(15)ストレンジマン ①
※
ウェンディの取材より二週間後。
その日、ベル・エ・ブランシュでは結婚式が挙げられていた。
カリヨンの鐘が祝福の
チャペルのバルコニーから、下に集う
飯島はその様子を眺めていた。
近くでは、宮木夏菜子がハンカチを手に涙ぐんでいる。
「
自身が担当した挙式なのだから、感動もひとしおだろう。
押し出した言葉は真心に溢れていた。
「きれい」
隣には楯もいて、同じように眺めながらつぶやく。
——ああ、本当に美しい。何ものにも代えがたい、愛の輝きだ。
飯島の中にも、しだいに込み上げるものがあった。
ぐっと堪えてその場を離れる。
消えていく背中を見つつ、楯がいった。
「主任も夏菜子先輩みたいに泣けばいいのに。誰もバカになんてしないですよね」
横溝麻里が近寄ってきて答えた。さらりとしたショートヘアをそよ風が梳く。
「飯島くんにもプライドというものがあるんじゃない? 女の前で涙を見せるわけにはいかない、みたいな」
「ふうん。主任もいっちょまえにオトコなんだ」
「黒瀬。あなた、彼を何だと思っているのよ」
「えー? 知りたいですか?」
「いいわ。興味ないから」
本当に興味がなさそうに横溝は前を向く。
きゃはは、と小さく笑ってから、楯は彼女にならった。
すると、人だかりが盛り上がっているのが見えた。
「あっ、麻里さん。新婦様がブーケトスやりますよ」
スーツをつまんで呼ぶのと同時に、わっという声とともにブーケが放物線を描いて宙を舞う。
その幸せのリレーバトンを、楯は見ていた。
目の潤みが消えたことを確認して、飯島が戻ってきたのは、それからしばらくしてからだった。
チャペル前の芝生の広場では、今もなお祝宴が続いている。
そこへ歩を進めだしたときだった。
白亜の門のところに、二つの人影が見えた。
一人は守衛だ。長年勤めてくれている高年の男性。
もう一人は誰だろう。みすぼらしい風体の男だった。スーツは着用しておらず、清潔感のない格好をしている。参列者にはとても見えない。
守衛は彼と揉めているみたいだった。
そこは会場からは陰になって見えにくいが、万が一にも参列者の目に留まれば、何事かと結婚式に水を差してしまう。
飯島は二人のほうへと駆けていった。
「どうしたんですか?」
「飯島くん? いやね、なんかこの人ふらふらと入り込んじゃったみたいで。なかなか帰ってくれないんだよ」
困った顔の守衛に続いて、男を見る。
歳は四十代くらいだろうか。髪と髭が伸び放題のせいで、顔の造形がつかみづらい。目元の皺はナイフで切れ込みを入れたかのように深く、痩せた胸板は老いた
不審な男はチャペルのほうをぼんやりと眺めつつ、何かをぶつぶつといっている。
飯島は彼を問い詰めた。
「あんたはなんだ。ここは結婚式場だ。関係ないなら立ち去ってもらう」
「ここはいい場所だ。そうだ。ここに決めた」
男はまったく飯島のほうを見ようとしない。かすれた声には妙な熱があった。
「話を聞け。あんたはなんなんだ」
「とても美しい場所だ。きっと喜ぶに違いない」
不気味な独り言だ。
このままでは埒が明かないと、飯島が舌を弾いたときだった。
「——主任? どうしたんですか?」
後ろから声がした。
そこに黒瀬楯がいた。
おそらく、飯島が門へ方向転換する姿をたまたま発見していたのだろう。気になって追ってみたら、なにやら揉めている。心配になり、声をかけてきたという具合か。
しかし、部下をこんな不審者に近づけさせるわけにはいかない。
「黒瀬……おまえは下がっていろ。警察に通報する準備だけしておいてくれ」
そう目を離した隙だった。
男は登場した楯をまじまじと見つめたあと、突然に叫んだ。
「——ユイ!!」
その痩身からは思いもよらない力で飯島を押しのけて、楯めがけて突っ込んだ。
彼女は両肩を鷲掴みにされる。柔肌に男の爪が食い込み、驚きと苦痛に表情を歪ませた。
「う、くっ」
「ユイ! ユイ!」
押し倒して襲おうかという勢いだった。
「なっ、何をするんだおまえ! そいつから離れろ!」
飯島は負けじと楯を奪い返し、かばうように抱き寄せる。女性にしては大きいと思っていた体は、意外なほど簡単に腕の中に収まってしまった。「主任」と小さく声が聞こえたが、そちらを見る余裕はない。
「ユイ……! ユイ……!」
男はしだいに膝をつき、四つん這いになって泣き出してしまう。
飯島は肩で息をしながら、その様子を見下ろすことしかできなかった。
「……もう平気です」
そう楯が飯島の腕をそっと解いたのは、少ししてからだった。
男にゆっくりと近づいていく。引き止めようとするも彼女は聞かず、彼の前に屈み込む。そして、あろうことか慰めるように頭を撫でた。
「黒瀬」
「大丈夫です」
「そんなわけあるか」
「大丈夫。泣いているだけです。この人」
男はユイという名を繰り返しつつ、楯のスーツスカートの裾をつかんでいた。
すがるような、祈るようなその姿に、飯島は言葉が出てこなかった。
楯は優しくいい聞かせる声でいった。
「おじさん。私はユイじゃありません。ジュンっていいます」
「ユイ……」
男は顔を上げる。目は真っ赤だった。
「おじさんの名前はなんていいますか?」
すると、男は声を震わせて口を曲げた。
何をいっているんだというふうに。
「カネダセイジだろう。おまえはカネダユイ。俺の妻じゃないか」
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