(16)ストレンジマン ②
カネダセイジという男は泣き果たしたのか、動かなくなってしまっていた。
さすがにそのまま放っておくわけにもいかなかったため、ひとまず守衛室に運び込んで、警察に保護してもらうことにした。結婚式の最中なので目立たないように裏からきてほしい、とつけ足して通報したのは十分ほど前だ。部長の立花には、トラブルで職場を離れることを伝えてある。
カネダセイジはうなだれて一言もしゃべらなかった。意識を失っているわけではないみたいだが、守衛が茶を勧めても反応がない。
その様子を、飯島は窓越しに外から見ていた。
「燃え尽きちゃったボクサーみたい」
そうつぶやく楯も、隣で同じようにさせている。
いつまたカネダセイジが豹変するかわからないため、同じ空間に彼女を置くことはできなかった。
飯島は青色の息を吐いていった。
「黒瀬。おまえよくもあんな無茶してくれたな。危害を加えてきた男に寄り添うなんて、考えなしにもほどがあるぞ」
「私だって『ヤバ! コワ!』ってなりましたよ。……でも、なんかメッチャ悲しそうに見えたから、思わず体が動いちゃいました」
「おまえのそういうところは評価できるけどな……。腕は痛くないか? あの男につかまれただろう」
「あー、そっちは全然ヘーキ」
「本当か? 嘘はつくなよ」
「ガチですって。私、高校のバレー部でアタッカーやってたし、フィジカルには自信アリなんですよね」
「……わかった。信じることにするが、とにかくもう変な真似はしないでくれ。何かあったら親御さんに顔向けできない」
飯島が顔を指差すと、楯は鼻先を寄せていった。
「へえ? 顔向けって、それ何目線ですか?」
「管理監督者目線だ」
「カンリカントクシャ?」
「おまえは社会に出たばかりだからな。すべてを自己責任で片付けることはできないと思っている。いちおうはまだ、人を預かっている気持ちでいる」
「はあ」
楯はわかったようなわからないような返事をする。それから肘でいやらしく小突いてきた。
「なんでもいいですけど、ちゃんと父と母に顔向けできる顔でいてくださいね」
「どういう意味だ」
「安心してください。さっきの主任は顔向けできるタイプの主任でした」
楯はいつもとは違う微笑を見せてつづけた。
「助けてくれてありがとうございます。カッコよかったですよ」
「……黒瀬の口からそんなセリフが出るとはな」
「たまにはちゃんと褒めますよ」
「そうか。そいつはありがたいな」
くっくっと笑ってから、飯島はいった。
「……だが、無事で本当によかった。俺にとって、おまえは大切だからな」
意識なく出た言葉が、二人のあいだで漂った。
会話がとぎれ、飯島は楯を見る。
彼女は少しこわばって下を向いていた。
「主任。もしかして——……」
「変なこといったか? 部下は大切だから守るだろ。当然だ」
楯は黙ってしまった。
飯島の視線に気づいて、取り繕うように話題を変えてくる。
「てゆーか、カネダさんのいってたユイさんってどんな人なんですかね」
「あの様子だと、おまえに似ているみたいだな」
飯島は宙を見ながらいう。
「ウチの親戚にカネダさんなんていないと思うんだけどなー」
カネダセイジ。
カネダユイ。
夫婦だという二人——。
「俺は聞き覚えがあるかもしれない」
「ガチですか」
「黒瀬は年齢的に知らなくても不思議じゃないな。あの男が本当にそうなら」
「ふうん。それって——あっ、主任」
楯の視線の先に目をやる。
裏門に一台のパトカーがやってきたのを認めて、飯島は近づいていった。
停車したパトカーから二名の警官が出てきて、片方が後部座席のドアを開ける。
そこから現れた人物に、飯島は目を見張った。
「——
隣人の蔡だった。
彼女はすまなさそうにいってきた。
「いやあ、やっぱり飯島のところだったね。ごめんね。迷惑かけた」
「主任? 知ってる人なんですか?」
「ああ。俺の隣人なんだ」
その言葉を聞いて、楯は露骨に羨ましそうな顔をした。
しかし、蔡が自分の何回りも離れた年齢だと見立てると、余裕を感じる笑みでいった。
「はじめましてー。飯島主任の部下で黒瀬っていいます」
「ありゃ。こりゃまたお人形さんみたいな子だね。私は蔡。よろしく」
「自己紹介はいいですよ。蔡さんがどうしてこんなところにいるんですか」
飯島がもう一度尋ねるのと、警官が声をかけてきたのは同時だった。
「男性についてお話を伺いたいので、少しよろしいですか?」
「あ……ええ。わかりました」
業務的な目つきだ。待ってくれとはいいづらい。
蔡を見ると、彼女は頷いていった。
「どうせ隣に住んでいるんだから、あとで話してあげるよ」
そして、守衛室から警官に支えられて出てきたカネダセイジの背に張り手をして、「あんた何をやっているんだい」といつもの大きな声を出していた。
その後は、飯島は楯と事情聴取を受けた。
事の経緯を説明しながら、パトカーの中のカネダセイジに目をやる。
隣から蔡がしゃべりかけるのに小さく応えながらも、彼の仄暗い視線は楯に注がれているような気がしていた。
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