(3)ウェディングプランナー ③



「……受けないほうがよかったか?」


 妙な感傷に引きずられて取材のオファーを受けてしまったことを早くも後悔しつつ、飯島はデスクに腰を下ろす。

 とはいえ、プランニングへの集中力はすっかり潮が引いてしまっていた。

 おもしろそうに声をかけてくる黒瀬に小言をいうぐらいしかできなかった。


「主任、ウェンディデビューおめでとうございます」 


 立花の浮ついた雰囲気から察したらしい。


「誰のせいでこんな目に遭っていると思っているんだ、黒瀬」

「おかげっていってくださいよ」

「少しはしおらしいところ見せてくれ」


 飯島は息を吐いてから、デスクに戻る気配のない部下につづけた。


「あとは真面目なところもな。おまえの仕事は俺をいじることじゃないだろう。業務中に私語が多いんじゃないか? さっきもいったけどな、本気なら——」

「業務中じゃないですよ」

「ああ?」

「私もう仕事終わってますから」


 黒瀬が腕時計を見せてくる。

 覗き込んでみると、終業時刻を過ぎていた。オフィスを見渡せば、多くの社員が退勤にむけて動いている。


「なんだ。もうこんな時間か」

「ボケちゃったんですか?」


 よくよく黒瀬を見直すと、すでに帰り支度を済ませてあるようだった。

 彼女は露出が多かったりと、オフィススタイルにしては派手な印象が強い。このまま繁華街に遊びにいけそうですらあるし、実際にこれからいくのかもしれなかった。友人とクラブにいったなどの、そういった系統の話は小耳に挟んでいる。


「終わっているんだったら早く帰れ。ラッシュに巻き込まれたくないだろ」

「まあまあ、そんなツレないこといわないでくださいよ」


 飯島がしっしっと手を払うも、黒瀬はデスクの前をぶらつきはじめる。

 上司の仕事などおかまいなしに、雑談を始めようというらしい。勝手な部下だ。


「主任。取材受けるんだったら、髪とかもっとキメておいたほうがいいですよ。私のオススメのヘアサロン紹介しましょうか? チルい感じのところで落ち着くんですよね」

「ふうん。黒瀬はそこに通っているのか」

「そうですよ。どうですか?」


 黒瀬はミディアムレングスの髪を触ってみせる。紫がかって見える黒色が特徴的だ。


「落ち着く、か。それはおまえが若い女だからだろうな」


 飯島がシニカルに笑うと、黒瀬は感覚のずれを顔に出した。


「あー。それ、関係あります?」

「あるだろ。ターゲット層が違う。三十過ぎの男がいける場所じゃない」

「なにカタいこといってるんですか。メンズも全然やってますよ。主任よりずっと上のイケおじなんかもフツーに見ましたって」

「へえ、そうなのか」


 ふむふむと頷いたあとに、一拍置いていった。


「ちなみに黒瀬は、その紹介でいくらの割引クーポンがもらえるんだ?」


 あははは……と黒瀬の視線が逃げていく。案の定、善意だけではなかった。

 つられて飯島は喉を鳴らす。


「上司使って節約とはいい度胸だな」

 

 ウェディングプランナーという人との対面がメインで清潔感が必要な仕事柄、飯島はこまめに美容室に通っていた。スキンケアやスーツの仕立ても含め、人並み以上に身なりやエチケットに気をつかっている自信はある。よけいなお世話ということだ。


「そういう心がけは悪くないけどな……そもそも割り引かれるにしたって、俺と鉢合わせるリスクに比べたら安いだろ」

「は? どういうことですか?」

「プライベートで上司と会うなんて最悪じゃないか。羽根を伸ばしにきているのに」


 すると、黒瀬は一瞬だけ言葉を詰まらせた。


「それは……べつに。リスクとかじゃないし。私は平気ですけど。ガチで主任の気持ちしだいって感じです」

「気をつかわなくていいぞ」

「つかってませんよ」


 つかっているだろう、と返しそうになったが、押し問答で長引かせてもしかたない。飯島は先に折れておくことにした。


「わかった。おまえはいいやつだな。ありがとう。気持ちだけ受けとっておく」

「出た。その言い回し嫌いなんですよね。私は——」


 なおもつづけようとして、黒瀬は一度唇を閉じたあとにいった。


「まあいいですよ、今回は。せっかくイケメンにしてあげようと思ったのに。そんなメンタルじゃモテませんよ?」

「世話焼くのはヘアスタイルまでにしてくれ」

「焼いてるわけじゃないですけど。じゃあ、私はクーポンチャンス逃がしちゃったんで帰りますね」


 黒瀬はブランドのバッグを肩にかける。

 なんだか機嫌が斜めになっている気がしたが、触れずに飯島は返した。


「そうだな。気をつけて帰れよ」

「主任もあんまり遅くいちゃダメですよ」

「じきに帰るさ」

「おつかれさまです。また明日」

「ああ、おつかれ」


 オフィスを出ていく黒瀬の背中を見送ってから、飯島はパソコンに向き直る。

 残って進める仕事は、彼女の教育資料作りだった。

 冷めたコーヒーをすすりつつ、彼はキーボードを叩きつづけた。


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