第一章
(1)2021:ウェディングプランナー
「主任。ウェンディの編集部の人から電話がありましたよ」
顧客とのミーティングを終えて、オフィスフロアに戻ってくると、
ウェンディという名前に嫌な予感を抱きつつも、自分のデスクへ向かう足は止めずに、彼女に尋ねてみる。
「用件は?」
「取材のオファーです。主任にインタビューしたいんですって」
やはりか、と思った。
その申し出はすでに一年前に断っているのだが、こちらの心境の変化でも期待したのだろうか。ため息がネクタイを緩めると同時にもれる。
主任と呼ばれた男——
「それで、ちゃんと断っておいてくれたんだよな?」
「ムリに決まってるじゃないですか。そんなの勝手にできませんよ」
黒瀬は眉をしならせ、手を横に振る。
「わかっている。冗談だ。報告ありがとう。その件については俺から先方に連絡しておくから、あとはもういいぞ。他言も無用だ」
軽く笑いつつ、飯島はデスクにパソコンケースを置いた。交代でマグカップを手にとり、共用のコーヒーサーバーへ足を伸ばす。
すると、黒瀬が後ろについてきて機嫌よさそうにいった。
「てゆーか、やっぱ主任って業界での知名度エグいですよね。ウェンディっていえば、結婚情報誌の最大手じゃないですか。そこから個別でインタビュー受けてくんね? ってガチですごくないですか?」
「まあ、仕事が評価されるに越したことはない。ありがたい話ではあるな」
「だったらなんで前回は拒否っちゃったんですか?」
「なんだ。知っていたのか」
飯島は、コーヒーが注がれるカップから黒瀬に視線をずらす。
新卒一年目の彼女は、当時まだ学生で入社すらしていないはずだった。
「ほかの先輩から聞きました。主任の鉄板ネタっていうか、ほぼほぼ伝説になってるみたいじゃないですか」
「悪い意味でな」
「興味ございません。キリッ。でしたっけ?」
きゃはは、と黒瀬は学生気分がいまだ抜けきらない声色で笑う。両耳で若いピアスが揺れた。
オフィスの外で見るなら可愛らしいしぐさかもしれなかったが、飯島はそろそろ社会人としての自覚を持ってほしいと感じていた。
彼女の教育を任されている身としては、なおのことそう思う。
「こんな新人にもいじられて、自分が役職持ちとは思えないな」
「それは主任が話しやすい人だからですよ。コワい上司より全然よくないですか?」
敬語だけとってつけた、友人に接するような口調——入社当時はそれなりにかしこまっていたはずなのだが、いつのまにかこれが標準になっていた。最近ではその敬語すらたまに飛んでいく。試しに注意したことがあるが、矯正される気配がない。
諦め半分で飯島は苦笑した。
「話しやすいというか、おまえには舐められているんじゃないかと思っている」
「えー? ちゃんと主任のことはリスペクトしてますって」
黒瀬は嘘か真かわからない目でへらへらと見てくる。
「どうだか」
「信じてないなら、イイところいっていきましょうか?」
「一つ出るなら御の字だな」
「まずは仕事が早いところっしょ? それと人のフォローでも手を抜かないところ。ほかの部署の人にも気配りできてるところ」
指を折って数える声を背に受けつつ、飯島は自席に腰を下ろす。
すると黒瀬は最後に声を上げた。
「あっ、一番大切なこと忘れてた」
「なんだ」
飯島は目を向けぬままコーヒーをすする。
「すべての新郎新婦からメチャクチャ感謝されてるところ」
マグカップを傾ける手が止まる。
見上げた先の黒瀬は、飯島の心を読んだかのように続けていった。いつもより少し低い声だった。
「おだててるわけじゃないですよ。私、主任みたいになりたいって思ってるし」
飯島はじっとその目を見つめる。数秒、視線が交わった。
「そうか」とオフィスチェアーに背を預け、彼は顎をしゃくった。
「なら今すぐ仕事に戻ったほうがいい。毎日が勉強だぞ。その言葉が本気ならな」
すると、黒瀬はどこか肩透かしをくらったような顔をして「はぁい」と離れた。
飯島は短く息をつき、デスクに向かう。しかしすぐに、自分も話を続けさせたくせに言葉が強かったかもしれないと思いはじめた。
ちらりと盗み見た先の黒瀬は、先輩と談笑を交えながらアシスタント業務に戻っていた。ふだんと変わらない姿を見せている。気にしたのは自分だけみたいだ。
コーヒーを再び口にし、飯島も仕事に手をつけることにした。先ほどの顧客とのミーティングで得た情報を、整理していかなければならない。
飯島康人は、都内の結婚式場『ベル・エ・ブランシュ』で働くウェディングプランナーだ。肩書きはチーフプランナー。同課のメンバーからは主任と呼ばれている。
四年前が転機だった。
そのころ、式場が宣伝のためにSNSに投稿したのが、彼がプランニングした結婚式のショート動画だった。
それが「天才的だ」と話題になって以降、大胆に定式を壊しつつ、かつ繊細に新郎新婦に寄り添った演出は、案件を手がけるごとに評価されつづけてきた。常に当人たちの期待を上回り、笑顔の大輪が咲く一日へと導く手腕は、今日のブライダル業界において注目の的だ。
もっともそれには、女性の活躍がほとんどのプランナー職において、男性という物珍しさが手伝っている印象は否めない。現に、課に所属しているのは、飯島以外すべて女性だった。
「キャンピングの趣味を通じて知り合った二人、か」
飯島はパソコンのディスプレイを眺めてつぶやく。開かれたオフィスソフトのページには、新たに夫婦となる二人の氏名が打ち込まれている。
ゆっくりと目を閉じると、挙式のヴィジョンが現れてくるような気がした。それに身を委ねるべく、意識を周囲から遠ざけていく。
「飯島くん、飯島くん」
声をかけられ、目蓋を開けた。
聞こえたのは、部下たちのデスクの島からではない。ガラスパーテーションで仕切られた部長室のほうを見ると、ドアの隙間から部長の
飯島は室内へと招き入れられて尋ねた。
「何の話ですか、立花部長」
「ウェンディの件。黒瀬さんから報告を受けたんだけど」
他言無用と伝えたときには、すでに遅きに失していたらしい。
飯島が思わず黒瀬を見ると、ガラス越しに離れたところから目が合った。ばつが悪いというふうでもなく、舌先を出して肩をすくめられた。いちいち人を食ったようなしぐさをしてくる女子である。
「さっき飯島くんも教えてもらったわよね? 私にもいってくれるんだから、ちゃんとしてるわ」
「たしかに、黒瀬には報連相はしっかりしろといいましたが……」
「が……って何? 上司の指示を守っているなら、素直ないい子じゃない」
「そんなわけ。あんな生意気な新人いませんって」
「そういわれてもねえ。誰かさんが採用を推さなければよかっただけの話なんだけどねえ」
年を重ねると、皮肉も上手くなるものなのだろうか。わかったふうな顔をしてくる立花から、飯島は顔をそらして鼻を鳴らす。
「人を見る目はなかったってことですかね」
「どうかしら。その判断はまだこれからってことで」
それからわざとらしくスーツを正し、あらたまって立花はいった。
「飯島くん。ウェンディの取材、受けてくれないかしら」
飯島は用意していた答えを返した。
「お断りします」
「業務命令でも?」
「そうですね。評価を下げてもらっても結構です」
「……私に伝わってなかったら、こっそり断ろうとしていたわね?」
「ご明察です」
「また上から詰められたいの? いっておくけど、これは脅しだからね」
そういう立花の顔はしかし、心配そうな色をしていた。
また、というのは一年前の出来事をいっているのだろう。
——その日、課内に外線のコールが鳴り響いた。
自分以外のメンバーが出払っていたため、飯島が電話をとった。
そして、直接ウェンディ編集部から取材の申し込みを受けた彼は、誰にも相談することなく、それをその場で断った。シャットアウトと表現してもいいかもしれない。
会話を聞かれていた感じはしなかった。しかし、壁に耳あり障子に目あり。どこからか話がもれていたのだろう。噂が流れはじめ、経営陣の耳に入るまでそう時間はかからなかった。
飯島は呼び出され、叱責された。業界最大手によるインタビューの宣伝効果は、その大きさを確約されていたようなものだから、彼らの怒りは当然だったろう。機会損失という点について、申し開きをするつもりはない。
立花は再度いった。
「オファーを受けましょうよ。チャンスなの」
「俺の性に合わない」
飯島は手で空を払ってつづける。
「チャンスってなんですか。べつに有名になりたくてプランナーやっているわけじゃないし、メディアに露出するなんてなおさら御免です。俺は、そんなことに時間を割くつもりはない」
本当は、飯島康人の名前が広まるのすら億劫だった。
だが、このSNSで情報に覆われた時代——名刺一枚から始まり、気持ち一つで多くの人に共有されてしまう。
業界人や結婚を予定している人々のあいだで話題になるだけならまだ我慢できるが、関係のない層にまで広がりを見せている昨今は、不本意に感じていた。
「みんなが頑張ってくれて、業績は好調よ? でも、今は結婚しない時代……やっぱりもっと全国的にプロモーションをして、新郎新婦にうちを選んでもらわないといけないの。君の力が必要なのよ」
「それはわかりますが」
「心配しなくても報酬はたんまり出すわよ」
「俺は金でどうこう考えないですよ……」
答えは尻すぼみにしか出なかった。
正直なところ、一年前の経営陣による呼び出しの際に、直属の上司ということで一緒に頭を下げるはめになった立花に対して、申し訳ない気持ちがずっと燻っていた。完全な巻き込み事故にもかかわらず、彼女は飯島をなじるどころか理解を示してくれていたから、より深くそう感じる。
沈黙が続いたあとだった。
「そうよね、君は。私もそんなに引き下がれる性格じゃないし」
立花は諦めたように笑った。悔しさは伝わってこなかった。
もしかしたら、こうなることをわかったうえで話をしたのかもしれない。また取材のオファーがあったと噂が経営陣に届けば、つつかれるだろうに——。
飯島は、自分より深く頭を下げていた立花の姿を思い出していた。
「……立花部長には敵いそうにないです」
「え?」
「受けます。ウェンディの取材」
「ほんとう?」
「嘘といいたいところですが……さすがにあなたの頼みとあれば、一肌脱がないわけにはいかないでしょう」
苦笑しつついうと、立花の顔がいっきに明るくなった。
「さすが飯島くん! 私の見込んだ男!」
「ただし今回だけですよ」
「十分よお」
立花は飯島の肩を揉みながら、部長室から送り出してつづけた。
「ほんとにありがとうね。先方には私から宣伝課を通して連絡させておくから、君はなんにも煩わしいことしないで大丈夫よ。ドーンと構えておいて」
「お、お願いします」
「はいっ。お話は終了っ。時間とらせて悪かったわね。戻ってオーケーよ」
ばたんとドアが閉められる。
パーテーションの向こう側で、立花はさっそく内線のボタンを押していた。
妙な感傷に引きずられて依頼を受けてしまったことを早くも後悔しつつ、飯島はデスクに腰を下ろす。
プランニングへの集中力は、すっかり潮が引いてしまっている。
立花の浮ついた雰囲気から察したらしく、おもしろそうに声をかけてくる黒瀬に、小言をいうぐらいしかできなかった。
「主任。ウェンディデビューおめでとうございます」
「誰のせいでこんな目に遭っていると思っているんだ、黒瀬」
「おかげっていってくださいよ」
「少しはしおらしいところ見せてくれ」
飯島は息を吐いてから、デスクに戻る気配のない部下につづけた。
「あとは真面目なところもな。おまえの仕事は俺をいじることじゃないだろう。業務中に私語が多いんじゃないか? さっきもいったけどな、本気なら——」
「業務中じゃないですよ」
「ああ?」
「私もう仕事終わってますから」
黒瀬は腕時計の文字盤を向けてくる。覗き込んでみると、短針が終業時刻を通り過ぎていた。オフィスを見渡せば、多くの社員が退勤にむけて動いている。
「なんだ。もうこんな時間か」
「ボケちゃったんですか?」
よくよく黒瀬を見直すと、すでに帰り支度を済ませてあるようだった。
彼女は平素から露出が多かったりと、オフィススタイルにしては派手な印象が強い。このまま繁華街に遊びにいけそうですらあるし、実際にこれからいくのかもしれなかった。友人とクラブにいったなどの、そういった系統の話は小耳に挟んでいる。
「終わっているんだったら早く帰れ。ラッシュに巻き込まれたくないだろ」
「まあまあ、そんなツレないこといわないでくださいよ」
飯島がしっしっと手の甲を振るも、黒瀬はデスクの前をぶらつきはじめる。
上司の仕事などおかまいなしに、雑談を始めようというらしい。勝手な部下だ。
「主任。取材受けるんだったら、髪とかもっとキメておいたほうがいいですよ。私のオススメのヘアサロン紹介しましょうか? チルい感じのところで落ち着くんですよね」
「ふうん。黒瀬はそこに通っているのか」
「そうですよ。どうですか?」
黒瀬は、ミディアムレングスの髪を触ってみせる。紫がかって見える黒色が特徴的だ。
「落ち着く、か。それはおまえが若い女だからだろうな」
飯島がシニカルに笑うと、黒瀬は感覚のずれを顔に出した。
「あー。それ、関係あります?」
「あるだろ。ターゲット層が違う。三十過ぎの男がいける場所じゃない」
「なにカタいこといってるんですか。メンズも全然やってますよ。主任よりずっと上のイケおじなんかもフツーに見ましたって」
「へえ、そうなのか」
頷いたあとに、一拍置いていった。
「ちなみに黒瀬は、その紹介でいくらの割引クーポンがもらえるんだ?」
あははは、と黒瀬の視線が逃げていく。案の定、善意だけではなかった。
つられて飯島は喉を鳴らす。
「上司使って節約とはいい度胸だな」
ウェディングプランナーという、人との対面がメインで清潔感が大切な仕事柄、飯島はこまめに美容室に通っていた。スキンケアやスーツの仕立ても含め、ほかの業種の男性と比べて、身なりやエチケットに気をつかっている自信はある。よけいなお世話ということだ。
「そういう心がけは悪くないけどな……そもそも割り引かれるにしたって、俺と鉢合わせるリスクに比べたら安いだろ」
「は? どういうことですか?」
「プライベートで上司と会うなんて最悪じゃないか。羽根を伸ばしにきているのに」
すると、黒瀬は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「それは……べつに。リスクとかじゃないし。私は平気ですけど。ガチで主任の気持ちしだいって感じです」
「気をつかわなくていいぞ」
「つかってませんよ」
つかっているだろう、と返しそうになったが、押し問答で長引かせてもしかたない。飯島は先に折れておくことにした。
「わかった。おまえはいいやつだな。ありがとう。気持ちだけ受けとっておく」
「その言い回し嫌いなんですよね。私は——」
そう、なおもつづけようとして、黒瀬は一度唇を閉じたあとにいった。
「まあいいですよ、今回は。せっかくイケメンにしてあげようと思ったのに。そんなメンタルじゃモテませんよ?」
「世話焼くのはヘアスタイルまでにしてくれ」
「焼いてるわけじゃないですけど。じゃあ、私はクーポンチャンス逃がしちゃったんで帰りますね」
黒瀬はブランドのバッグを肩にかける。
なんだか機嫌が斜めになっている気がしたが、触れずに飯島は返した。
「そうだな。気をつけて帰れよ」
「主任もあんまり遅くいちゃダメですよ」
「じきに帰るさ」
「おつかれさまです。また明日」
「ああ、おつかれ」
オフィスを出ていく黒瀬の背中を見送ってから、飯島はパソコンに向き直った。
残って進める仕事は、彼女のための教育資料作りだった。社内の標準的なマニュアルとは別に、より成長へ繋げられるようにと専用で考えたものだ。
冷めたコーヒーをすすりつつ、彼はキーボードを叩きつづけた。
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