第38話 氷の女王

「…………ありがとうございました、先生」

「はい。今日覚えたこと、ちゃんと家で復習しておいてね」


 居間でおばあちゃんと和菓子を食べながら一息つく。ふぅ、と温かいお茶を飲んで……まったりと過ごす。今頃みんなどうしてるかな……とか考える。

 そんなことよりも夕飯前なのに和菓子なんて食べちゃって大丈夫かな? まあ、小さな栗饅頭だし、大丈夫だろう……と、意識を逸らし続けているとおばあちゃんが切り出した。


「いきたいのよね?」

「え?」


「陽ちゃんの居場所が、分かっているのよね?」

「…………うん」


 おばあちゃんは、やっぱりね、と手を打った。


「黒冬さんは、絶対そこにいると思うの……あ、絶対かは分かんない、けど……」


 でも、たぶんいる。きっと。――絶対に。

 ころころと意見が変わって矛盾しているけど、なぜか確信があったのだ。

 黒冬さんは、あの場所で待っているのだと――。


「そう…………なら、いきなさい」

「…………いいの?」


 あたしの遠慮に、おばあちゃんが、くす、と笑った。


「今日か明日、きっと深月ちゃんは約束を破っていくのでしょう? さすがに無断ではいかないだろうから、置手紙でも書いて……。だって、このまま新学期を迎えたくはないのでしょうし……だからリスクを取ってでも探しにいくのかな、と思ったの」


「…………」


 ……見破られていた。

 今日か、明日か……あたしは絶対に動いていたはずだから。


「あの人には私から連絡をしておくから……いきなさい。あなたにしか入り込めない部分があるのかもしれないわね。それに――今日も明日も、あなたの人生なのだから」


 不利益を被るのは自分。

 責任を取るのも……あたしだ。


「あなたが後悔しない生き方をすればいいの」

「――――うん。ありがとう、おばあちゃん」



 大きく手を振っておばあちゃんと別れ、あたしは早速思い当たる場所へ向かうことにした。

 ……夕暮れもそろそろ終わり、薄暗くなる頃だ。その後はあっという間に真っ暗になる。

 帰るのが遅くなる、とママにはメッセージを入れて、目的地へ向かった。



 夜の学校。

 部活終わりの生徒がいたからまだ少し騒がしいけど、もうすぐみんな帰ると思う。

 あたしは私服だし、普通に歩くと目立ってしまうので、隠れながら校舎の中へ。


 思いついている場所の候補はふたつあって、ひとつは高校の教室。

 もうひとつは中学三年生の時に使っていた教室だ。


 ひとまず近い方から向かうことにして――まずは中学の教室へ。


 中高一貫なので同じ敷地内にある。どっちかが外れでもすぐにもう片方の教室へ移動することができる。こういう時、中高一貫って便利だ。

 ただ、両方が外れの場合もあるんだけど……その場合はもう帰るしかない……。


 ふたつとも外れたら、明日、また候補を見つけなければならない……。

 明日が今日以上に忙しくなる。そうなった時のことを考えて、足を運ぶのを今日にしたのだ。

 この場に明日きて、収穫なしだったら次の一歩が遅れてしまうから……。


 ――電気は点いていなかった。


 だから教室を使っている人はいない……。

 たぶん、人が近づかないようにしているのだと思う。……おっと、当たりかな。


 だって、教室に近づけば近づくほど、寒気が感じられるようになっている。

 気温低下によるものよりも、これは単純に、恐怖の方だ。

 先が見えない真っ暗なトンネルを前にして、足が進まなくなるような感覚。

 迂回できるなら、人はそっちを選ぶだろうね。


 でも、あたしにはこの道しかない。

 どれだけ本能に訴えかけてくる恐怖があっても、進むしかないんだから。


 ……扉を開ける。


 窓の外を見つめていた和服の少女は――――あたしだ。

 夏休み直前まではあたしだった……黒冬さん。


 そして、教室の後ろにある、目立った氷塊。中にいるのは…………神谷くん?

 ――神谷くんだった……見つけたっ。


 やっぱり、世界各地に残っていた痕跡は偽物だったんだね。



「…………見つけたよ、黒冬さん……」

「ええ、見つかったわね、深月」


 教室も外も暗いけど、駅前のビルの光や上からの月明りで、先が見えない闇ではなかった。

 ……黒冬さんは振り返らない。


 窓の外、見慣れているはずの校庭を見つめながら。不意に吹き込む風で髪がなびく。

 その髪を、指で耳にかけた――「見つけたけど、どうするの?」


「…………神谷くんを、返してよ」

「どうして?」


「どうして? ――っ、だって神谷くんは大切な人だから!!」

「私にとってもそうなのだけど」


 そこで、初めて黒冬さんが振り返った。

 あたしを一瞥してから、彼女の手が氷塊に触れる……。

 優しい手つきと柔和な表情で、神谷くんのことを愛おしく想っていることがよく分かった。


「……私の、旦那様なの」

「……は?」


「前世のね。私の前世――というか私なのだけど。私と、神谷くんの前世である『彼』は、夫婦だったの……。まさか神谷くんがそうだったなんて……運命よね。それとも私のことを追いかけてきてくれたのかしら。まあ、彼の人格は今世の神谷くんに覆われてしまって分からなかったけれど――端々から見える人格は確実のあの人だったわ。見せた剣さばきも彼そのものだったのよ――」


 剣さばきと言えば、道場で見せてくれた技のことかな。それを見ただけで、神谷くんを前世の知り合いだと思ったの? ……それだけで? 確証はないはずなのに。


 確実じゃない。

 そんな理由で神谷くんを攫って――さらには人払いまでしてこの教室に籠城したの!?


 ――神谷くんを、氷漬けにして!!


「この氷? もちろん意味ならあるわよ? この氷は私の力で作られているし、私がこうして傍にいることで雪女の力が流れていっているの……。分かりやすく言えば妖怪の力……『妖力』かしら。神谷の土地が源泉なの。夏休みの間、土地に触れていることで溜め込んだ妖力を神谷くんに注いでいる状態ね。ただの人間ではない神谷くんに妖力を流し続ければどうなると思う? いくつもの層を跨いだ向こう側にいる人格が、妖力によって引っ張り出されてもおかしくないでしょう?」


 それって……地中深くで丸まって眠っていた幼虫に、土の上から栄養水を流し込んだら成長して土の上に出てくるみたいなこと?


「私としては、神谷くんの人格を乗っ取って、彼が出てきてくれることを望むけど」

「…………それ、今の神谷くんはいらないって言ってるように聞こえるよ……」

「そう言ってるの」


 黒冬さんは冷たい声と視線で。……雪女とか関係ない。黒冬さんの『自分だけが満足すればそれでいい』ってわがままが、表に出てきてる……っ。


「っ、――神谷くんに助けられたじゃん! その恩を仇で返すのッ!?」


「神谷くんの行動は、あの人の影響があるからよ。だから神谷くんは神谷くんじゃなくて……もう、あの人と言ってもいいと思うのよ――」


「でもっ、神谷くんは黒冬さんのことが好きだったんだよ!?」

「ええ、そうみたいね」


 分かっていた、と黒冬さんが頷いた。好意を受け取るかどうかは黒冬さん次第だけど、でも……断るならまだしも、神谷くんの人格を奪うなんて、そんなの――――


「やり過ぎだよ」


「深月には分からないことよ。来世で再会したかつて愛した人が、このまま今世の子供の人格に奪われて消えていく……それを黙って見ていることなんてできないわ。私と深月のように分裂できたなら良かったのだけどね……。神谷の土地でずっと生活していた神谷くんが、その影響を強く受けることはもうないわ――。良くも悪くも、彼は土地に慣れてしまっているから……」


 つまり、神谷くんと神谷くんの前世が別々になることはもうない。


 だから、黒冬さんは荒療治に出たんだ……。今の神谷くんを上書きするように、前世の彼の存在を高めることで……――今世での再会を、望んだ。


「……気持ちは、分かるけど……」


「そう? ありがとう。でも、分からなくても私は同じことをしたわ。こんなチャンスはもう二度とこない。それに時間だってもうないの。彼がこのまま消えてしまう前にできることをする。……深月。深月も、神谷くんのことが好きなのでしょう?」


「うん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る