第17話 自衛と自傷


「みんなの前でさ、空気を読んで、ヘラヘラして……ッ! 愛想を振りまいて媚を売って、自分だけは狙い撃ちにされないように上手く立ち回って……ッッ。嘘をついて、人の輪に紛れて――友達を騙したことも裏切ったこともあるッ! 私が一番、嫌いな生き方なのに……ッッ!!」


 仕方ないよ。

 そうしないといけない理由が、舞衣にはある。


 湧き上がる激情を抑える。

 そうしなければ周りに、無差別に影響を与えるように『悪感情』を振りまいてしまうのだ。

 舞衣がまだ小さかった頃は、感情のコントロールができていなかったから大変だった……舞衣が怒れば周りも怒る。それが連鎖し、怒りが怒りを呼んでの悪循環。


 それで何度、壊れないはずの人間関係が壊れたか……。

 怒りが鎮まれば「はい元通り」でもないのだ。そこが厄介なところでもある……。


 ――舞衣が怒らなければ問題も起こらない。

 舞衣がいじめられて、仲間外れにされないためには、それが最も効果的だった。


 ただ――舞衣が悪感情を溜め込んでしまうという大きなデメリットがあったが。


 喜びは振りまいた方がいいけど、人間の感情がひとつに偏ることはまずない。喜びがあれば怒りがあるし、哀しみだってある……。喜びだけを吐き出してそれ以外を溜め込めば、いつか爆発するのは舞衣自身なのだ。


 ――だって、喜怒哀楽を、持っているのだから。


「ふざけないでよ……、吐き気がするの……こんなの、クズじゃん……ッッ」

「かもなあ……」


 吐き出す言葉はなんでもいいのだ。溜め込んでいた悪感情さえ外に出せれば、そこに事実を含める必要はない、のだけど……。舞衣は事実を基に、悪態をついている。


 ……おれのことを言っているわけではない、というのは分かった。


 舞衣が見せる嫌悪はおれに向いていない。

 吐く毒の強さは加減を知らなかった。

 だからこれは――容赦なく、相手を攻撃するための言葉だ。


 ……舞衣が攻撃する相手は決まっている……そんなの、自分自身しか、いない。


 自分自身を罵倒している。

 でも、それは新たな火種を生んでいるだけの気もするけど……。



「もう――死んじゃえばいいのに……」



「それは……」


 違うぞ、と否定しかけたその時。

 後ろに気配があった。


 ――振り返れば、雪門がいた。


 ……っ、まずい! 今の舞衣に悪影響を受けて、雪門まで――――



「っ、どうしてっ!! なんで神谷くんがそこまで言われなくちゃならないのッッ!?!?」



「ふ、ぇ……?」


 雪門の怒声に、舞衣が怯んだ。

 小走りで詰め寄ってくる雪門に気圧され、舞衣が後退する。

 背中が壁にぶつかり、これ以上は引くことができなかった。


「家族なのにッ、兄妹なのにッ!! どうしてそんな酷いことが言えるの!?」


「っ、ダメ……っ、私に、近づいたら……――っ、ダメなの!!」


「? 汗臭いのは気にしないから」

「雪門。……そういうことじゃないんだよ」


 そういう意味もあったかもしれないが、舞衣が危惧しているのは汗ではなく悪影響の方だ。


 舞衣の怒りが、雪門の怒りをさらにヒートアップさせてしまうだろう……。その先に待っているのは、修正不可能なほどに破綻した人間関係だ。


 それが嫌で、舞衣は一度、引きこもっている。

 雪門の行動は、舞衣のトラウマを乱暴にほじくり返すようなものだった。


「謝って」

「…………ごめん、なさい……」


「あたしじゃなくて! 神谷くんにっ!」


 舞衣はぐっと、感情を押し殺している。

 雪門の怒りが過熱しないのは、舞衣が必死に自分を殺しているからだった。


 舞衣まで怒りを見せてしまえば、悪影響を受けた雪門の怒りは理不尽なことで周囲に飛び火する……。理由があって怒っているなら、まだ修正はできる段階だ。

 また、舞衣の負担が増えてしまっている……。


「兄貴……」

「おれは気にしてないから……大丈夫だ」


「でも、私……言っちゃ、いけないこと……」


「分かってる。おれに言ったわけじゃない。――けどさ、あれは自分に言ったんだろ?」


「…………」

「だとしたら、違うぞ。舞衣……、お前がいなくなるくらいなら、全人類が壊れた方がマシだって思う。舞衣の力で全てを壊してしまってもいい――。舞衣が消えるより、そっちの方が数百倍もマシなんだ」


 結局、最優先は家族だ。

 そして、妹だ――妹ふたりよりも優先するべきことがあるか?


「……よーにぃ……」


 雪門を横へ突き飛ばし、舞衣が抱き着いてくる。……汗だくのまま。


 気にしないつもりだったけど、やっぱりいざ密着すると、湿ったシャツの感触はあまり良くは思えなくて……。


 匂いは気にしないけど、ひんやりと冷たいのは夏なら歓迎のはずなのに、今だけはちょっと不快だった。……あー、でも、ここで引き剥がすのは違うな。


「おれは味方だって言っただろ」


 舞衣の背中をぽんぽん、と叩く。蝶々とは違った、毎日運動をしていることで鍛えられた筋肉質な体だ。それでも女性的な色気は消えていない。


 汗の匂いとは違って、はっきりと区別できる舞衣の嗅ぎ慣れた匂いは、おれの落ち着きを取り戻させてくれる。


 喧嘩したわけではないけど、無事、おれたちは仲直りができた。


「??」と首を傾げている雪門には、おれたちの事情を説明する余裕もなかった。


 訳が分からないのは当然だよな……、ちゃんと説明するよ。

 また見られた時に勘違いされても面倒だしな……。


 これからうちに入り浸る以上は、ある程度の事情は話しておかないと度々誤解されることになる。誤解されるだけならまだいいけど、彼女の場合は事情そのものをかき乱しそうだし……。


 膠着状態を動かすだけなら、まだいいが……悪化させられると最悪だ。


「……あの、兄貴……もう大丈夫だから……」


 昔の呼び方から元に戻っていた……じゃあ、落ち着いたのか。

 強がりでなければ、だけど。


「そうか……じゃあ離れるか?」

「落ち着いたけど、このままがいい――」


 なんでだよ。

 と言いたいところだが、甘えてくるなら「大丈夫」も強がりの可能性が出てきた。


 妹の言葉を鵜呑みにして離れるのはまだ早いと思った……それでも。


「う……やっぱり汗がくっついて気持ち悪ぃ……」

「ばかぁ……っっ」


 しまった、せっかく落ち着いた(であろう)舞衣の感情を逆撫でしてしまった。

 荒い呼吸を繰り返す舞衣の背中を優しく撫でて……今度こそ、落ち着きを取り戻させる。


 すぐ傍では、雪門が心配そうにおれたちを見てくれていた。

 余計なことをしてしまった、と気づいたか……?


 でも、嬉しかった。

 悪手ではあったけど、あの主張を迷惑に思うことはない。


「雪門、雛姉を呼んできてくれ――

 雛姉だけでいいから。蝶々は近づけさせないように……頼む」


「わ、分かったっ!」


 とととっ、と居間へ戻っていく雪門。


 雛姉が駆けつけてくれるまで、おれは舞衣を抱きしめ続けた。

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