最終話 新学期へ

 夏休み明け。九月一日の登校初日。

 玄関で靴を履くおれの後頭部を叩いたのは舞衣だった。


「兄貴、遅い」

「あいたっ。……おい、頭を叩くことないだろ……」

「勝手に攫われて勝手に帰ってきたこと、まだ許してないからね?」


 遠くまでおれを探してくれていた舞衣と蝶々――雛姉と飛鳥は海外にまでいっていた。実は学校にいたんだよね、とは言いづらかったけど、言わないわけにもいかなかった。

 いざ種明かしをすれば、「それもそっか」と姉妹全員が頷いた……確信犯め。


 雪門に譲ったのだろう、とは指摘しなかった。どうせおれを探す建前を利用して小旅行をしたかっただけでしょ? とは言ったけど。実際、海外組は楽しんでいたらしいし……。

 舞衣と蝶々も国内のご当地グルメを堪能していたようだ。攫われただけのおれよりも随分とまあ良い経験をしていたようで……。こっちは失恋してるんだけど……。


 って、知ったことではないか。

 勝手に惚れて勝手に失恋したのは自分なのだから……家族を責めるのはお門違いだ。


 ともあれ、神谷家の全員が揃ったのは昨日の夜だった。


 夏休み最終日には可能な限り、雪門に黒冬さんと肩を並べられるくらいのクールさを教え込んだけど、それを実際に出せるかと言えばたぶん無理だと思う……。

 やはり違和感は誤魔化せないだろうな。


 いずれ雪門の素がクラスメイトにばれてしまうだろうけど、ゆっくりとばれていくのが理想だ。

 急にばれるのではなく、時間をかけて……。

 そうすれば、クラスメイトも受け入れてくれるはずだ。


「にいさん、途中までいっしょにいこ」


 蝶々に手を引かれる。……いつの間に前にいた?


「あっ、ちょっと待ってよ!」


 舞衣も後ろからおれの背中を押してくる。


「妹たちは朝っぱらから元気だなー」

「飛鳥、制服が乱れてる……直してあげるから止まって」


 雛姉に制服を直される飛鳥を尻目に、蝶々とは途中まで、舞衣とは学校まで一緒に登校することになる。夏の暑さはまだ衰えることがなく、朝でも既に暑い。妹ふたりに前と後ろからくっつかれたせいもあるだろうけど。



 校門で舞衣と別れ、下駄箱に着いたところでやっとひとりになれた。

 体が覚えていた手順で靴を履き替え終えると、背後で聞き慣れた声が聞こえてきた。


「おはよう、雪門さん」

「ええ、おはよう」


 ……ちらりと様子を窺えば、雪門深月が、教えた通りのクールさを発揮しクラスメイトと挨拶を交わしていた。

 夏休みの時に定着していたツインテールではなく、黒冬さんがそこに戻ってきたかのような再現度だった。


 艶のある長い黒髪。手入れが行き届いた白い肌。清楚を体現する彼女の存在感は周囲の注目を一手に集めていた。そんな彼女が、おれに気づいた。


「――神谷くんも、おはよう」

「……ああ、おはよう」


 雪門は自分からおれに挨拶をしない……と注意したかったけど、まあこれくらいは大目に見ようか。雪門がうずうずしながらもがまんして挨拶をするだけに留めたことは、よく堪えたな、と褒めるべきだからな。


 ……さて、いつまであのクールさを維持できるかだが……。


 先に階段を上がっていく雪門を目で追う。向こうもおれの視線に気づいたようで、小さくピースを作る。そして、にかっ、と笑った。…………そういう小さなリアクションを見られてイメージが崩れていくんだけどなあ……。まあ大丈夫、かな。


 ああいう素も見せるようになった、と思われていれば、雪門のクールゆえに距離を詰めにくい冷たいイメージもやがて溶けていくような気がして――――


「神谷」


 ……背後。

 クラスメイトの男子たちが、なぜかおれをじっと見ている……え?


「……、なんだよ」

「今の……――あれはなんだ?」

「あれ?」


「なんで雪門深月がお前に向けてピースをして、滅多に見せないような満面の笑みまで見せたんだ……えぇおい? お前……まさか夏休み中に雪門となにかあったんじゃっ」


 ……見られていたか。

 しかも一番見られたくなかった奴らに見られてる!!


「……少し、距離が縮まったくらいしかないけどな……」

「夏祭り。雪門らしき可愛い子と一緒にいたらしいじゃねえか……」


 あ。……いやでも、その時の雪門はツインテールで今とキャラもまったく違うから――黒冬さんを見られたわけじゃないなら誤魔化せてるはずだぞ!?


「雪門と? いや、知らないけどなあ……」

「雪門深月の素を、お前は知っているんじゃないか?」


「…………」

「――お前、なにを隠してる」


 詰め寄ってくる男子ども。登校時間なので「なんだなんだ」と人がどんどん増えていく。

 ――これは、あれだな……無理して隠すこともないのかもしれない。


 黒冬さんのクールさを真似するよりも、雪門って実はこうだったんだよ、と今の素を明かしてしまった方がお互いに良いんじゃないか……?


 夏休み中の修行が無意味になってしまうが……いや、無駄ではないか。

 雪門にとって花嫁修業の意味はあったわけで。

 黒冬さん以上の魅力的な女性になるための技術は身についているはずなのだから。


「えっと、それはな……」



「あ――――っっ!!」



 この声……。嫌な予感がした。というか嫌な予感が近づいてきていた。

 声の方向を見れば、そこには走って戻ってきていた雪門がいた。


 彼女は清楚を忘れて大胆に大股を開き、感情豊かに仁王立ちしている。

 今の彼女は……怒っている。


 ぷんすか! と擬音が見えているのでまったく怖くはなかったけど……こういう振る舞いも黒冬さんとは真逆だ。そのギャップが、どう評価されるかだが……。


「――神谷くんをいじめないで!!」


 彼女の豹変ぶりに呆然としていた男子どもから奪うように、雪門がおれの手を取った。


「あっ」

「教室までいこ、神谷くん!」


 この場から逃げるのはいいけど、結局教室でみんなから詰められる気がするが……まあいいか。

 夏休み中はあれだけ周りにガッカリされることが嫌で、クールになりたいと思っていた雪門が、今は自分からクールを捨てて素を見せている。


 周りからガッカリされることを受け入れてでも、素でいたい理由ができたのだろう……それはきっと、良いことだ。

 彼女が選んだことなら、それを尊重してやりたい。


「いいのか?」

「いいのっ、だって今のあたしで、神谷くんと一緒に過ごしたいから!」

「そっか」


 全力疾走し、教室に辿り着いた。

 教室の中にはもう生徒が数人いて、勢いよく入ってきたおれたちに驚いていた。


 ……すまん、おはようと挨拶をしてから自分の席へ向かおうとして……でも、雪門はおれの手を離してくれなかった。

 待って、と言わずに、ぐっと手を引っ張られる。


「雪門?」


「みんな、聞いてくれる!?」


 片手を挙げて、ちゅうもーくっ、と雪門らしくない言動にすぐに注目が集まった。

 下駄箱で呆然としていた男子たちも、冷静さを取り戻して教室まで追いついていて……教室内の人口密度が高くなる。


 そんな中で、雪門は言った……言いやがったっ!

 ちょっと待て、それは荒療治が過ぎるだろ!!


「あたしと神谷くん……――実はお付き合いしてまーすっ!!」


 それは、多勢に向けたマウントではない。

 牽制の意味が強いだろう……、あたしのだから手を出すな、と。

 クラスの女子へ威嚇しているのだ。


 でもな、雪門。その宣言は獅子の檻の中に生肉を放り込むようなもので……肉はおれだ。

 そして、獅子は既におれの背後にいるのだ。


「うわぁ……」


 おれの絶体絶命の危機なんか知らないようで、雪門が最大のアピールとして、小さく投げキッスをした。できる限り、一番上のセクシーな行動がそれなのかもしれない……小学生か!

 ませた小学生以下だったけど、それが可愛らしいと言えば否定はしない。


 当然、そのアピールは火に油を注ぐことになり…………背後で燃えている男どもの嫉妬の炎はたとえ黒冬さんの冷気でも抑えられない勢いだっただろう。

 男の数だけ、火柱が上がっていた。



「ふふっ、神谷くん、これからよろしくねっ」



 おれにしても、雪門にしても。


 ――波乱万丈の秋が始まる。




 ―― 夏(終) ――

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黒冬さんと最後の夏。 渡貫とゐち @josho

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