第5話 卒業前の約束


「……守ったぞ」


 ――と。



 口に出していなくとも思ったのだから。


 ……守ったんだ、好きな子を。

 もしもそこまで言ってしまっていたなら、雪門にとっては枷になる――守りたかっただけで、おれは彼女を、囲いたかったわけではないのだから。



 結果を言えば、数日後の卒業式には出席できた。

 おれにとっては、本当に大したことがなかったのだ。


 ……病院に運ばれた時点でほとんど回復していたようなもので、じいちゃんの伝手で知り合いの医者を呼び、最低限の治療と身体検査だけで済ませたのだ。事情を知っている者だけでおこなわれた病院でのやり取りは、まるで台本でもあるかのようだった。


 おれはなにもしていない。

 時間の都合で一泊しただけだ。次の日には完治していて……、それでも一応、包帯を巻くくらいのことはしたけど、見せるためであって包帯としての意味なんてなかった。


 血を吐いたのに次の日にはけろっとして登校すれば怪しまれるだろうから……。

 多少は頑丈だ、と言っても限度があるからな……。不調でないと『心配』が『恐怖』に変わってしまう。そんなわけで一夜明けて、おれは午後から登校した。


 到着した時は、ちょうど短い休み時間中だった。狙ったのだからそりゃそうだけど。

 教室に入ると、その瞬間に喧噪が消え、一気に教室がしんと静かになった。

 ……みんな、驚いているようで……。おれが登校するって伝わっていなかったのか?

 確かにおれからはメッセージなどで発信してはいないが……。

 とりあえず「おはよう」と挨拶して、自分の席へ向かう。


 小さな声だが、周りから挨拶が返ってきたものの、それだけだった。クラスメイトから色々と根掘り葉掘り聞かれるかと思ったが、まったくなかった……これはこれで肩透かしだな。

 意外だ……身構えていたのに。


 いや、期待していたわけではないけど……ないとそれはそれで寂しかったりもする。

 カバンを置き、席に座って一息つく――


「もう平気なの?」


 ――寸前だった。答える前に、あらためて一息つく。


 雪門が文庫本に視線を落としながら……。見る限りでは、いつも通りの彼女だった。

 まあ、泣いて取り乱すイメージはないから、予想していた通りで安心したけど。

 責任を負って、抱え込んでいなくて良かった。


 彼女を守ったことで、彼女に重責を背負わせていたら意味がない。

 守りたかったのに首輪をつけてしまうのは、一番避けたいことだったから。


「もうなんともないよ。あ、軽く包帯は巻いてるけど……これのせいで大げさに見えるけど、数日で治る怪我だってさ……だから大丈夫だ」

「そう……なら、良かったわ…………うん、ほんとに、良かった……っ」

「雪門?」


 ……さっきから気になっていたが、めくられていなかった文庫本。

 開いたままのページに、染みができる。……落ちた水滴が、文字を歪ませた。


 ――雪門深月の涙を見たのは、初めてだった。


「お、おい……? 雪門……?」


「気にしないで。……見ないで! ……安心して、さ……緊張が、切れただけ、だから……っ」


 顔を背ける雪門。

 見られたくないなら、追及するわけにもいかなかった。


 回復することを知っているおれは、今回の怪我を大事には考えていなかったけど、なにも知らない雪門はおれが「生きるか死ぬかの瀬戸際」にいると思い込んでいたのかもしれない。

 ……不安にさせていたなら、なにも伝えなかったおれの落ち度だ。


「ごめん……」

「どうして謝るの。謝って、お礼を言うのは私の方なのに……っ!」

「それは…………そっか。じゃあ、待つよ」

「ん。……もうちょっとでいつも通りになるから……少し、待っていて……」


 待っている内に授業が始まった。遅れて登校しているおれに気づいた先生が、最低限の怪我の具合を聞いてくれて……。クラスのみんなに説明できたのは助かった。

 血を吐いたから大怪我に見えるけど、大したことないよ、と伝える。実際、ぴんぴんして登校しているのだから、みんなが想像するほど大げさな怪我ではない。

 もちろん雪門も聞いているだろうから、心配いらないよ、と彼女にも言ったつもりだった。


 おれに軽く触れた後、いつも通りに授業が始まる。卒業式直前なのに授業をするのか、と思ったが、中高一貫の学校だから高校入学の試験もない(外部受験する生徒は別だが)……中学から高校という枠に変わるだけで、授業内容は継続しているのだ。


 卒業式もする必要がない気もするが、まあ、これも一種のイベントだ。

 しないのは保護者が嫌がる、という側面もあるらしい。

 小学校とは雰囲気が違う、卒業式直前だった。



 授業を終えて先生が退室すると、雪門がおれの袖を引っ張った。


「もういいのか?」

「ええ。……昨日はありがとう。これ……お礼、ってわけじゃないけど……」


 渡されたのは高級そうな…………お菓子?

 バレンタインは過ぎているけど……中身はチョコのようだった。

 過ぎているからこそ渡せたのか。

 このチョコレートにそういう意味はない、と……いいけどね。


「お礼じゃないわ。それで昨日の恩が消化されたわけじゃない。……恩人へのお返しをそんな安物で済ませる女と思わないでよね」

「思わないって。……ありがたく貰っておくよ。けどさ……恩を返すと言って大げさなことをされても困るぞ? 正直、これでチャラってことでもいいと思うけどな……」


「これでチャラになるわけない」

「なら、数で稼げばいいんじゃないか?」

「それで私の気が済むと思ってるの?」

「いや、おれへの感謝なんだろ?」

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