、人気なのは彼女がそこにいるから、という理由も多分にあるだろうが。
「よろしく、神谷くん」
「ああ、よろしく、雪門――」
クラスメイトになって半年以上……さすがに普通に話せるようにはなっている。体育祭や文化祭で接することも多かったし、委員会で協力し合うこともあった。授業によっては班になることもあるわけで……慣れた、と言えばその通りか。
彼女が放つ『スター性』は、やや失われている。
こっちが勝手に強く感じて、勝手に衰えたと判断するのは勝手な言い分だが……。
けど、彼女の場合はそれが加点になっている。
心を射抜かれた当初は、圧倒的な彼女の存在感に憧れるしかなかったが、慣れたことによって手が届く親近感を感じている。
距離感が近くなったと思うのだ……。心の距離はともかく、物理的には近づいているのだから親しくなれたと錯覚しても仕方がないはずだ。
「おれでもいけるんじゃないか?」と思ってしまう男子が多いのも納得だ。
そのため、クラス学年問わず、彼女に言い寄る男子が多いのだ。
ダメ元だろうけど、その数は以前と比べて圧倒的に増えている。
入学したばかりの頃に比べれば、その数は天と地の差だ。
……後輩が入ってきたことで、雪門の柔らかさが出てきたことが要因ではないか?
クールで、見ようによっては冷たい印象を抱くことも多いが、後輩のおかげでその態度を見る機会が減っている。無礼な後輩には見慣れたクールさが発揮されるが……慕ってくれている後輩を邪険に扱う雪門ではなかった。
面倒見が良い母性溢れる雪門は、また違った魅力があった。
段々と、同学年にも柔らかい雪門の態度が広まっていって――
「神谷くん、窓を少し開けてもいい?」なんて、以前の雪門であれば聞いてこなかっただろう。
勝手に開けていたし、周りに気遣うくらいなら開けなかったはずなのだ。
それが、遠慮をしないほど、雪門も打ち解けていたのか……嬉しいな。
おれだけに向けられた態度ではないと分かっていても。
クールではあるが、冷たい態度はなくなりつつある……言うなれば雪解けか?
「窓を開けるのはいいけど……寒くないのか?」
「暖房が暑くて……、少しだけ開けるわね。私にだけ隙間風が入るようにしたいんだけど、もしかしたら神谷くんにも冷たい風が通るかと思って……」
遠慮ではなく配慮ができるようになったのか……と言えば失礼か。
雪門は配慮ができない女の子ではない。
逆に、気を遣ってできる方だろう……興味がない相手にはしないだけで。
彼女が考える『配慮するべき相手』の中に入ったのだとすれば、嬉しいことだ。
「気にしないで開ければいいよ。窓全開でもおれは全然いいし」
「それはみんなが困るでしょ?」
雪門が言えばみんな賛成してくれそうだけど……だが、教室には女子もいる。
数少ない雪門のアンチもいるのだ。
雪門の人気を「面白くない」と妬む女子はいるだろうから……満場一致は難しそうだ。
雪門が少しだけ窓を開ける。すると、冷たい風が通り抜けて――ふわり、と彼女の髪が揺れ、見えた白い首元には汗がじんわりと張り付いていた。
……おれが思っているよりも暖房が強いのか?
けど、周りを見れば暖房の力を借りても寒さに震えている生徒ばかりだった。
じゃあ、雪門が寒さに強いのか?
「雪門って、生まれは北の方?」
「違うけど……?」
「そうか……」
寒さに強くなるように育ったわけでもなさそうだ。
寒さに耐性がある体質なのかな?
ぴんと伸びた背筋。彼女はいつも姿勢が良くて……ただ、今日は少しだけ、背もたれに背中をくっつけていた。
それがダメとは言わないけど、いつもと違うのは体調不良の兆しにも思える。
気づけば手が伸びていた。
躊躇いはなかった……それだけ心配が勝ったのだ。
自分の手の甲を、そっと雪門の頬に当てる。
「きゃっ!? ……え、なに!?」
「熱があるんじゃないか?」
隙間風の冷たさにほっとしている彼女を見れば、気温が低いのに彼女の体温は高いようだ……違和感は、ここだった。
クールな表情で、なんてことない冷静な顔をしているけど、体内では激しく「戦って」いるのだとすれば、隣に放置するわけにはいかない。
「風邪かもしれないぞ。保健室にいった方がいい」
「大丈夫よ。気分が悪いわけでもないのだから……」
「雪門」
ほら、と消しゴムを投げてみる。放物線を描き、ゆっくりと雪門の胸に向かって落ちていくそれを、雪門は受け止めようとして――しかし、ずれていた。
拳ひとつ分。横にずれ、受け止め損ねていた。いくら突然投げられたのだとしても、掠ることもなく落とすなんて……、見えている視界が歪んでいる証拠なのでは?
「あ、失敗ね……私、こういうのセンスがないのよ」
「――保健室、いくぞ」
「え。だから、大丈夫だから……」
おれが連れていくことに拒否感があるのかもしれない……。
なら、女子の……保健委員に頼んで――。
近くの女子に声をかけ、体調不良「かもしれない」雪門のことを任せる。彼女は最後まで抵抗していたけど、「平気なことを確かめにいきなさい」と先生に諭されて、渋々教室を出ていった。
結果、平気そうな顔からは嘘だと思うくらいに高熱があったようだ。その後、あっという間に早退していったが……、高熱の中でも多数にばれないようにいつもの雪門深月を演じていたのだとすれば、大したものだ。
もしくは演じる必要がないくらいに、彼女はあの『雪門像』を当然だと思っているのか。
普通のことなら、意識しなくともできるわけだ。
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