第捌話
第32話 黒冬さんの最後の思い出。
8
「……やっぱり……そうなんだ……」
神谷くんの剣の振り方、受け止め方。足さばきや体重移動の仕方。
まったく一緒ではないけれど、似ている以上には『同じ』だってことが見ていて分かった。
師範の教えを忠実に再現しながらも、我流を取り入れているやり方も彼と同じと言えて――――そう、そっくりではなく同じなの……。
神谷陽壱くんは、私が知る『あの人』だった。
どうして神谷くんに視線が向いてしまうのか、不思議だった。あの日、階段から落ちてしまった私を助けてくれた時よりも前から、私の目は度々神谷くんを追っていた。
自覚はあったけれど理由が分からなかったのだ。特に気になる男の子でもなかったから……深月の趣味嗜好なのかと思っていたけれど――、……私の方、だったのだ。
私が惹かれていたのは神谷くん、であるけど……その『後ろ』にいる人なのだ。
後ろというか過去だ。
神谷くんの前世が、私の知る人で。
私が、愛した人だから――。
「…………
彼は侍だった。
そして私は、人々に恐れられていた、妖怪だった。
「――なんでやり返さないんだ?」
彼は木の上にいた。枝に実った果実を奪って齧っている。
まだ酸っぱかったみたいだけど、眉を寄せながらも口の中のものを嚥下した。
……彼の見た目はボロボロだった。
腰に差した刀だけが美しく、浮いて見えるような……その日暮らしで行く当てもない侍か。
「……そこで一部始終を見ていたのでしょう? なら分かるはずよ。私が石を投げられていても助けるつもりがないのに、話しかけてくるのはどうして?」
「気になっただけだが。そして助けなかったのは他人だからだぞ」
恩を売る理由はあると思うけど……。私に恩を売っても見返りが少ないと思ったのかもしれないわね。見た目に似合わず余裕があるのかしら。
「……どうしてやり返さないのか、ね……相手は子供よ?」
「だとしても、小さな石ころでも当たり所によっては致命傷にもなる。
数が多ければ致命傷に当たる可能性も上がるわけだ。あんたのような肉付きの悪い細身には、石ころであっても凶器になると思うけどな。それとも、当たったように見えてギリギリのところで衝撃を和らげてんのか?」
「そんな器用なことはできないわ。きちんと痛い。子供の力だもの……それでも痛いことには変わりないけどね……。でも、致命傷ではないの」
「致命傷でなければ反撃はしない、ってことか?」
「ええ。大人が子供に、我を忘れて怒るのは、大人げないわ」
「そうは思わねえけどな」
彼は否定した。
「子供だろうとあいつらは統率が取れていた。最近の子供ってのは大人を見てるからな……人の殺し方を熟知してる。たとえ刀を持てなくとも石ころどころか指一本あれば人を殺す術を理解しているもんだ。
子供だからって理由で手加減をしていたら、あんた、簡単に殺されちまうぞ? 子供ってのはもう庇護対象じゃねえ。大人には満たないが、おれたちの命を脅かす存在ではあるんだよ」
……そうかもね。
「それでも」
私は痛む頬を手で触れながら。
……指が触れると、ぴり、と痛みがあった。当たった時は大したことがないと思っていたけど、時間が経てばきちんと痣になっていたらしい。
石が当たった全身、いずれはそうなるのだろうか……?
でもやっぱり……それでも、だった。
子供のイタズラなのだから。
そう怒ることでもないという気持ちは変わらない。
「子供がすることよ。笑って許してあげればそれでいいじゃない」
「甘ぇよ」
ほら見ろ、と言わんばかりに木の上にいた侍が下りてくる。
私の傍に着地した彼は、手を刀にやった、瞬間だった――――刀が抜かれる。
気づけば刀が一閃していて、拳大の石が、真っ二つになっていた。
……割れたその凶器が、私の顔の高さで左右に散っていく。
もしも彼が危険を察知して斬ってくれていなければ、その石は私の顔を潰していたはずだ。
「…………え、」
「イタズラじゃねえな。これは度を越えてる。
もう奇襲だろ……人殺しと判断しても誰も文句は言わねえ」
周囲の茂みがガサゴソと動き出した。
次々と顔を出した子供たちは不満顔だ。
「邪魔すんなよ侍」
「ぼくらはそこの妖怪女を退治するんだから」
「妖怪女?」
侍が振り向いた。
彼は私の頭の上からつま先を観察して……「ふうん、妖怪か」と呟いた。
町娘の格好をしている私を見ても、巷で噂になっている妖怪とは姿と形も違うから、納得できなかったのだろう……。でも、私は紛れもなく妖怪だ。
多少の脚色はあるけれど、流布されている噂の中には事実も紛れ込んでいる。
おどろおどろしい見た目でないだけで、私の中身は化物のそれなのだから。
事実を知れば、彼も私のことを斬りつけるだろう……そのための刀だ。
「お前らは妖怪退治の仕事を請け負ってるのか?」
「「「そうだ!!」」」
さらに、茂みの中から子供たちが飛び出してきた。
茂みの奥には手作りの投石器が置いてあって……。
さっきの猛スピードで飛んでくる石は、あの道具を使って……?
――子供の手作りとは言え、充分な効果を出せる兵器になっている。
「妖怪がいたらみんなが不安なんだ!」
「だから退治しなくちゃいけない!!」
「そのおんなに村が襲われる前に、ぼくたちでなんとかしなくちゃいけないっ――ぼくらの村を、守るんだ!!」
子供たちが私を睨みつける。
彼らの意見を聞けば、侍も同じように――――
「……だってさ。妖怪のあんたはどう思ってんだ?」
「私は……」
「こいつらの村を襲うのか?」
「しないわよ。私にどうこうできると思う? 私にできることなんて周囲の気温をちょっとだけ下げることくらいよ……季節によっては快適に過ごせるくらいにしかならないわ。村をひとつ消すほどの力なんてない」
「うそつけ妖怪女!」
「うそつき雪女め!」
弁解は聞き入れてもらえなかった。
……どの村もそうだった。妖怪というだけで、私は全員の敵になってしまう。
脚色された噂のせいだけど、みんなが知っていて、それが常識であるかのように広まってしまえば、私の真実の言葉なんて嘘か作り話に聞こえてしまう。
私の言葉は油断を引き出すためだと思われて。
喋れば喋るほど、疑われていく悪循環だった。
「まあ落ち着けお前ら。この女が妖怪だとして……雪女? だったか? ――仮に事実だったとして、村を襲う理由がないだろ。妖怪が全員、村を襲うわけじゃない。
やったらやり返されるだけだ。やられたからやり返す……それで言うとなにもしなければ雪女は村を襲ったりしねえはずだぜ。それとも、もう既に村を襲われたりしたのか?」
「それは……ううん。でも、先に退治しておかないといつ襲われるか……」
「そんなことを続けていれば、妖怪側もお前たちのような『敵に回った子供』を進んで襲うようになるかもな。最初から手を取り合う気がなければ、今度は顔も見せずに奇襲や夜襲が横行し始める。友好的な妖怪まで退治するのは賢い選択とは思えねえよ」
「じゃ、じゃあっ、すぐ傍に妖怪がいるのに放っておけって言うのか!? 見逃して村が襲われた時、おじさんは責任取ってくれるのか!?」
「少なくとも、この女が裏切ってお前たちの村を襲うようなら、おれが斬り殺してやるよ」
彼の視線が一瞬だけ私に向いた。……その目は、人殺しの目だった。
雪女だからこそ慣れているはずなのに、背筋が凍って、寒気で血の気が引いた。
……襲う気なんてなかったけれど、絶対に仕返しはしないと心に決めた。
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