第30話 武より知
時間的にはいつも通りか――
「おはよう神谷くんっ!」と元気いっぱい、飛び込むように顔を出したのは雪門深月だった。
気づけばツインテールが定着している……長年を経て見慣れたように、それが当然であるかのように似合っていた。
今の雪門であれば、その髪型の方が彼女「らしい」。
これまでの雪門は、完全に黒冬さんに引き継がれていったな――。
「あれ? 人がたくさんきてるんだね」
「ああ、来客がな――って、待て雪門!」
「なーに?」と、小首を傾げる雪門を呼び止め、彼女が通り過ぎた玄関を指差す。
正確には、雪門の靴だけが散らかっている様子の玄関を、だ。
黒冬さんならこんなことはしないぞ、とは言わなかった。
誰かと比べるのではなく、雪門深月がそんなことをしては「クールではない」ことをちゃんと教えよう。あと単純に、これでは印象が悪い。
「靴、ちゃんと揃えて」
「あ、ごめん。…………神谷くん、怒ってる……?」
「怒ってない。注意しただけだ。
……アドバイスをしただけだから、落ち込まなくていいんだよ」
しゅん、と肩を落として元気を無くした雪門……。
そんな顔を見たかったわけではないのだ。これから直してくれればいいし、今後も気をつけてくれればもっといい――――それだけの話だ。
そそくさと靴を並べた雪門は、なぜか期待の眼差しでおれを見ている……え?
「…………っっ」
わくわく、と顔に書いてある。おれは横を見て黒冬さんに助けを求めるが……彼女にはゆっくりと目を瞑られた。――見なかったフリ!? と思えば、黒冬さんが頷いた。
こっちが思っているよりも、雪門の精神年齢はもっと低いのかもしれない。生まれてからほとんど人間社会に触れていないとすれば、成長速度も半分以下だし、雪門はまだ小学生くらいの精神年齢とも言えるだろうか。
できて当たり前という理論は、今の雪門には当てはまらないか……?
まだ早いのかもしれない。
「……よくできたな」
雪門の頭を撫でる。彼女は「むふぅ」と嬉しそうに肩を震わせて…………尻尾があれば、彼女のそれは左右に思い切り振られていただろう。
そんな光景が現実に重なって見えた。
「……これ、夏休み中に解決するのか……?」
不安になってきた。
夏休み明け、初日。
幼児退行した雪門深月に、学校中が引くのではないか……?
神谷家の広い敷地内には道場がある。
さすがに学校の体育館ほどに大きいわけではないが……。
元々は空手を教えるための道場なんだっけ? 元々、と言ったけど空手が元々なのかは分からない。空手じゃなくて合気道だったかも……。
空手道場の後は柔道やら剣道やら武道の稽古ができる道場になっている。おれも昔は一通り教わった。筋が良いのは剣道……、それ以外は鍛錬さえ積めば及第点に届く程度の凡人レベルだ。
結局、おれはどの道も極めたりはしなかったけど……。
雛姉と飛鳥はたまに稽古をしているらしい。稽古というか、体型維持のための運動のつもりなのかも。舞衣と蝶々は……性格的に稽古をするタイプではないか。
蝶々は向いていないし、舞衣は陸上一筋だから。
じいちゃんに手伝いを頼まれているのでおれも道着に着替える。道着は空手のものだけど、まあ、この格好で柔道や剣道をやってもいいのだ。正式なスポーツをするわけでもない。心身を鍛えるための手段だ。ルールに従う必要もないわけで――
「どうして続けなかったの?」
道場で合流した黒冬さんからの質問だ。
「……黒冬さんも見学するの?」
「神谷くんの勇姿を見るためにね」
「勇姿って……。説明のためのアシスタント人形みたいなものだけど……。ただの手伝いだよ」
勇姿は見せられないと思う。
参加する女性陣に人数分の道着を渡し(十数着もよくあったな……昔の残りがあったとしても、もう処分していると思っていたが……)、着替えを待っている間に軽く道場の掃除をする。
が、既に清掃が隅々まで行き届いているので埃ひとつない。
これでは掃除をしているフリだった。
「――で。神谷くんは続けなかったの? 武術……」
続け……なかったなあ、と頷くと、「どうして?」
やけにしつこく聞いてくるな……まあ、教えたくないわけでもない。
「妖怪の問題に巻き込まれることが多かったのなら、鍛えておいて損はないはずでしょ?」
「まったく稽古をしなくなったわけじゃないよ。体が鈍らないように軽くはしていたんだけど、本格的な稽古まではしなくなっただけだ……。本格的な稽古は時間がかかるし負担も大きい。好きじゃなければ続けられない世界だ。おれは苦痛に堪えるほど武術が好きだったわけじゃなかったんだよ――」
それに、妖怪問題に巻き込まれることが多くなったのは正解だ。その場合、体を鍛えるよりも妖怪に詳しくなった方がいい。
古い文献などに目を通す……、土地によって違ってくる伝承を調べてみるなど。単純に稽古をしている場合ではなかったのだ。
それでも体を鍛えておいた方が得をするのは分かっていたから、鈍らない程度には軽く稽古はしていた……夏休みなら両刀でいけたけど、平日には学校がある。
時間も限られてるからな……。
妖怪のことを詳しく調べ始めたら、時間なんてあっという間に溶けてしまう。
脚色前提となれば、どの文献(本)が嘘で真実か分からないし……。
そもそも嘘も真実も関係ない。目の前の妖怪の力がどういう効果を持つのかは、膨大な脚色の量で判断するしかないわけで――。
「ところで神谷くん。剣道は得意?」
「? まあ、じいちゃんから教わった中では一番剣道が得意だけど……と言っても、初めて触った時からなんとなく上手く扱えるってだけで、稽古を続けてきた人よりは数段落ちるよ。稽古をすることなく達人を凌駕する天才じゃないからな」
「そう……」
「気になったことでも?」
「いえ、なんだか……得意そうだなー、と思っただけよ」
ふうん? 剣道が得意そうな振る舞いでもしたっけ?
一緒に生活していれば、ふとした瞬間に癖が出てしまっていたのかもしれない。
そう言えば黒冬さんは江戸時代を生きたと言っていたけど……侍の時代だったはず。
だから侍の癖を見つけていたのかもしれない。
もしかしたらおれの前世は――――……名が通った侍なのかも。
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