(12)2021:帰り道



 その日の夜。

 退勤した飯島は、ふだんどおり最寄り駅から電車に乗った。

 だが、その横にはふだんとは違う存在が立っていた。

 黒瀬楯だ。

 彼女は鼻歌を口ずさんでいる。

 そのメロディには聞き覚えがあった。


「懐かしい歌だ。hitomiの『LOVE2000』だろ。いい曲だよな」

「んー? よくわかりましたね。メッチャ好きなんですよ、この曲」

「世代じゃないだろ。どこで知ったんだ?」

「昔に母が教えてくれたんです。私の世代だからって」

「ん? いまいちわからないな」

「忘れたんですか? 私、二〇〇〇年生まれですよ?」

「くははっ。そりゃたしかに世代だ」

同世代タメなんで」


 つられて笑う楯を見つつ、飯島はいった。


「しかしまあ、まさかおまえと連れだって帰宅することになるとはな——」


 カネダセイジを蔡に預けたあと、飯島は帰宅後に彼女に事情を尋ねようと考えていた。

 そんなおりに、楯がこう持ちかけてきた。


 ——主任の部屋についていってもいいですか? 蔡さんから話を聞くんですよね? 私だって部外者じゃないんだし、資格は十分にあると思いますけど?


 変な真似をするなといったばかりだろう、と拒否したかった。

 だが、その主張は間違っていないし、むしろユイという名前で泣きつかれた彼女のほうが、知る権利を強く持ちえるのかもしれないと思った。

 意外と真剣な表情も手伝って、押し返すことができなかった。

 その結果が今というわけである。


「なんで蔡さんはカネダさんを迎えにきたんですかねー」


 楯がいった。

 そのとき、急に車両が揺れた。

 飯島は吊革を持っていたので平気だったが、そうでない彼女はバランスを崩した。

 とっさに手で支えると、飯島の胸に身を寄せるかたちになる。

 くしくも昼間と似た格好だ。


「大丈夫か? 黒瀬」

 

 飯島が尋ねると、楯は姿勢を直して「主任」と指を突き立ててきた。


「知ってますか? これ、姉がゲームしてるときにいってたんですけど。同じ攻撃技は繰り返して使うと効果が薄れるらしいんです。だから、手を変え品を変え攻めないとダメなんですって」

「なんだ、急に。関係あるのか」

「ありまくりですよ」

「さっぱりだ」

「さっぱりなうちはダメなままですね」


 本当に意味がわからなかった。

 釈然としないものを、飯島は周囲を見やることでごまかす。

 車両内は男性客が多かった。若者や中年男性がスマートフォンをいじっている。

 ところがその実、ちらちらと楯のほうを見ているのを飯島は感じていた。今のやりとりだけが原因ではない。それより前からだ。

 楯は目立つ女子だった。

 長身もさることながら、その容姿が視線をいざなう。

 羽虫のように顔や胸、腰にたかる視線を、自分がわかって彼女がわからないはずがないと思った。

 しかし、彼女の表情に意に介す様子はまったく見られなかった。

 ただ瞳を向ける相手は飯島のみだった。


「……どうした」


 あまりにもまっすぐな瞳なので聞いてしまう。


「いえ? なんか機嫌悪いのかなって思って」


 そんなつもりはなかった。否定しようと思ったが、そのまえに続けていわれた。


「女の子といるときはよそ見しないほうがいいですよ。ダメな主任にアドバイス」


 嘲笑われているにもかかわらず、なぜかいい返す気持ちにはならなかった。そうしてはいけない気すらして、飯島は降車駅まで彼女の言葉に従うことにした。





 駅から飯島のアパートまでの道中にはコンビニがあった。

 楯が飲み物を買いたいといったので、一緒に入店することにする。

 ついでに食料でも買い足しておくかと思い、飯島は買い物かごに商品を適当に放り込んでいく。

 飲料コーナーを覗くと、楯がしゃがんでアルコール類を物色していた。


「飲み物ってそういう意味か? 遊びにくるわけじゃないだろう」


 飯島は棚のガラス戸を手で押さえる。

 楯は顔を上げてきてへらへらと笑った。


「ヤダな。新しいのチェックしてただけですよ」

「用がないならもういくぞ」

「待って待って」


 慌ててペットボトルの紅茶を手にとる彼女を尻目に、飯島はレジで精算を済ませる。

 そのとき、視界の端に人気の週刊少年誌を立ち読みしている少年が映った。

 自分も中高生のころは同じことをしていたかな、と思いながら夜空の下に出る。


 ——ふと後ろを見ると、楯が同じように少年のほうへ顔を向けていた。


 店内からの逆光で、表情は陰になりわからない。

「黒瀬?」と声をかけると、彼女は小走りで追いついてくる。


「もう。待ってっていったのに」

「あの少年がどうかしたのか。知り合いに似ていたとか」

「あー、そういうワケじゃないんですけど」


 どこか歯切れの悪い返事だった。すぐに楯はつづけた。


「てゆーか、主任は何買ったんですか。見せてくださいよ」

「あ、おい」


 楯は、飯島の持つレジ袋の片方の持ち手を奪ってきたかと思えば、一つの袋を二人でぶら下げるかたちにする。そしてオープンになった中身を見て、あきれた声を出した。


「なんですかこのセレクト。独り暮らしのアラサー男かっつーの」

「まさにそのとおりだろ」

「インスタントばっかだし。カット野菜で健康気づかってるフリしてんの草だし」

「悪かったな。でもサプリメントは飲んでいるし、ガテマラの弁当は栄養バランスがいいから大丈夫だ」

「お昼の一食ぐらいでなにドヤってんですか」


 楯は不機嫌そうにつづけた。


「このままじゃ主任、どっかでコロッといっちゃいますよ」

「葬式にはおまえたちきてくれるかな」


 飯島が冗談めかして返すと、彼女は間髪入れずにいいきった。


「絶対きますよ。それで、みんな死ぬほど泣くと思います。夏菜子先輩も麻里さんも立花部長もみんな。だから、そうならないようにしてください」


 声のトーンはいつもの雑談と同じだったが、それはそう努めているだけのような気もした。


「……そうか」

「あと、主任って社内のDIYとか機械メカの修理とかムダに得意なんですから、いなくなったらどうするんですか。女子だけだとそういうの困るんですけど」

「そっちがメインの理由でいっているんじゃないだろうな」


 そう笑った飯島は、街路灯のまばらな歩道を楯と並んで歩んでいく。

 アスファルトには冷気が染みはじめており、秋が深まっているのを感じる。一人での帰り道ならば、この季節特有の感傷が首をもたげただろう。

 だが、今はそうならなかった。

 その理由は、結局アパートにつくまで袋の片側を持ったままだった。



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