第36話 夏休み最終事件
「神谷くん……っ」
夏祭りの日。
人混みの中ではぐれそうになった時、彼の背中を慌てて追いかけるけど、どんどんと彼は遠くへいってしまって……。たくさんの人の背中に紛れてしまった。
また、置いていかれる……また、頼りにしている人が、あたしの傍から……。
「……ゃ、あ――」
意識していなかったけど、そんな声が漏れた。その時だった。
人混みの中から腕が伸びてきて、あたしの腕を掴んだ。頼りになる、男の子の腕だった。
「ったく……妹より先に迷子になるなよ……。ずっと手、繋いでないとダメか?」
「……うん」
「うん、って……じゃあ、繋いでおくからな?」
神谷くんは「誰かに見られてないといいけどな」と照れていたけど、たぶん口だけ。神谷くんからすれば、あたしのこともふたりの妹と同じように見ているはずなのだ。
好きなのは黒冬さんで、あたしじゃないから……。
だからこうやって、簡単に手を繋ぐことができる。
繋がれたあたしの方は、心臓が破裂しそうなくらい激しく鼓動しているのに……っ。
「……神谷くん、りんご飴」
「え? いや、これから焼きそばとか食うんだけど……」
「りんご飴が食べたいのっ」
ただみんなから距離を取って、ふたりだけの時間を作りたかっただけだ。
ほんの少しでいいから…………神谷くんと、一緒の時間を……。
彼と夏祭りデートをしてみたかったから。
「――ほら、りんご飴」
「ありがと」
「ちょい待ち。……奢られるつもりなのか?」
「あ、そっか……じゃあ払うね」
「いいって。奢る。……奢られることを前提とするなよ、って忠告したかっただけだからな……払う意思があるなら奢るよ。――ほら、そろそろみんなのところにいこうぜ」
あたしに欲と行動力があれば。このまま手を引いて人混みに紛れてしまえば、もっとふたりきりの時間を作れたかもしれないけど……、しなかった。いや、できなかっただけなんだけど……。
その時のあたしに――ううん、今もだけど、そんな勇気はなかったのだ。
同い年だけど、でも、あたしからすれば年上のお兄ちゃんのようで……頼りになる神谷くんだ。
彼に好意を見せるのは、小さな子供がただ懐いているだけのように思われるだろう。きっと、伝えても一蹴されるだろうって思うと、言えなかった。
――まだ時間はある。だからまだ、動く時じゃないよ。そう言い訳をして。
――言い訳を重ねて、あたしは動かなかった。
たぶん、チャンスを棒に振ったあたしへの、これは罰なんだと思う――。
夏休みも残り三日だった。
いつも通り神谷家に顔を出すと、しん、と静かだった……。音がなくても雰囲気で只事ではないのが感じられた。みんなの気配はある……だけど生活音がない。
不穏な空気が屋敷の中に充満していた……。
一応、そっと靴を脱いで居間に顔を出すと――雛先生があたしに気づいた。
「あ。おはよう深月ちゃん」
「おはようございます……あと、おじゃまします……。あの、なにか……?」
「陽壱が攫われた」
――え?
「飛鳥っ、まだ決まったわけじゃないんだからっ」
「目的が分かって動機もあるんだろ? これでふたりで小旅行にいっているだけ、なんてオチなわけがない。あの女は陽壱を攫って……、――っ」
飛鳥さんはその先を口に出すことを躊躇っていた。
「言わなくていいわ」
雛先生が止めてくれたおかげで、飛鳥さんは肩の荷が下りたようだった。
「とにかく、陽ちゃんが攫われちゃったのよ。……深月ちゃん、悪いんだけど、今日の授業は中止でもいいかな?」
それは当然のことだった。ダメ、なんて言うつもりはない。神谷くんが攫われているのに、あたしだけいつも通りに雛先生の授業を受けているなんてアホみたいだ。
あたしも手伝う――ところで、神谷くんは誰に攫われたのかな?
「――深月もきたか。では、今後の方針を話すとしようか」
後ろ。おじいちゃんが顔を出した。さらに後ろには舞衣ちゃんと蝶々ちゃんもいて……おばあちゃんは家事をしているらしい。誰かがやらないといけないなら、おばあちゃんが適任だったのだ。
末っ子ちゃんの後ろに続く人はいなかった。……あれ? もしかして――。
……夏休みの間、ずっと一緒にいたのに。今日、この場にいないのはふたりだけだ……。
神谷くんと、黒冬さん。
じゃあ――――黒冬さんが?
どうして神谷くんを……?
「――世界各地で痕跡が見つかった。……ただ、見つかり過ぎだな。これでは絞れん」
朝のテレビでも報道されていたし、新聞やネット記事でも小さいながらも取り扱われている。テレビタレントの不祥事に隠れてしまっているので、なかなか見つけにくい奥の方へ一瞬で遠ざかっていってしまうけど、情報自体は探せば出てくるのだ。
『突然の凍結』、『各所で積雪』など……。季節外れの雪だった。国によっては雪が当たり前の季節もあるけど、そうでない国で雪が発見されているから異常なのだ。
世界各地で起こっている季節外れの雪の異変と、黒冬さんが神谷くんを攫ったタイミングが一致している……さすがに偶然重なった、とは言えなかった……。
関係している可能性が、かなり高い。
「黒冬は陽壱を連れ、国外へ移動している可能性が高いな」
「海外は多いな……行き先をできるだけ絞るとすれば、どこになるんだ?」
「無理やり絞ったとしても潜伏先までは分からんな。今ある痕跡がフェイクではない、とも言い切れんからなあ……。まだ時間はそう経っておらんが、今から儂らが追いかけるとすれば、さらに時間は積み重なっていく。絞った行き先が増えることになるぞ」
「じゃあどうすんだよ!!」
「…………あいつに連絡をしよう」
「あいつ?」
思わず声に出してしまって、みんなの注目を浴びてしまった。
けど、それも一瞬だった。
おじいちゃんが言う『あいつ』が誰のことなのか、みんなは分かっていた。
「――お母さんに連絡を?」
と、雛先生。神谷くんの、お母さん。まだ一度も会ったことがない……当たり前だけど。
海外でお仕事をしていると前に聞いたことがある。だからこの家どころか日本にもいないのだ。
確か、お仕事は、学者さん? だっけ?
「妖怪にも詳しい考古学者で自慢の娘だ。あいつがすぐに電話を取るとは思えんが……電話をしない理由はないな。必要であればすぐに儂が飛ぶ。だが、全員が海外へいく準備をしておくことだ」
おじいちゃんがあたしたちを見回す。
あたしは目が合わなかったけど――うん! と元気良く頷いて見せた。
……頷いたけど、あたしってパスポート、持ってたっけ……?
『――調べてみたらこっちの周辺にも凍結箇所がいくつかあるみたいね。規模が小さいから問題にはなっていないけど……道路規制もなかったわ。単なる異常気象として片づけられたみたいね。どうする? 調べる範囲を広げてみてもいいけど、小規模な凍結箇所が繰り返し見つかるだけだと思うわ。これを手がかりに陽壱を探すのは難しいと思うけど……』
「そうか……手間をかけたな。ひとまず凍結箇所が特に多い国をいくつかピックアップしてくれ。儂と雛菊、飛鳥がそれぞれの国へ向かってみよう」
『そう? 調べてみるけど……あと、国内はどうなの?』
「除外はしていない。国内は舞衣と蝶々に任せるつもりだ」
『え、蝶々にも手伝わせる気……? だってあの子はまだ、』
「おかあさん。わたし、来年は中学生だよ?」
おじいちゃんの耳元まで近づき、細い声で強く訴える。
電話先のお母さんは、一拍置いてから――
『……そうね、もうそんな歳なのね……』
「めったに帰ってこないから忘れるんだよ」
『……あれ? 蝶々の言葉に棘があるような……?』
「棘のつもりはなかったけど……」
『そうよね。だって私、お母さんだもんねっ』
「棘程度のものだって思われているなら、もっと強く言った方がいい……?」
蝶々ちゃんの言い方に、傍にいたおじいちゃんもゾッとして体を震わせていた。
『…………うん、近い内に帰国するわね……?』
「期待はしないでおく」
その後、黒冬さんが潜伏している可能性が高い国をいくつか聞いて、おじいちゃんが電話を切った。今後の方針が決まれば、動くのは早かった。
「電話で言った通りだ。儂、雛菊、飛鳥は国外。舞衣、蝶々は国内を捜索してくれ。舞衣には夏凜たち『チーム』を、蝶々には『立花財閥』をバックアップとして使う」
「え。……あいつと蝶々を一緒に行動させるの……?」
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