終幕
第41話 兄と姉
黒冬さんが消えた日の夜。
おれは縁側で星を見ながら…………、眠れなかったのだ。
明日は夏休み最後の一日。でも、そこに黒冬さんはいない……。
「家にはばあちゃんしかいねえし……。みんな、おれを探す建前で出かけて、ただの小旅行のつもりなんじゃないか……?」
雛姉と蝶々は真面目に探してくれていると思うけど、飛鳥と舞衣は人探しを忘れて観光地で満喫していそうだ。
というか、おれが攫われて、どうして地元をまず探さないんだ?
季節外れの積雪の痕跡はそりゃ目を引くけど、黒冬さんのフェイクだとすぐに分かるはずだ。フェイクでなければ、あらためて探しにいけばいいし……。
まずは国内だろう。地元を探すのが先決のはずだ。身近なところで学校が一番、優先度が高いはず……、なぜ、そこをあえて外したんだよ。
呆れて溜息が出たけど、氷塊の中で目を覚ました時、まず見えたのが雪門だった。
彼女が、一番早くおれを見つけてくれたのだ……――いや。
「ああ、そっか……。雪門が一番先に見つけられるようにお膳立てをしたのか……」
家族以外に遠出を強いることはできない……じいちゃんならそう言うだろう。
海外なんて論外だ。妖怪関係なく、普通に海を渡る途中で事故に会う可能性だって低いわけではない。国内であっても県を跨げば同じことだけど……学校なら、毎日通っていた道だ。雪門でもひとりで辿り着ける場所と言える。
「――だよな。だってこれは、おれと黒冬さん……雪門の問題だ」
おれ以外の神谷家の人間が出る幕ではない。それを全員が理解し、身を引いた。
雪門に勘付かれないように各々が理由を付けて雪門を残し、彼女が探すべき場所を空白にした。
徹底したお膳立ての後、雪門は辿り着いたのだ。
「…………」
――黒冬さんはいない。
覚悟を決めて見送ったはずなのに、頭の中をぐるぐると回っているのは、記憶だ。
前世のではなく。
恋する以前から、遠目で見ていた頃から続いていた短くも濃かった黒冬さんとの思い出だ。一方的なものでも、確かにおれの数年間を占めていた女の子と言える。
たとえるなら、アイドルを推していたようなものだけど、その子が引退してしまった喪失感とはまた違う。いざとなれば引退後も動向を追える元アイドルとは違って、黒冬さんのことはもう追いかけられないのだ。
したくても、ストーキングはもうできないのだから……。
その時、隣に腰を下ろした気配があった。……ばあちゃんかな、と思ってわざわざ見たりはしなかったけど、そのせいで不意を突かれた。
横から手が伸び、優しく、でも力強くおれを引き寄せる。急に引かれたので堪えられず、体を倒す――おれの側頭部は柔らかい枕に沈み込んで……温かい?
そして、この甘い香りは知っている……雛姉だ。
でも、雛姉は今頃、海外へ飛んでいて……――そっか、ドッペルゲンガーだ。
海外にいきながらドッペルゲンガーを国内に置いておけるなんて……雛姉の力は随分と大きなものになっているらしい。
「よくがまんしたね……陽ちゃん……偉い偉い」
「……なんのこと?」
膝枕をされていた。上を向くと、雛姉と目が合った。それ、弟に向ける目じゃないよ……。
まるで子犬や子猫を抱きしめて安心させるような――おれはペットじゃないんだけどな……。
「偉いって褒められても……おれはなにもしてないよ」
「黒冬ちゃんが消えることを止めなかったよね。本当は深月ちゃんが思うよりも、あの子に残ってほしいと強く思っていたはずなのに」
「…………それは、」
「陽ちゃんはお兄ちゃんだからね……だからがまんしたんだよね?」
そんな、おもちゃの取り合いでおれが身を引いたみたいな言い方……。
あの状況であれば、もう助からないと判断するはずだ。
「必死になれば助かったかもしれないよ?」
……かもしれない。
あの時のおれに、黒冬さんを絶対に助けるという気持ちはなかった。恋が冷めた、なんて言って理由付けにしたけど、まあ、それも嘘ではない。理由の一端でしかなくて――。
本当は…………うん、だからおれは、お兄ちゃんだから。
不安な表情を浮かべていた雪門を、見捨てられなかったのだ。
黒冬さんがいれば自然と、雪門に割ける時間は減っていくから――。
「黒冬ちゃんか、深月ちゃんか……陽ちゃんは『深月ちゃん』を選んだのよね」
「…………まあね」
「好きな子じゃなくて、妹のような存在の子を選んだ。……だから陽ちゃんは、みんなから好かれる『お兄ちゃん』なのよ」
舞衣と蝶々に接するように、雪門にも接していた。
夏休みの間に染みついた関係性は、危機的状況でも覆らなかったのだ。
黒冬さんよりも……。おれは慕ってくれている雪門に時間を使いたいと思ったから。
『まるで妹』ではなく、もうおれの中では『妹』になっているんだよな……。
「――ひとりで抱え込むの?」
おれの頭を撫でていた雛姉の手が止まった。
「…………黒冬さんが消えたのは寂しいけどさ、別に、仲の良かった妖怪が消えていったのは今回が初めてってわけじゃない。……慣れてるよ」
「慣れてることが、弱音を吐かない、悲しくても泣かない理由にはならないよね?」
「じゃあ、なんだよ……泣き叫んで愚痴をこぼしたら、問題が解決するのか?」
強い言葉と口調になってしまったけど、雛姉は気にした素振りもなく、
「少なくとも、吐き出せば陽ちゃんはスッキリするはずでしょう?」
……かもしれない。でも、そんな姿は見せられない――そう、普段なら。
この場にはおれと雛姉(ドッペルゲンガーだけど)と、ばあちゃんだけだ。
「陽ちゃんの目の前にいるのは誰?」
「……雛姉、だけど……」
ドッペルゲンガーであることは置いておく。
「そうよ……陽ちゃんの、『お姉ちゃん』でしょう?」
そっと、雛姉の細い指がおれの髪を軽く撫でた。
「甘えていいの。陽ちゃんにとって甘えられる存在でいられることが、私は嬉しい」
雪門の手前、弱音を吐けなかった。本音を言えなかった……。
あの場で正論しか言えなかったことが、苦しかった。
じわじわとおれの心を浸食していくストレスは、きっといつか、おれを壊していたのだと思う。それが分かっているから、雛姉はこうして駆け付けてくれたのだ。
息抜きも毒抜きも、雛姉がしてくれる――お姉ちゃんが、甘やかしてくれるから。
「よく頑張ったわね、『お兄ちゃん』。今だけは弟として、甘えていいからね?」
「…………うん」
その後のことは、よく覚えていなかった。
まるで夢だったかと思うように、翌朝、目を覚ました時、おれはいつもの布団の上にいた。
……体が軽かった。
心が晴れやかだった。
もう――息苦しくは、なかった。
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