第6話 再びの春
雪門が満足することを重視するなら、おれへの感謝ではなくなっている。――ちゃんとお礼がしたい、恩を返したい気持ちは分かるし尊重したいけど……あの雪門深月がおれにご執心していると噂が広がれば、多勢の悪意がおれに向かってくる。
学校で血を吐いたことで有名になっているから今更だが……あまり目立ちたくはないのだ。
家のことを知られるのも面倒だし。
一部の人は知っているとは言え、その数を増やしたいわけではない。
「なら……どうすればいいの?」
と、雪門が縋るように……。
――難しい問題だな。さて、どうしよう?
悩んでいると、隣では雪門が口を開き、しかしすぐに閉じた。それを繰り返す。
言いたいことでもあるのだろうか……。しばらく待っていたが、その先は続かない。
「……雪門は、したいことでもあるのか?」
「……したい……聞きたいことなら」
あるのか。じゃあ――それを聞こう。
「聞きたいことか……なに?」
「……神谷くんが血を吐いて、倒れた時…………最後に、さ……」
――言っていたことがある。
と、雪門。
……おれ、なにか言っていたっけ?
「――――約束通り、守ったぞ、って……あれって、さ……」
一瞬、ゾッとしたものの、余計なことまでは口走っていなかったようだ。
発言の内容についてはおれもよく分かっていないけど、まあ、朦朧とした意識の中で言ったことだ。支離滅裂で、理由がないこともある。
無意識に出た言葉だろうから、その意味を探ってもなにも出てこないこともあるわけで……その可能性が高い。
「なんでもないよ。おれも、意識がなくて覚えてないし」
「……覚えてるの?」
「? いや、だから覚えてないけど……」
雪門はおれを疑う視線を向け――……質問を、正しく読み取れていなかった?
だけど、雪門の質問から汲み取れるものは限られているし……。
なんにせよ、おれは覚えていない。
「そうね……そうよね」
大きく肩を落とした雪門。
分からないけど、悪いことをしちゃったのかもしれない。ミスならすぐにでも取り戻したいが、中身が分からなければやり方も分からない……どうしようもなかった。
「――うん、今後神谷くんが困っていたら、教えてくれる? できる限り私が力になるから。もちろん、私にできないことは無理だけど……それでも、不足を補う人手にはなれるつもり」
困ってることはないけど……今後であれば、頼ってもいいかもしれない。
その方が雪門も恩を返しやすそうだ。おれも、お願いしやすいし。
「分かった、それでいこう……。雪門も、恩を返していないからって、おれにだけは『頼らないようにしよう』とか思うなよ? 困ったら声をかけてくれていいからな?」
「どうして?」
……まさか質問されるとは思っておらず、一瞬だが、言葉が詰まった。
「え? ……まあ、だって友達だし」
好きな子だから、とは言えなかった。
恩を売って秘めていた気持ちを告白しても、「恩人を振るとはなんて女だ」と悪評を広めることになってしまう。それを嫌がる雪門に無理やり「気持ちに応え」させるなんて……卑怯だ。
隣を歩く雪門の笑顔が曇るなら、一緒にいる意味なんてないのだから。
「……そうやって、色々な子を助けてきたの?」
「困っていたら、な。助けてほしいとお願いされたら……できることならするよ」
家柄の影響で、困っている人に会うことが多いからな……それで言えば、雪門は珍しく「そういうもの」に関係していないごく普通のトラブルだった。
いや、調べてみれば痕跡はあるのかもしれないけど……、雪門に迫る脅威はないだろう。
――今は。
「神谷くんって……」
雪門が、じとーっと……おれを見つめる。
嫌悪が混ざった視線ではないものの、あまり向けられたことがない視線だった。
雪門にしては珍しく、眉をひそめた難しそうな表情だ。
そんな顔でも絵になるのは、さすがだな。
「神谷くんが困っていて、さ……誰かに助けを求めたりするの?」
「するよ!」
とは言ったが、雪門に求めることはないかもしれないが……。
つまり雪門が求めている恩返しは、きっと、一生叶うことはなさそうだ。
本音を言えば、この件がこのまま風化してもいいと思っている。
自己満足で助けただけだ……雪門に「助けて」と言われたわけではないのだから――。もしも雪門が「余計なことをしないで」と言えば、おれは謝っていただろう……その程度のことだった。
雪門が思っているほど、この一件は重くない。
「…………待ってるからね」
「うん。困ったら、すぐに雪門に言うから……」
「忘れないでね」
念を押してくる。
「……恩を返したいのはそっちなんだよな?」
恩を返したい側が強く出るのは違くないか?
雪門に「してほしいこと」をすぐに言えないおれも悪いけど……。本音を言えば「したいこと」なんて溢れるほどにたくさんある。けれど、それを言い出したら友人関係の終わりだ。
次の関係になるのではなく、途切れる。
完全に終わりだ――絶交。
それだけは絶対に避けたいことだ。
――言ってはいけないことくらい、心得ている。
雪門のファンからすれば「もったいない」のだろうけど。
……おれの立場になれば、意外とファンでもなにも言えないかもしれないけどな。
その後、中学を卒業し、高校へ進学――校舎が変わり、当然、席順も変わった。
名前順に戻ったので、雪門とは離れてしまった。席が遠くなると接する機会も少なくなり、校内で会えば雑談程度はするが、それ以上は進展せず――。
校外であれば話しかけることも躊躇う、憧れの存在へ逆戻りだ。
それでもなんとか校外でも接点を作りたくて、休日に偶然を装って彼女と出会うことを期待して(……結果的に)ストーキングをしていたが、成果は出ず。
実入りはなく、高校生になって一回目の夏休みに入ってしまった。
進学から数か月は雪門との仲に進展はなく、むしろ後退しているのでは? と不安になった。
無理やり困りごとを作って、会話を用意することもできたが……しなかった。
無理やり作ったものは雪門にばれそうだしな……。
気づいても、言わずに手伝ってくれそうだけど。
ただ、解決したとしても「今回のことはノーカウントね」と言われそうだ。
これでは無駄に雪門を働かせたことになる……困らせてどうする。
作るのは却下だ。
だけど……困ったことって、欲しい時にはないし、いざ困ったことがあると雪門に頼むという選択肢が消えてしまっている。そのため、雪門との接点は作れないまま、時間だけが過ぎていった。
そうやってダラダラとしている内に…………雪門深月が、『消えて』いた。
よく知る雪門深月の中に入っていたのは、見知らぬ幼い少女のようで……。
おれがよく知る雪門深月は、少女が言うには『消息不明』――になっていた。
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