第9話 表裏反転


「だってっ、この土地にいれば黒冬さんは消えないんでしょ!? だったらここにいればいいのに……っ。どうして消える必要があるの!?」


「私は、本来ならこの時代にはいない人なの。私がいることで周りに余計な刺激を与えてしまうことになるわ……。絶対に、みんなに迷惑がかかってしまうの。私が自分から消えてしまおうってわけではなくて……自然に、私は消える運命なのだから……ね? それに従うべきだって言っているだけよ?」


「同じことだよ!」


 雪門からすれば、理由がどうあれ、黒冬さんが消えることは同じだ。どんな理屈を並べたところで、黒冬さんが『消えないこと』が雪門の願いである。


 願いがそれであり続ける限り、話し合いは平行線のまま続くだけだ。

 どっちも折れる気配がない。

 頑固なところもそっくりだった。


「……神谷くんは、どっちの味方なの……」

 と、雪門。


 ……黒冬さんは口にこそ出さないが、「分かってるわよね?」と、目でプレッシャーを与えてくる。……どっちの気持ちも分かるから……どっちかの肩を持つのは嫌なんだけどな……。


 でも、ここは心を鬼にしよう。

 黒冬さんの方が、納得できる理屈がある。


 比べてしまえば、雪門の方は感情が先走った「ただのわがまま」だ。そりゃあさ、おれだって黒冬さんに残ってほしいけど……それは周りに悪影響を与えなければ、の話だ。

 残念だけど、黒冬さんは妖怪だから……周りを刺激してしまうのは避けられない。その都度、対処することもできるけど、負担がおれにだけかかるわけでもない。


 ……他人を巻き込むかもしれないなら、おれは黒冬さんにつく。

 妖怪による被害を見てきた身としては、安易に残す方の案は選べない。


「――おれは黒冬さんだ」

「なんでよっ!?」


 ばんっ、とテーブルを叩いて立ち上がる雪門。

 目尻に涙を溜めながら。

 ……ぐっとおれを睨みつける。……う、心が痛む、けど。

 ここは引かない。引けない。


 すぐ傍で唇を噛んで堪えている黒冬さんを見れば、おれが妥協することは、できない。


「いずれ黒冬さんは消えるんだよ……。その体は雪門のもので、今世は雪門の人生なんだから……、お前が前に立つのが筋なんだ」

「分からない……分っかんないよっっ!!」

「分からないなら分かろうとすればいい。まだ夏休みは始まったばかりだ……ゆっくり飲み込んでいけばいいんだよ。黒冬さんだって、夏休み中はいるんだからさ」


 おれが「困ってる」と言って、黒冬さんは「手伝う」と言ってくれた。

 少なくとも、途中で消えるなんて不義理はしないはずだ。


「……そうなの、黒冬さん……?」

「ええ。夏休み中は、ここにいるから」

「そ、っか…………えへへ」


 彼女はすぐに黒冬さんが消えると勘違いしていたのかもしれない。それでも、夏休みが終われば消えてしまうだろうけど……、その事実には目を塞いでいるのか。


 ……まあ、今は受け入れられなくとも、約四十日を経て受け入れられるならそれでいい……時間はたっぷりとあるのだから。


「……神谷くん、四十日近くもあると高をくくっていると、ほんとに夏休みの宿題みたいに手遅れになるわよ? ……この子の説得は早い内にしておかないと。夏休み以前までの私に近づくための稽古の時間が短くなるだけよ?」


「分かってる」


 分かってる、けど……ここで不満を残せば身につくものも身につかない。悪知恵が働けば、身につかせないことで黒冬さんが「必要」だと言う理由を得ることができる――それを餌に、おれたちと交渉してくるかもしれない……。


 それはそれで成長としては理想に近い形とも言えた。強かで困ることはないのだから――だが、実際に交渉をされたら面倒だ。


 ……黒冬さんは消えてしまう……、この一点のみは、認めさせなければならない。


 時間がかかってもいいから……それだけは……受け入れさせる。


「勝算はあるの? どうするつもり……?」

「とりあえずは」


 そろそろ十分が経った頃だろうか。……足音は時間通りだった。

 襖が開き、同時に良い匂いが漂ってきた――雛姉手作りの昼食だ。


「お待たせ、陽ちゃん。置いていいんだよね?」


 テーブルのど真ん中に料理が運ばれてきた。


「うん。ありがと、雛姉」


 食欲がそそられる黒胡椒が混ざった良い匂い。人数分のお皿と中型サイズのスプーン。そして、取り分けるための大型のスプーンがテーブルに乗っている。今日はチャーハンらしい。


「意見が割れても腹は減る。……ひとまず、腹ごしらえをしよう」

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