第39話 氷は砕かれる。
「深月も、神谷くんのことが好きなのでしょう?」
「うん」
もちろん、今世を生きる神谷くんだ。
今の神谷くんが前世の彼の影響を強く受けているとしても、それは親を見て育った子供みたいなものだ。影響を受けてはいるけど、最後に考えて動いたのは本人だから……。
神谷くんは前世の影響を受けてはいても、自分の考えで動いているはず。
あたしへの接し方に、前世は関係ない。
今世を生きる神谷陽壱くんが、あたし――雪門深月に接してくれたことだから。
黒冬さんではなく、あたしに。
夏休み中ずっと一緒に過ごした神谷くんを好きになったら……ダメなの?
「……おかしな運命よね。私は神谷くんの前世と愛を育んで、私の来世は今世の神谷くんに恋をした。今世の神谷くんは、前世のあたしに……好意を寄せてくれている。後ろも前も、世間は狭いと言うべきかしら」
雪門深月が神谷家の傍で生まれたのは、前世も関係しているのかもしれない――と、黒冬さんは言っていたけど、後付けな気もする。
なんでもかんでも最初から決まっていたことではないはずだよ。
面白い偶然ではあるけどね……。誰が誰に恋をして、どうしてあたしたちが分裂したのか……それはもう、理由がない偶然のはずだ。
――あたしの恋心は、誰かに決められたものじゃない!!
「ダメだよ……たとえ黒冬さんでも――――ここは譲れない」
「神谷くんを独占する気? でも、恋って、そういうことなのよね」
黒冬さんだって、神谷くんの前世を独占しようとしている……ずるい。
よーいどんで競争しても勝てないと思うけど……、なのに黒冬さんが抜け駆けして先行してしまえば、もっと手が出なくなる。足だって……。
卑怯だよ。雪女の力を使って好きな人を抱え込むのは……やっぱりルール違反だ!
「やり直しを要求するよ!」
「手段を選ばないことで必死さと絶対に負けられない戦いだってことを分かってほしかったけど。そもそもルールなんてないわよ。これは喧嘩……でしょう? 私は深月と敵対しているの。勝ち目を残すわけないでしょう?」
黒冬さんが氷塊に寄り添った。
頬を氷塊にくっつけ、神谷くんを氷の上から抱きしめた。
「――この人は渡せない。たとえ深月でもね……――絶対に譲れない人なの」
「それは、でもあたし、だっ、て…………?」
え? と顔に出ていたようで、あたしの表情に気づいた黒冬さんが氷塊を見上げた。
透き通る中身を。神谷くんを、見て――――「目が、開いてる……?」
あは、と、黒冬さんが小さく飛び跳ねた。
まるで子供に戻ったように――無邪気に喜んでいた。
「やっと、戻ってきてくれたのね…………陽士郎」
氷塊の中で目を開けた神谷くん。……意識はあるみたいだ。
だけど氷漬けになっているので動くことはできなかった。
それでも身じろぎしているように見えるのは、氷の表面だから見える錯覚なのかな?
――黒冬さんが氷塊を砕いた。
ガラスが割れたような音が響き、神谷くんがふわり、と降下する。
両足で着地した彼は少しよろめいたが、手をつくほどではなかった。
「陽士郎……なのよね!?」
駆け寄った黒冬さんが期待を込めて神谷くんの腕を掴んだ。
神谷くんは、傍にいる黒冬さんに優しい微笑みを見せて……――。
…………。神谷くん、じゃない……?
もう、あたしが知ってる神谷くんは、いないの……?
大事なものが離れていく感覚。一瞬、地面に立っている感覚がなくなって、真っ直ぐに立っていられず、ふら、とバランスを崩してしまう。
……ダメ、堪えないと……、まだ立っていないと。
でも、膝が笑って、立っていることに苦労した。
神谷くんがいなくなっちゃった事実に、心が折れそうになる。
「私よっ、黒冬! あなたの――」
「知ってるよ」
「あなた……――陽士郎!」
黒冬さんがさらに距離を詰めるけど……神谷くんが手のひらを向けたことで、黒冬さんが大きく仰け反った。
「ちょ、……?」
「知ってるけど、おれは黒冬さんの旦那じゃないよ」
その声は……。その言葉は……――あたしがよく知る、神谷くんのものだった。
「…………え、」
「氷漬けにされている時、きっと黒冬さんの妖力が流れていたからだと思うんだけど……前世の記憶を見たんだ。――陽士郎……『さん』、って付けないぞ? だっておれだしな。陽士郎と黒冬さんの夫婦生活をこれでもかと見せられたよ。正直、こっちはこっちで地獄だった……だって好きな人がさ、自分の前世とは言え知らない男と幸せそうに暮らしているんだ、発狂するかと思ったぞ」
神谷くんの好きな人。……分かっていたことだけど、本人からそうあらためて言われるとショックだった。……あたしじゃなくて、黒冬さんが好きなんだよね……。
「ずっと見てたんだ。たぶん、出会いから最後まで……夢を見ているようなものだから抜けているところもあるけど――うん、ほとんど見たと思う」
神谷くんは前世の思い出を知っている。……じゃあ、人格が前世に上書きされていなくとも、記憶があるなら今の神谷くんは前世の人だって言えるんじゃ……?
黒冬さんと思い出が共有できるなら、この世界で夫婦になることも――。
そのつもりがあるなら、神谷くんにとっては望むところってこと……?
あたしが止めても、もう止まらないところまできているのかもしれない。
「……もう、陽士郎でも神谷くんでもいいの。前世で交わした約束、守ってくれてありがとう。しかも来世でも守ってくれるなんて……。好きよ、あなた。今世でもまた一緒に暮らしましょう? だって、私たちは夫婦なのだから」
黒冬さんが神谷くんに体重を預けた。
抱き着いているわけではないけど、黒冬さんが一方的にじゃれているのは分かった。
神谷くんは……苦笑している。
その表情は、黒冬さんの提案を喜んで受け入れる――とは、言い切れなかった。
「黒冬さん、悪いけど無理だ……おれは陽士郎じゃない」
神谷くんが黒冬さんの両肩を掴んで、ぐっと押し、体と体に隙間を作る。
「陽士郎と黒冬さんの思い出を知っても、その心まで引き継いだわけじゃないから」
「……でもっ、私はあなたのことが好きなのよ!? 陽士郎も神谷くんも同じようなものでしょう!? だから私は全然気にし――」
「本当に?」
核心を突いた神谷くんの一言に、黒冬さんが動揺していた。
「……ぇ?」
「黒冬さんは、おれを陽士郎として見ることができる?」
「…………、それは……」
「たぶん無理でしょ。おれは黒冬さんが好きだけど、だからこそ黒冬さんがおれを見ていないって分かってしまう。おれの後ろにいる陽士郎を見ていることが分かってしまうんだよ……。それって――とても残酷なことじゃないか?」
……うん。分かる。神谷くんは黒冬さんが好きで、だから見た目がそっくりなあたしに黒冬さんを重ねて、あたしと接することもあるけど……見られたあたしはすぐに分かってしまう。
あぁ、神谷くんは今、あたしを通して黒冬さんを見ているんだってことが……。
でも、神谷くんの場合は最初だけだった。今はもうあたしの後ろにいる黒冬さんを見ていない。
そういう見られ方が嫌だからこそ、神谷くんは意識してくれているんだ。
黒冬さんじゃなくて、雪門深月を見てくれている。
だからそこに好意がないのは、当然だった……。
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