第陸話

第19話 妹と天体観測


 夜。蝶々との約束通りに、天体望遠鏡を準備して縁側に隣り合って座る。


 天体観測の時間だ。今日は昼寝ができなかったので、夜に星を見るコンディションとしては悪いけど、そう長い時間、星を見るわけでもない……たぶん。


 今日は様子見だ。

 天体観測自体が天体の様子見な気もするが、ようは本腰を入れて観察するわけではない。


 うとうとしている蝶々も、自由研究のためのレポートを手元に持ってきていないし、ノートでもメモ帳でもいいのだけど、それもなかった。完全に手ぶらだった。

 蝶々も、今日はひとまず形だけやってみたいだけなのかもしれない。


 おれも、今日は倉庫の奥から引っ張り出してきた天体望遠鏡できちんと星が見えるのか、確かめるのが目的である。本格的な観測は明日からだ――毎日、やるみたいだしな……。となると昼夜逆転生活に近くなりそうだ。


「よし、これで星が見えるようになった……うん、良かった、壊れてないな」


 蝶々、と呼ぶと、うとうとしていた妹の意識がはっきりとした。


「見せて」


 肩を寄せてくる蝶々に場所を譲る……譲ったのに、なぜか肩を押し付けてくる。

 まだ邪魔なの?

 さらに横へずれると、蝶々はもう望遠鏡を覗く気もなくおれに寄り添ってくる。やっぱり眠いか? がまんするのも限界に近いのかも……、少なくとも天体観測の気分ではなさそうだ。

 妹は、目を閉じればそのまま眠りに落ちそうで――おれは夜更かしには慣れているけど、まだ小さい蝶々にはきつかったか。そろそろ日付が変わる時間だし。


「蝶々、星を見るんだろ? 望遠鏡はこの位置でいいか?」


 天体観測に興味があると言ったのは、見てみたい星があるからだろうと思ったが、蝶々はおれの腕を掴んだまま「んー」と返事をした。返事か?

 結局、「なんでもいい」と。……自由研究のため、だから……それっぽくレポートにまとめられるならなんでもいいのだろう。ネットで探せば子供向けの天体観測のやり方が載ってそうだ。


 自由研究用、天体観測のレポート、書きやすい……とでも検索すれば色々と出てくるだろう。文明の利器は遠慮なく使わないとな! ネットで見たものを丸写しはそりゃダメだけど、ある程度のフォーマットなら真似ても構わないはずだ。フォーマットはそういうものだし……、最低限の書き方は真似しないとまとめ方も分からない。

 高評価の例があれば、大半がそれに寄って書くのだから。つまり大体が同じ内容になりそうでもあるが……、生徒が考えて書いているなら、先生側はそれでいいのかもしれない。

 人のものを丸写しでなければ……個人の主張が入っていれば先人のフォーマットを使って分かり切ったことを書いてもいい。――大人が書いたわけでもないやっつけのレポートを見破れる先生だって少ないはずだし……、真似てもいいが、書くことが大事だ。


「すー」

「おい、蝶々。ここで寝るな、寝るならちゃんと布団に――」

「天体、観測は……ただの、りゆう、で……にいさんと、いっしょ、に……」


 ――にいさんを独り占めしたかっただけ、という寝言が漏れた。


 寝言にしては、はっきりと聞こえたけど。


「……去年はほとんど一緒にいたからな……味を占めたか。おれも楽しかったからいいんだけどさ」


 腕にしがみついて寝息を立ててしまった蝶々。今日はもう、天体観測はできなさそうだ。続きをやるなら明日以降、だけど……おれと一緒にいたいことを理由に選んだだけなら、選び直させよう。どんな題材でも、おれは蝶々に付き合うから――。

 蝶々が本当にやりたいことに協力したい。


「蝶々……、寝るなら布団に、さ……」


 声をかけると、ぱち、と蝶々の目が開かれた。

 寝ぼけている様子はなく、一瞬で意識が覚醒している。

 妹の視線は庭の門へ向いており――「だれかいる」と、耳元で囁かれた。


 ……誰かいる?


 外に? ……まさかこんな深夜に? 既に時刻は……日付が変わっている。

 今、訪ねてくる礼儀知らずはご近所さんにはいないだろう。

 緊急、でもなさそうだ。配達員でももちろんなく――――じゃあ、誰だ?


 考えられるとすれば泥棒だが、古い屋敷だから大丈夫だろうと高をくくったか? 見た目は古びていても中の設備は最新だ。もしも高い塀を乗り越えてくれば警備会社に連絡がいく。異変を感じた警備員がすぐに駆け付けてくれるはずだ。

 ……泥棒だとしたら、昼間の方が成功率は高いと思うけど……。


 設備があるから安心だ、とは言え、単純に扉の向こう側に人がいるという状況は深夜ゆえに怖い。昼間ならこっちが顔を出して脅かすこともできたけど……街灯がなく星の光だけで照らされた敷地内は、我が家とは言え雰囲気がある……。

 墓が建っていれば墓地とも言えて、思い込むと寒気までやってきた。


 ガタ、と門の戸が揺れた。……開けようとしている? 塀を乗り越えれば警備設備が反応するが、扉は対象ではない……はずだ。針金で鍵を開けられたら……扉のスライドでは警報は鳴らないのだ。戸が開くのは、まずい……。


「蝶々、おれがいく――」

「にいさん」

「大丈夫、不審者だとしても、おれならなにをされても堪えられる」


 頑丈ですぐに回復する体は、こういう時『盾』に使うためにある。


「にいさん……」

 呆れた(え?)様子の蝶々を腕から剥がし、ゆっくりと庭を進んで門まで向かう。


 ガタガタ、と揺れる戸の前へスタンバイする。――やがて、カチャカチャ、と音がしていた鍵穴から、カチリ、と解錠の音が響いた。戸が、横へ――。


 姿を見せた侵入者へ飛びかかろうとした寸前で、相手の正体が分かって足を止めるも、一度出発した勢いは止められなかった。


「ん?」

「うぉ――」


 つまづき、前のめりに倒れるおれに反応し、不審者もとい次女の飛鳥が反射的に手を出した。

 おれを支えるために出した手ではなく、おれを弾き返すために強く握られた拳だった。

 ごっっ!! と顔の輪郭が凹んだような骨の音が響き、一瞬、意識が飛んだ。


 気づけば、倒れて夜空を見上げていた――。

 痛む頬に、そっと指が触れる。

 蝶々が、おれの頬を優しくさすってくれていた。


「急に飛びかかってくるから驚いただろ。……これはお前が悪い」

「あ、あす、か……っ!?」

「おねえさん」

「蝶々……夜更かしとは悪い子だねえ。陽壱よういちはともかく、蝶々までなあ……反抗期か? もうそんな年頃か?」


 殴られた頬(というか顎だ)をさすりながら体を起こす。蝶々が背中を支えてくれて……まるで介護だった。

 将来はそうなるのかな、と未来を見たけど……走馬灯は未来ではなく過去を見るはずだよな?


 でも生きてる。頑丈で良かった……。

 相手は侵入者でも不審者でもなかったが、家族であっても全然帰ってこない不良娘だ。


 次女の飛鳥――つまり雛姉の妹でおれと舞衣と蝶々の姉。

 雛姉とは真逆と言える姉だった。


 雛姉が完璧に近いから、飛鳥は違う道へいったのかもしれないが……ふたりの間でのやり取りまではさすがに知らない。

 雛姉が大人びて見えて世話焼きだから、飛鳥が子供っぽくて無責任に育ったわけでもないだろう。対抗心で生き方を変えるには、その道は険し過ぎる気がする。


 ……飛鳥がこんな風に不良になってしまったのは、心当たりがないわけではないが……舞衣と似たようなものだ。

 こうならざるを得なかった……と言うには、他にも選択肢はありそうだけど。


 追い詰められた時に目の前に広がっている選択肢を冷静に見て選べるか、と言われたら、おれも正解を手に取れないと思うし……。


 飛鳥も、負担が少ないひとつの道を選んでいるわけで……間違った道ではないと思う。少なくとも、まだ家にいた時の飛鳥よりも、今の方が活き活きしているのは見ていて分かった。


 外で発散できている、のだと思うけど……おれに甘えられた舞衣とは違って、飛鳥は体質のせいで家にいづらくなっている。……引き留めるのも難しい。


 ……甘えてくれればいいのに。

 とは、簡単には言えないし、飛鳥も頷けない事情……気持ちがあるのだ。


 それが分かっているから、雛姉も飛鳥の無茶に苦言を呈しながらも、力づくでは解決しようとしていない。


 きちんと理由がある……、でなければ雛姉が黙っているわけがない。



「さっきまで天体観測をしてたんだ。

 だから反抗期じゃない……。今が夏休み中だって分かってるよな?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る