第25話 絶望を砕く

 文字通りに、人質を取られた彼女たちは手も足も出なくなった。

 彼を押さえてしまえばそれで解決、ではないのだ……。たとえ彼を捕らえても、仲間が妊婦に手を出せば同じことだ。

 事故を引き起こせば、妊婦が助かっても胎児は難しいかもしれない……そしてそれは、証拠がなければ裁けない。

 立花録助は――十中八九、逃げ切れる。


「僕を、怒らせないでくれるかな」


 そいつは安全地帯で優雅を気取り、仲間に指示を出して旨味だけを貪り食っている。

 地獄に落ちるべき人間とは、こいつのことを言うのだろう――だから。


「あ……、にいさん、血が……」

「もう大丈夫だ。ありがとう、蝶々」


 真っ赤に染まり、湿っている服。

 傷口を手で押さえても、滴る血はまだまだ止まらない。

 それでもおれは立ち上がる。二本の足で立ち、飛鳥を越えていく――。


「陽壱……?」

「アンタ……、動けるのかい……?」


 ふたりを越えて、輪の中心へ。

 ふらふらになっているおれを見て、一瞬ぎょっとしたものの、大怪我をした人間なんて脅威ではないと感じたのだろう。メガネくんはスタンガンを突き出し、下卑た笑みを見せた。


「僕のやり方が許せないか? 姉が短絡思考の暴力女なら、弟のお前もそうみたいだな。ナイフで刺されてもまだ学習しないなら、最高出力の電撃で今度こそ病院送りにしてやるさ」


 バチッ、バチチィィッッ!! という電気が弾ける音を聞きながら。


 ――突き出されたスタンガンを、血で濡れた手のひらで、握り締める。



 光を砕いた。

 ――バッツ、ッチィィッッ!!

 ……音と衝撃が、耳を貫いた。



 周囲の少女たちが仰け反る。尻もちをついている人もいた。メガネくんも同様に。

 不意を突かれた衝撃は、彼の意識を一瞬でも奪うには充分だった。


「は……? なに、が……」

「あー……やっぱり、痛いな……」

「は?」


「スタンガンは慣れてないからな、めちゃくちゃ痛いじゃん、これ――」

「ふ、ざけるなッ! 痛いで済むわけな――……あ?」


 動揺するメガネくんは、大怪我をしていながらもまとも動けるおれを見て、目を点にしていた。……ああ、もう大丈夫。怪我なら治ってる。

 スタンガンも、痛くてびっくりしたけど、意識を奪うほどではなかった。ちょうどいい目覚ましになったとも言える。


 流れた電流が全身の回路を起動させたみたいに――感覚の話だけど。

 スタンガンにはまだ慣れていないけど、おれの体と相性は良いのかもしれない。


「こんなもん、おれ以外に向けるなよ?」


 彼の手からスタンガンを奪う。

 あっさりと奪えたのは、彼が放心しているおかげだ。


「……やり方が気に入らないんだ。それがお前の戦い方だとしても、おれは嫌いだ」


 私怨だった。

 メガネくんと同じく……だからおれだって、人から非難される側だ。

 相手の悪を裁ける正義ではない。だから私怨でいい――許せないから、戦う。


 血が滴る拳をぎゅっと握り締める。震えているのは電撃がまだ手の中にあるのか。

 それとも抑えられない怒りか――。

 ひぃ、と怯えたメガネくんが一歩後退するも、彼は人質の存在を思い出したようで、


「ま、待てっ! 妊婦の子供が事故で死んでもい、」


「それ、おれには関係ないことなんだけどな」


 距離を詰める。

 踏み込んだ。拳を、振り上げる――――



 おれの真っ赤な握り拳が、メガネくんの眉間に突き刺さった。


 メガネはひしゃげて形を歪め、宙を舞う。


 同時に彼の両足が地面から離れ、受け身も取れずに地面を転がっていった。


 衝撃が頭を撃ち抜いた……その一撃で、彼の意識が飛んだようだ。



 倒れた彼は動かない。

 足で小突いてひっくり返してみれば…………完全にのびている。

 多少体を揺すったくらいでは起きなさそうだ。


 ……これは、勝った、でいいんだよな……? だけど素直に喜べないのは、彼が気絶したこと、それを合図として人質の妊婦が事故に巻き込まれてしまうことだ。

 そこに考えがいきついた時、さっと顔が青くなった……やばいかもしれない。


「……まずいことになったかも……――どうしよう!?!?」


 頭を抱えるよりも早く。

 石段の上から声がかかった。一部始終を見ていたのだろう……雛姉だ。



「――人質の妊婦、無事みたいよ。保護もしたわ……しばらくはこっちで面倒を見るから大丈夫……。ねえ、あなた。愛染あいぞめ夏凜かりんさん――」


「え。は、はい……っ」


 不良少女たちのリーダーを務める少女が、怯えながらも返事をした。

 ドッペルゲンガーではなく本物の雛姉を見て戸惑ってる? ……じゃなくて、本物はやっぱり存在感が違うのだろう。


 雛姉の雰囲気は優しいだけでなく、今だけはやっぱり剣呑な雰囲気も持っているから……。

 緊張するのも当然だ。

 不機嫌、ってほどではないけど……やっぱり、わだかまりはあるわけで。

 理由があっても一部始終を見ていれば、褒められたことでないのは明白だから。


「あなたに、私の親友から伝言よ――そしてあなたが慕う『姉さん』でもある。あの子はこう言っていたわ……『ありがとう、総長』、ですって」

「……ぅ、姉、さん……っっ」


「それじゃあ――……入ってくれる? そこでのびてる子も連れて。私のおじいちゃんから『お話』があるみたいだから」

「…………はい」


 素直に頷く不良少女たちがバイクを移動させた。壁際に寄せて、綺麗に並べている。

 そういうところ、やっぱり根が真面目な部分が出てるなあ……。


 重たそうなバイクを移動させるのに四苦八苦している人がいたので、「あの、おれも手伝う?」と聞けば、「怪我人はさっさと上で治療してもらいな!」と言われてしまった。

 ……もう治ってるんだけど……知らなければそりゃそう言うよな。


 雛姉の『良くは思っていないから』という視線はずっとおれに向けられている……、治ってるけど、やっぱり一度は診せた方がいいか。

 血で濡れた服も着替えたいし。

 年上の優しさに甘えて石段を上がると――目の前から差し伸べられた手があった。


「……飛鳥?」

「ん。おぶるとは言わない。でも手くらいは……引いてやる。――ありがとな」

「なにが?」


「…………なんでもねえ。さっさと帰ろう――……それでさ、陽壱」

「なんだよ」

「あとで……――ボコボコにしてもいい?」


 なんでだよ! とツッコミたいところだったけど、冗談にしたくない飛鳥の『甘えたい』というサインだった。


 雛姉にしか甘えられなかった飛鳥の初めてのお願いに、断る理由はない。

 血塗れのおれに「ボコボコにしていい?」なんて、傍から見ればぎょっとする会話だったけど、これがおれたちのコミュニケーションの取り方だし、甘え方だし、罵り合っても不仲ではない姉弟の接し方だ。


 思わず、くす、と笑みが漏れた。


「いいよ……存分に」

「うん。……今夜……」

「あ、夜は蝶々と天体観測があるからダメだ。……夕方でいい?」


 昼間は黒冬さんと勉強会がある。

 ……そう考えると、意外とスケジュールがぱんぱんに詰まってるなあ。


 今年の夏休みは、退屈しないで済みそうだ。

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