第34話 覚醒と対立宣言

「普通の名だ。陽士郎、と言う――」


「あら、似合わないわね。明るい性格かしら?」


「第一印象で判断し過ぎだな。お前、雰囲気で言ってるだろ? おれは根が明るい方だぜ? 豚に跨って河童に引かせてたもんだ――」


 ……それは明るいって言うのかしら?


「まあ、その後で馬に蹴られて、お師匠さんには言葉責めにされたが」

「言葉責め?」


「あの時代は色々と拘束具があったんだよ。それでおれの動きを封じてやがったんだ……いいか、勘違いすんじゃねえぞ? おれは『封じられてやった』んだよ」


「それは単に封じられていただけじゃないの?」


 人並み外れた頑丈さと怪力で誰も手綱を握れない傍若無人なのかと思えば、やはりきちんと彼を操作する人がいたようだ。

 野放しにされていたら、『誰かが見ておかなければいけない』というのは誰もが思いつくだろうし……実際、彼は封じられていたようだ。

 懐かしむ彼の表情を見れば、前世の記憶が嘘ばかりでもなさそうだった。


「色々あったんだよ……興味があるなら話すが……。

 ところで、あんたの名前は教えてくれないのか?」


「いいけど……前世の方? それとも今の方?」

「好きな方でいい」


「なら――――『黒冬』よ」


「……あんたらしい名前だな」

「少なくとも、雪女の私はこう名乗るわ」


 実際、偽名なのだけど。意外……でもないか。彼は追及してこなかった。

 どうでもいいのだろう。私がどんな名でどんな妖怪だろうと、きっと彼は気にしなかった。

 斉天大聖とは、昔からそうなのだろうと思った。


 自分が正義で、絶対の王だと思っている。

 自分が動けばなんでも実現できると思い、できないことの方が少ない。

 それが彼の自信に繋がっている……自信さえあれば堂々とできる――それが彼の強さだ。


「そうだ、黒冬。さっきおれは、あんたの命を救ったよな?」

「…………さあ、なんのことかしら」


「あんたの顔面が投石によって潰れる前に守ってやっただろ。恩に着せる気はねえが、ちょっとくらい手を貸してくれてもいいだろ……この世は助け合いじゃねえのか?」


「打算があって助けたのね……はぁ。――で、なによ。さすがに私にできないことは手を貸せないからね。無茶ぶりはなしよ」


 どんな注文がくるのかと思えば、彼は一言で――――


「腹減った」

「は?」


「最近、果物ばかり食って飽きてたんだ。米が食いてぇ。あるか?」

「……あるけど」

「一握りでいい。分けてくれ、頼む……っ!」


 食が絡むと、王のように威張っていた彼でも、膝をついた。

 空腹を満たすために頭を下げる……ここまでされたら、無下にもできない。


「私も生活苦なんだけど」と断る選択肢もあった。

 ……でも、命を救われたのは事実だ。

 それに、数少ない妖怪仲間でもある。

 ここで彼との関係を切るのはもったいない。


「一握り、ね。……おむすびが好きなの?」

「いや別に。選り好みはしない」

「あっそう。なら、こっちの都合で作っちゃうわね――――ついてきて。家まで案内するから」


 彼の喜ぶ顔が見られる、と期待すれば、出てきたのは警戒の顔だ。


「……え、」

「なんであなたが警戒してるのよ! 家に連れ込んでもなにもしな――って、そういうのは私が警戒することでしょう!?」

「家に入った途端、氷漬けにされ、」

「ないから! そこまでの力はないって言ったでしょうが!!」


 せいぜい周囲の気温を下げ、相手を寒さで震わせるくらい。

 手先の操作をおぼつかなくさせるだけで、寒さで凍ることはないのだ。


 逆に言えば、そういうことはできない。

 できないことに警戒するなんて……疑り深いのかしら。


「ついてこないならいいけど。そこで飢え死にすればいいわ」

「いや、分かった……疑ってすまん。ついていくよ」


 黙って先行する私の後ろを、彼がついてくる。


「そもそもあなたは、氷漬けにされても生きていられるでしょ。

 凍ってもすぐに砕いて出てきそうな気がするわ」


「だとしても、警戒しねえ理由にはならねえだろ」


 凍らされること自体を怖がってる……?

 閉じ込められる、固められることに拭えない恐怖でも…………あ。


「そっか、あなた、拘束具に嫌な思い出があるのだったわね」

「…………」

「傍若無人なあなたにも弱点があるのね。いいことを聞いたわ」


「あのな、おれが苦手としているのはお師匠さんの拘束具だ。お前のは怖くもなんともねえよ」

「なら、凍ってみる?」

「できないだろうが」

「あら、本当にそう思う?」

「…………」


 無言で睨みつけてくる……意外とかわいい人なのね。


「――斬ってやろうか、雪女」


 腰の刀に手をやった彼だけど、すぐに忘れてしまうのね。

 あなたが欲しいのはなんだったのかしら。このまま空腹で倒れても知らないわよ?

 さっきから、あなたのお腹はぐぅぐぅとしつこいくらいに鳴いているけど。


「く……っ」

「おむすび」

「…………くそッ」

「いらないなら斬ればいいわ。ほら、どうぞ?」


 両腕を開き、彼の刀を受け入れる体勢を取る。

 彼は悔しそうに歯噛みして……そっと、刀を戻した。


「ちくしょう……ッ!」


 それから、彼が私に向けて刀を鞘から抜くことはなかった。



 後に、陽士郎はこう言ってくれたわ。

「――完全に胃袋を掴まれたな。あいつと一緒にいる理由なんてそれくらいのもんだろ」

 ただ、その言葉は私からすれば聞き捨てならないものだったけれど。



「………ふうん。私って、ご飯を作ってくれる『だけ』の人だったのね」

「あ、いや違ぇ、それだけじゃねえって!!」

「出会って一年……、空腹を満たすためだけに私と一緒になってくれたのかと思うと……はぁ、なんだか傷つくわ……」


「話を聞け! さっきのは建前だ! 人前で家内のことを褒められるか!!」

「私はあなたのことを褒められるけど。立派な旦那様です――って」

「う、それは……」


「よく食べてよく寝て仕事をしない元気な男の子です――って」

「褒めてねえよ!!」


「いつも守ってくれてありがとう」


「っ」

「あなたの強さには助けられてる……感謝もしてるの……ありがとう」


 だから、あなたのことをずっと信じてる。

 たとえ、来世でも――きっとあなたは私を守ってくれるって、分かるから。





 ――そして、彼は約束通りに私を守ってくれた。

 階段から落ちる私を、危険を顧みず受け止めてくれて……。


 彼の頑丈さは、前世から引き継がれたものだったのだ。


 どうやら彼はすっかりと私のことを忘れてしまっていたけれど、記憶が全て失われたわけではないのだと思う……。


 前世と今世の記憶が混ざり合って、中でも今世の記憶の方が多くを占めているから、前世の方を引っ張り出せなくなっているだけで。


 私と深月の関係性で言えば、神谷くんと陽士郎はほとんど人格が重なってしまっているのだろう。もう、ふたりを引き剥がすことはできない……。


 でも、このままだと陽士郎が消えてしまうから――――だから。


「神谷の土地は、どうしてか私に力をくれるのよね……」


 昔からある土地だから? 神谷の血を引く者が傍にいるから?

 ……周辺の土地はまるで妖怪の濃度を高めるように、空気感が『昔』のようだったのだ。


 たった数日、敷地内にいただけで私は雪女としての存在が濃くなっていることに気が付いた。

 こうして体を得たのも土地のおかげと言える。


 多くの人が脚色して後世に伝えた過去の妖怪の実態は、実はさほど脚色されていなかったのではないか。

 そう思うほどに、私の力は『文献』や『古書』通りのことができてしまう自信があった。


 もしも、夏休み最終日までこの家でお世話になれば…………私は…………。


「…………」


 ――雪女の力を使えば。


 ――彼を、陽士郎を……取り戻せる……??



「ごめんなさい、深月」



 ――あなたが好きな男の子、私が貰うわね?

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