第33話 前世の世界

 彼の説得のおかげで、子供たちが引いてくれた。

 周囲から人がいなくなったせいか、気温が少し下がった気がするけど……私のせいかもしれない。私も、この力を充分に理解して操っているわけではないのだ。


「最近の餓鬼は優秀だな。あんなもんを手作りするとは…………あれで奇襲をされたら百戦錬磨の侍でも倒されることもあるだろ……」


「どうして……」


 助けてくれたの? と聞き終える前に、彼が答える。


「いや、侍だって死角から石が飛んでくれば避けられないし、額を割られたら倒れるかもしれ、」


「そのことじゃなくて」


 とぼけているわけではないようで、彼は「?」と私を待ってくれている。


「……どうして、助けてくれたの?」

「自衛も含めて、だな」

「……?」


「おれも妖怪だから」


 そんな風には見えないけど、と思ったけど、それを言い出したら私もだ。

 広まった雪女像は私のような町娘ではなく、もっと高身長で白く透き通るような肌をしている。

 そして、私よりも年齢が上だ。


 雪女が立ち寄った場所は吹雪に襲われる、なんて逸話もあるくらいだ。

 それを信じたのなら、子供たちの警戒も頷けるけど……あくまでも噂だ。

 脚色され、長い年月をかけて作り上げられたお話とも言える。


 昔はその通りだったのかもしれないけど、時代を経て雪女の実態も変わっているのだ。

 人とそう変わらない見た目で。人よりも体温が高くて。

 吹雪なんて起こせないけれど周囲の気温を少し下げるくらいの力を持っている。


 それが今の雪女であり、私だ。脅威と呼ぶにはまだまだ足りないはずだ。

 これがさらに時代を経て力が薄まっていけば、ただの末端冷え性の女性がかつては雪女だった、と言われる時代がくるのかもしれない……。


 妖怪は力が薄まり、人間社会に溶け込むことができる。そもそも妖怪という呼び名だって理解が追いつかない力に怯えた人たちが、人ならざる者として付けた呼び名だ。


 最初から私たちは妖怪ではない。――ちょっと不思議な人間だ。



「……昔は当たり前に持っていた個人の特別な力……、それが死と誕生を繰り返すことで薄まっていった結果、特別な力を『持たない』ように見える人間が増えていったわけだ。

 それが今の当たり前。人間に『能力による差』がなくなったと言える」


「そう……らしいわね。私も人から聞いただけだったけど……教えてくれたその人は前世の記憶がまだ残っていたから知っていたみたい。ただ、言われた全部を信じているわけではないの」


 妖怪が脚色されていたように、過去の日本の状況だって脚色されている可能性もある。

 証拠もないのに「はいそうですか」と信用はできなかった。

 でも……実際、薄まってはいるけど私には特別な力がある。

 ――周囲を冷やしてしまう、この雪女の力が。


「おれは知ってるぜ。前世の記憶が混在しているなんてもんじゃねえ。おれは前世の記憶を持ったままこの世界に生まれ落ちた。この時代で生まれた『おれ』の人格と記憶もねえんだからよ……。おれにとっては前世からの延長で今世にいるようなもんだ。

 ――だから力も、まだ濃いんだ……まあ『頑丈』と『怪力』が売りなだけの力だがな」


「…………あなたも……? ……言うだけならなんとでも言えるものね」

斉天大聖せいてんたいせいと言えば分かるか?」

「分からないわね」


 彼は肩を落としていた。

 この名を言えば驚かれるとでも思ったのかもしれないけど……残念ながら聞いたこともない。

 遠い昔の前世だとしたら……私が知らなくても無理はないでしょう?


「そ、そうか……」

「え、そこまで落ち込むの?」


 彼の落ち込み具合に、とても悪いことをしてしまった罪悪感が芽生えた。

 一応、聞いてみる……

「凄い人だったの?」


「そりゃ英雄って言われてたからな。悪い妖怪をばったばったと斬り倒したもんだ」


 言いながら、彼が刀を振り回す。……あの、危ないんだけど……。


「当時は能力者ばかりだったからな。油断すればすぐに死んでた世界だ。その世界で英雄とまで言われていたんだぜ? そりゃすげえだろ?」

「そうやって自慢しなければ凄いと思うけど」

「仕方ねえだろ。自分から言わねえと伝わらねえんだから」


 たとえ凄さが薄まっても伝えることを優先したらしい。

 知られないよりは知られていた方がいい……、凄さなんて人の感じ方だ。


 後々、再評価されるかもしれないと信じて教えているのかもしれない……それだけ、彼はこれまで褒められなかったのだろう。


「え、じゃあ……英雄になっても褒めてくれる人がいなかった……?」


「…………、おい、雪女」


 彼が近づいてくる。内心で呟いたつもりが、口から出ていたようだ。

 今の指摘は、彼からすれば踏まれたくない事実だったのかもしれない……。

 今更訂正はできなかった。


「な、なによ……っ?」

「どうして分かった。おれはお師匠さんのことを話していなかっただろ」


「いや、知らないわよ。自慢を言いふらして褒められたがっているのは、褒めてほしい人に褒めてもらえなかったことが関係しているのかなと思って……――偶然よ! 当たっちゃっただけなの……っ。いいから、近いってば!」


 額がぶつかるほどの距離を、両手で押して突き放す。

 彼は、おっと、とよろけながらも体勢を立て直した。


「言われたくなかったことなら、ごめんなさい……もう言わないわ」

「いや、いいけどさ」


 彼は照れたように顔を背けた。褒められたいことがばれてしまうと、その後で褒められても喜びづらいだろうから……私は褒めなかった。


「褒めてもいいけど、凄さの証拠がないから、難しいわね」

「証拠か……どうしろと」

「いや、証明しなくていいから」


 別に、あなたが妖怪で、前世が凄い人だったとしても……興味がないの。

 私たちが生きているのは、『今』だ。

 今を生きた上で、残した功績こそが信用になる。


「前世のことなんかどうでもいいの」

「……冷たい女だ」

「だって、私は雪女だもの」


 ……吹っ切れたかもしれない。これまでは雪女であることを、自分の足を引っ張るだけの不要な肩書きだと思っていたけど……私にとっては人にはない誇れる要素だ。

 天才でなければ高い地位を持つわけでもない。『私』を説明する時、その他大勢の中のひとりと言えば、私なんて誰の代わりにもなるし、私の代わりなんていくらでもいる。


 でも、雪女は……今のところ私しかいないのだ。

 名は使いよう、なのかもしれないわね。


「ところで、あなたのお名前は?」

「斉天大聖と言っただろう」

「それは前世のでしょう? 私は今のあなたの名を知りたいの」


 彼は悩んだ結果、答えることにしたようだ。


「普通の名だ。陽士郎、と言う――」

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