第8話 受け入れがたい世界


 ――無理だ。できるわけがない。


 クールとは真逆の『本来の顔』を出したばかりの雪門深月に、黒冬さんの後釜を任せるのは……荷が重過ぎる……。


 彼女では扱い切れないような繊細な荷物だ。

 天地無用の意味も分からなさそうな彼女に、割れ物注意を上手く扱えるとは思えなかった。


「夏休みが明けて、あの子のキャラ変にクラスのみんながついてこれると思う? この際、ついてこれなくてもいいわ……、受け入れられる? 二重人格や記憶喪失を疑われる可能性もあるわよね。それに……これをきっかけに、あの子がいじめられたりしないか心配なの……」


「それは心配ない気がするけど……ただ、」

「ただ?」


 黒冬さんの「逃がさない」と言わんばかりの視線に、おれは誤魔化せなかった。


「あの性格で、あの無邪気さだ……食いものにされないか心配だな……」


 そんなことはおれがさせない、と言いたいところだが、常に見ていることができるわけでもない。目を離した隙に、興味本位で彼女が見知らぬ男についていってしまい、傷を負う、なんてことが容易に想像できてしまう。

 黒冬さんも、染み込ませるように納得して頷いていた……あの子ならやりかねない、と。


「やっぱり、まだ消えるわけにはいかないわよね……」


 かと言って、雪門の体に戻り、以前通りに振る舞うとしても、黒冬さんが雪門の肉体にいられる時間も限られているようだ。

 問題を先送りにしても根本的な解決にはならない。これは先へ延ばせば延ばすほど、解決が難しくなる問題だ。タイミング的に、この夏休みが絶好のチャンスなのではないか――。


「……雪門自身で、どうにかするしかないな」

「どうにかって……どうやって」

「今日はちょうど夏休み初日だ。休みが明けるまで、まだまだ時間がある」


 そう言って油断していると、あっという間に残り一週間となり、手つかずの宿題に絶望することになるのがお約束だが……。今回の問題は宿題と違って、提出の当日に忘れることで期限を先延ばしにできるものではない。確実に成長しなければ、雪門の今後に影響する……。


「雪門が選ぶことではあるけど……もしもあいつが黒冬さんみたいになりたいと言うなら――――この夏休みで、仕上げるしかない」


 雪門の成長は、つまり黒冬さんとの別れを意味するのだが……今は目を瞑る。

 そして、最後であるならおれは……あの約束を果たすことにした。


「――手伝ってくれ、黒冬さん……じゃなくて、今だけはこう呼ぶよ――雪門。もうひとりの雪門のことで困ってるんだ……手を貸してくれないか?」


 約束にぴんときていなかったらどうしようかと思ったが、彼女は覚えてくれていたようだ。

 やっと言ってくれた……という意味の微笑みだったのだろうか。


「あの子のことは私のことよ……当然、いいわよ。神谷くんのためだもの、手伝ってあげる」


 助けを求めて差し出した手に、黒冬さんの手が重なった。

 ……心地良い冷たさだった。

 やっぱり黒冬さんは…………


『雪女』として脚色された、かつては冷気を操った『超能力者』、だったのだ。



「おっそーいっ! どこでなにしてたの神谷くんっっ!!」


 丁寧に分かりやすく、両手の指で鬼の角を表現した雪門がぷんすか、と言いながら怒っていた。……雪門の顔でそんなことをするな、こっちは心臓ばくばくだぞ……!


「これだけ待たせたんだからお菓子やジュースを持ってきてくれたんだよね!?」


 笑顔で圧をかけてくるけど、彼女が狙った圧はまったくなかった。静かに怒ることに関しては、黒冬さんが一枚も二枚も――どころか十枚も上手だった。

 雪門のイメージが黒冬さんなのだから、今の雪門に勝ち目なんてないけどさ……。


「ごめん、ちょっと人を探しててさ……、ほら、見つけたぞ」

「? 誰を?」


 ――おいおい、まさか待っている内に忘れたのか?


「誰って……まあいいや――――はい、黒冬さん」


 おれの背後から、襖を開けて顔を出した黒冬さん。もちろん雪門同士、面識はあると思うけど……いや、同じ体にいたなら向き合うのは初めてなのかな……初めてのケースなのでおれもよく分からない。ふたりともやや照れているのは……なんで?


 変化が顕著に出たのは黒冬さんだった。

 彼女の耳が、分かりやすく赤くなっている。


「え。……え、ほんとに、黒冬さん……?」


「ええ……そうよ、私が、」


 ――雪門が勢いよく飛び出して。おれを横へ突き飛ばし、黒冬さんに飛びかかった――距離が詰まる。そこで、ぎゅっと、抱き着いた。

 彼女の突撃を支えられなくてバランスを崩した黒冬さんは、勢いのまま雪門に押し倒されてしまい……畳とは言え、受け身が取れなければ痛いだけだ。


「っ、ちょ――あなた、ね……っ」


「どこいってたの!? ず、っと、ずぅぅぅっっとっ、探したんだからぁっ!!」


 同じ顔が抱き合っていた……いや、じっくりと見ればやっぱり同じではなかった。性格が顔に出ているのか、雪門が幼く見える。

 彼女の顔には先日までは黒冬さんが入っていたのに……イメージというのは現実も歪めてしまうのか。こっちが勝手に、イメージに合わせて見えている顔を変えてしまうのかもしれない……。

 黒冬さんの方は同じ顔でも、ひとつふたつは上に見えるように。


「ねえ、戻ってきてくれるよね? もう、どこにもいかないよね……?」

「それは……」


 言葉に詰まってしまう黒冬さん。

 ……というか雪門は、この状況のおかしな点には気づかないのだろうか……。


「雪門」

「ん? なーに、神谷くん」

「黒冬さん……と、お前。ふたりに増えてるんだけど……いいの?」


 雪門を指し、黒冬さんを指し……左右に揺れる指の動きを目で追う雪門が、遅れて……「あ」と気づいたようだ。


「あれ……? 黒冬さん……この体どうしたの?」

「神谷くんのおかげよ」


 おれのおかげではないけど。この土地のおかげかな。……神谷家のもので、だからおれのおかげとも言えるけど……ちょっと無理やりだ。繋がるというだけでおれが黒冬さんにした貢献度は低い。……ないとも言えるし。


 だから意図は別にあって――黒冬さんは説明を放棄したのだ。

 こう言えば雪門の意識がおれに向くと分かっていて……丸投げした。


「ふーん……そうなんだ?」

「まあ……そういうことだ。とりあえず落ち着け? ちゃんと説明するから――」


 雪門を黒冬さんから引き剥がし……聞く体勢を作らせる。脳が熱を持っていたので、クールダウンも兼ねて台所からお茶を持ってくる。頭を使った上にばたばたしたせいか、体も熱くなってきた……夏の暑さとはまた違った熱さだ。


 ここはキンキンに冷えた飲み物の方がいいだろう。

 台所にいくと雛姉がいた。


「あ、陽ちゃん、お昼ごはんはどうする? もう持っていってもいい?」

「あー……じゃあ、十分後くらいでもいい?」

「大丈夫よ」


 冷えたお茶とコップを持って居間に戻った。家族全員が揃っても狭くならない広さの居間なので、大きなテーブルが真ん中にある。そこで、向かい合うそっくりなふたり……ほとんど同じだけど、些細な違いが見て分かるので、まるで姉妹のようだった。


 そっくりだけど双子でないのは、年の差まで分かるからだった。


 ――昼と夜。生まれた時から昼夜で分かれ、見たものや経験を共有しているなら、感想も言い合っているはず……。なら、本当に姉妹だとも言えるのか。


 雪門からすれば、ずっと一緒だった姉が急にいなくなるようなものだ。

 当然、すぐに納得できるわけもないだろう。

 意見が対立するのは目に見えていた。


 事情を説明すれば、案の定、雪門は首を左右に振った。

 黒冬さんが消える必要なんかない――と、駄々をこねている。

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