第40話 夏が終わる……

「向き合っていても視線が違う方へいっているなら、上手くいかないよ」

「…………それでもいいから隣にいなさいと言ったら?」


「おれを陽士郎として扱うお人形遊びをしたいの? そんなことにおれが付き合うとでも?」

「っ、ならッ! ……もう、陽士郎は戻ってこないの……?」


「そうだよ。だってここは黒冬さんが生きた時代じゃない。黒冬さんは前世の人間で――ここはおれたちが生きる『来世』の世界なんだから」


 本来なら、黒冬さんが表に出てくることはなかったんだ。

 ところがあたしの場合は、前世の人格が表に出たまま生まれてしまった……。

 小さい頃からあたしを動かしていたのは、黒冬さんだった。


 偶然なのかな……あたしを横へ押しのけて、転生してきた……それが黒冬さん。


 神谷家みたいに妖怪の力が強くなる土地にいたのかもしれない。あたしを身ごもる前、お母さんは神社とか好きでよく足を運んでいたと言っていたし……その影響もあるかもしれない。


「……悪いけど、黒冬さんが今世で満足することはできないよ。陽士郎はいないし、おれも黒冬さんの気持ちには応えられない。黒冬さんの気持ちが他にいっている以上はもう……――今まで好きだったのは確かだけど、黒冬さんへの好意は冷めちゃったんだ」


「…………それを、私に言うのね……」

「迷ったけどね……他に言葉が見つからなかったんだ」


「飽きた、でもいいでしょう?」

「飽きたわけじゃない。ガッカリしたわけでもない……ただ冷めただけなんだ」


 ――嫌いになったわけじゃない、と神谷くん。

 ただただ、好きではなくなっただけ……らしい。


「黒冬さんがこのまま神谷家にい続けるなら歓迎するけど…………どうするの?」

「…………」


「いくら待っても、陽士郎はもう戻ってこないんじゃないかな?」

「……そうね。神谷くんの中から陽士郎の気配が感じられないから……――あなたの強い意志に負けて、沈んでしまったのかもしれないわね……」


 それが普通のこと、だと思っても……やっぱり少し悲しい。

 あたしからすれば当たり前のようにいた黒冬さんが消えたようなものだから……。



「え。……ッ、黒冬さん!?!?」


 足下。黒冬さんの足首から下が、見えなかった。

 だんだんと、薄くなっていっている……着ていた和服まで一緒に……っ!?


「……あら。そっか、神谷の土地から離れたせいね……夏休みの間、随分と溜め込んだつもりだったのだけど……。人払いと全世界へ残した偽物の痕跡。そして神谷くんを捕らえた氷塊……。これだけ使えば、私の中にあった妖力はすっからかんになるわよね」


 ――消えるのは時間の問題ね、と。

 黒冬さんが、さらっと言った。


「え!? ……消える? ――どうして!?!?」


「どうして、って……だってそうでしょう? 私は神谷家でこの体を構築できたのよ? 本来なら神谷の土地でしか活動もできなかったはず。こうして移動できているのは、長い時間をかけて溜め込んだ妖力のおかげなの……。だから当然、妖力がなくれば肉体も崩壊する。その後でまたあなたの体に戻る都合の良い展開はないわ。肉体が消えれば心も消える……私は、ここで二度目の死を迎えることになるの」


 説明されれば納得できる理屈ではあるけど……でも――だったら早く神谷家に戻って妖力を補充すれば、体はまた元に戻るってことだよね!?


「早く戻ろうよ!」

「…………」


 黒冬さんは動かない。だったら神谷くんに頼れば――。

 なのに、神谷くんも動かない。


「神谷くんッ!!」


「――もう無理だ」


「ええ。だって私、もう足がないから動けないの」


 やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめる黒冬さん。

 余裕を見せている間にも、黒冬さんの体は消えていっている――。


「じゃ、じゃあっ、神谷くんが抱えて戻れば、」

「ダメだ、間に合わない」

「どうしてよ!?」


「見て分かるだろ。消える速度が早いんだ。……今から学校を出て家に向かっても、間に合うわけがない」

「神谷くんの足が遅いからぁッッ!!」


「それもあるけどさ……車を使っても難しいと思うぞ。それだけ、もう妖力がないんだ。……たぶん、今の消えかかっている体を維持するだけで膨大な量の妖力を使ってる。消える速度を緩めるように妖力を使えば、当然、妖力は温存されないし、あっという間に消えていく。……もう詰んでるんだよ……助からない」


「うぅ……ゃ、だよ……――なんとかしてよッッ!!」

「無茶言うなよ」

「好きな気持ちが冷めたら助けないの!? そんな冷たい人間だったのっ、神谷くんはッッ!!」



「……助けられないと分かった人を、ギリギリまで助けようと足掻くのか? それもいいな。でもおれはさ……消えると分かっている人とは最後まで喋りたいんだよ。助けるために足掻いて足掻いて――結果、最後の言葉も交わせなかったんじゃあ、後悔する。おれは、そういう後悔だけはしたくない」


 言われて、はっとした部分もある。でも……納得できない部分もあったのだ。


「……失敗することを考えて助けようなんて……しないよ……っ」

「雪門はそうなんだな。……立派だな」


 褒めているようで、その実、呆れてる言い方だった。

 はいはい、とあしらうような言い方が、神谷くんが出した今のあたしへの評価だ。


「雪門は、だったら今すぐ家に戻れる確実な方法を考えてくれ」

「それは……」

「ほら、タイムリミットは数分もないぞ。さあ考えろ。その間におれは黒冬さんと話すから」


 突き放す言い方だった。あたしを非難するような言葉と口調で……。神谷くんの態度に覚悟を感じたし、そこまですればもうどうにもならないんだって……分からされた。


「…………ごめんなさい、神谷くん……」

「そっか」


 冷たい口調は変わらない……でも。


「分かったなら早くこっちへこい」


 視線は向けない。それでも手を伸ばしてくれた。あたしはその手を掴む……と、ぐっと引かれて、無意識なのかもしれない――彼の手があたしの肩を抱いた。

 密着するように引き寄せてくれる。


「なに? 私への当てつけ? こっちはこっちで仲良くやりますってこと?」

「――雪門のことは任せろ。あとのことは、おれが面倒を見るから……だから」


「安心できると思う?」

「させないとな」

「なら、形だけでも安心しないといけないわね」


 あうあう、と、神谷くんと密着したことであたしはパニックだった!

 え!? だき、だだっ、抱きしめっ、られてる!?!?


「深月、良かったわね」

「ほんとですか!?」

「話が噛み合ってないっぽいけど……?」


 動揺が落ち着いたのは、黒冬さんの冷たい手が頬に触れた瞬間だった。

 気づけば黒冬さんは、残り三分の一しか、体がなかった。


「黒冬さん……!?」


 既に、その冷たい手も取れなかった。


「ねえ、神谷くん」

「ん?」


「陽士郎は、私のことをどう思っていたの? あの人はさ、好きって多くは語らなかったから……本当に私が作るご飯だけを目的にしていた可能性もあると思うの……。私のことが好きだったのではなくて、私が作る料理が好きで…………」


「愛情を感じられなかったのか?」

「…………そんなことはないけど」


「じゃあ、それが答えなんじゃないの? おれは、だから陽士郎じゃないんだよ。前世の記憶をちらっと覗いただけで、気持ちを共有したわけじゃない。だから、おれが黒冬さんを好きだったのは陽士郎の影響じゃなく、今のおれの気持ちだったんだ。陽士郎の気持ちだったら『冷める』なんてないはずだろ?」


 たとえ黒冬さんの気持ちが別のところへいっても、陽士郎さんなら好きでい続けた――他人と仲良くしている黒冬さんを見て冷めたなら、その程度だったってことかな。

 神谷くんの気持ちが、陽士郎さんの愛情に勝るわけがないんだから。


「そう、ね……うん。私が愛した陽士郎を信じるわ」

「それがいいよ」


 ちら、と。黒冬さんがあたしを見た。

 これで最後ね、と一言、添えられた気がした。


「長い旅路になりそうね」

「え?」


「がんばって、深月」


 そう言って――――、黒冬さんはあたしたちの前から姿を消した。


 彼女の温もりは、もう世界のどこにも、残っていなかった……。



「次は来世で会おうな、黒冬さん」

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