(18)招かざる招く客
飯島の隣の部屋には明かりが点いていた。蔡はすでに帰宅しているみたいだ。
話を聞かせてもらう立場なので自室に招待すべきだと考えていた飯島は、外廊下に楯を立たせて告げる。
「黒瀬。少し待っていてくれ。部屋を片付けてくる」
さすがに女性二人を歓迎できる状態ではない。
「はぁい」という声を背に受けて、飯島は部屋に入る。
しかし——すぐにドアが開く音が聞こえたかと思えば、なにくわぬ顔をして楯は入ってきてしまった。口笛を吹いてさえいる。
「いや、待ってろっていっただろう」
「てゆーか、二人で片付けたほうが早くない?」
飯島の言葉の意味をわかっていて、あえてそれを破壊しにきているのは明白だった。
「なにキョドってんですか。べつにナニが出てきても気にしないですよ」
楯は腰に手を当てて、堂々と部屋の真ん中に立つ。テレビデッキに目を留めて、その前に四つん這いになると、棚に手を伸ばした。そこには数枚のディスクがある。
「何をしている」
「まあまあ。オトコの部屋にAVないほうがありえないっていうか? 後輩OLモノが隠されてても見放さないから安心してください。ちゃんとイジってあげますよ」
いっていて恥ずかしくないのか、と飯島は独りごちた。楯を追い出すのは諦め、ごみ箱を持ち出す。
「期待外れだと思うがな。それより手伝う気はあるのか?」
「ありますって」
楯は飯島のほうにヒップを向けたまま返事をする。棚を探り終えると、上体を起こしていってきた。
「つーかホントにないじゃん。つまんな」
「だからそういっただろうが」
飯島は鼻を鳴らしてテーブルに取りかかった。その後ろで楯がいう。
「あーあ、主任ってば散らかしすぎ。外ではきちっとしてる感じなのに、意外とズボラなんですね。誰かがいないとダメになるタイプだ?」
「べつにそんなことはない。毎日とはいわないが、ちゃんとやっている。今日はたまたまそういうときだっただけだ」
「主任をダメにしない人が見つかるといいですね」
「あのな、話聞いてたか?」
飯島はあきれて振り返る。
そこでは、勝手知ったる他人の家というべきか、まるで長年この部屋で暮らしているかのように、楯が取り込んだままの洗濯物を膝の上で畳んでいた。
これまで想像もしなかった家庭的な姿に、思わず手を止めてしまう。
すると、そんな飯島の視線を予期していたかのように、楯は妖しげに見返してきていった。
「どうしたんですか。そんなにこっち見て」
「いや」
「何か見つけたんですか」
「べつに、何も……」
飯島は背を向け直し、いったんやりとりから逃れようとする。
しかし、それが失敗だった。
「これ主任の勝負パンツ? ダサくね?」
そうボクサーパンツを広げてくる楯に対する反応が遅れてしまった。
飯島はパンツをふんだくってクローゼットに投げ込む。
楯は「ナイッシュー」とけたけた笑っていた。
「まったく油断も隙ない。本当に厄介なやつだな、おまえは」
「あー。マジウケる」
次なる玩具を探そうというらしく、楯は周囲を見る。
だが、そのおもしろそうな表情は不思議がるものへと変わっていった。
「主任。いっこ質問」
「なんだ」
「主任ってミニマリストってやつ?」
「違うが。急にどうした」
「なんかモノが少なくないですか? インセンティブもあるし、お金もらってないわけじゃないですよね?」
「ああ、それならただ趣味がないだけだと思う」
「スポーツとか車とか、ゲームも?」
「そうだな。しいていうならコーヒーだ」
飯島はキッチンを見やる。挽いた豆の保存缶やサーバーが置いてある。
黒瀬は「ふーん」とそれにならってから、顔を向け直していってきた。
「ダメですよ。もっと人生楽しまなきゃ。今度クラブでもいきます?」
「クラブだって? 相手を見ていえ。場違いだろ」
「バカみたいにダサくなきゃ大丈夫ですよ。フツーのお酒飲める場所って感じです。いったらなんだかんだで主任ハマりそうな気がするんだけど」
「飲むだけで踊らなくていいのか?」
「べつに? 端で飲んでればいいし、気が向いたときにテキトーに体動かしていればオッケーです。私もこんくらいのノリですよ?」
そういいつつ立ち上がった楯は、パイソン柄のケースのスマートフォンを取り出した。
立ち上げたのは音楽アプリだろうか。エレクトリックな音楽が流れだす。
彼女は小さく英詞で歌いながら、からだを揺らしはじめた。脇を軽く上げ、肩から腰の流れでリズムの波に乗る。くびれが妖しく招き、合わせてピアスも踊る——。
適当とはいったものの、その心をたぐり寄せるような動きは、誰もができるとは思えなかった。
「主任も動いて」
「ああ?」
「踊ってみてください。私に合わせて」
寄せて返す動きで煽られ、飯島は真似をしてみる気持ちになってしまった。
「こ、こうか?」
腕を上げ、リズムを意識して揺れてみる。
「ぎゃははははははっ! それ阿波踊りっ!」
爆笑された。
飯島は棒立ちになる。楯を見ると、腹を抱えてうずくまっていた。
「ヤバい。腹いったい。死ぬ」
「……わかっただろ。俺には無理だ」
「いや、これはこれでバズれるかも。おもしろすぎっしょ」
楯の顔はまだにやけていた。目じりが濡れている。
とはいえ、飯島のふてくされた空気を感じ取ったのか、彼女は音楽を止めて慰めまじりにいってきた。
「あは。主任にクラブはちょっと早かったかな」
「早いんじゃなくて遅いんだよ。何歳だと思っているんだ」
「そんなことなくない? どんな時からだって、何かを始めることはできるんじゃないですか?」
「聞き飽きたセリフだな。何のドラマの受け売りだ?」
「うわ。リアクション、だる」
「うるさいぞ。ほら、遊びは終わりだ。さっさと手を動かせ」
二人は掃除を再開する。
タイムロスを挟んだものの、やはり人手が倍になるのは効率の面で大きく、結果的に楯のいったとおり片付けは早く終わった。
「しゅーりょー」
楯はくうっと伸びをしてベッドに腰を下ろすと、そのまま背を倒してしまう。
そこは、自分以外の人間が横になることのない場所だ。今さらながらに、部屋に黒瀬楯がいるという事実に強い違和感を覚える飯島だった。
彼女は無防備な体勢で息をついてからいった。
「——で、ナニするんでしたっけ?」
「おいおい。蔡さんに話を聞くんだろう。寝てる場合じゃないぞ」
「わかってますって」
楯は軽薄に笑う。それから首を捻り、枕元で鼻を動かしながらいい返してきた。
「においチェックしてしてただけですよ。主任もアラサーなら気をつけはじめないとダメですからね」
「臭いとかいじるのはやめてくれよ。地味に傷つくからな」
「どうしよっかなー?」
小意地の悪い視線を向けてくる。しかしそれきり何もいわずに、彼女は立ち上がった。
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