(12)採用面接 ②
ランチ休憩の時間に入り、飯島が席を立ったときだった。
宮木夏菜子と横溝麻里がオフィスフロアに戻ってきた。
そして彼の姿を認めるや、宮木が指差していった。
「あ、圧迫面接官がいるっすよ」
「本当ね。怖いから近寄らないようにしましょう」
そう横溝がしらけた顔でつづける。
「なんだ、おまえたち」
宮木が両手で制してくる。
「ストップ、ストップ。それ以上は立ち入り禁止っす」
「……仮にも上司いじめて何が楽しいんだ」
律儀に止まってしまう飯島に、横溝はいった。
「いじめたのはそっちじゃないの?」
「なに?」
「さっき宮木と廊下を歩いていたら、すれ違った子がいたんだけどね、泣きそうな顔で走っていったのよ。あの格好からして面接にきた子でしょう? だいぶ殴られた感じがしたわ」
黒瀬楯のことだろう。
「立花部長はそんなことしないし、ほかの上の人だってそうだから……飯島くんがやったんだろうって宮木と話してたの」
「そんなことは……」
ないとはとてもいえない。胸に刺さったままの針が押し込まれた気がした。
飯島の反応を見た横溝が「やっぱり」と息をつく。
宮木は残念そうに唇を尖らせた。
「主任のこと、悪い人じゃないと思ってたんすけどね」
「……悪かったな。期待に添えなくて」
飯島はそう吐き捨てて、オフィスを出ていった。
意識もしていないのに大股になる。
外に出ると、真夏の太陽が一瞬だけ視界を白く染めた。どこか敷地内の樹木にしがみついているのか、蝉が鳴いていた。
熱気の中、ガテマラにむけて歩いていく。
すると——オフィスビルのエントランスに続く階段に、とある人影を見つけた。
紫がかった黒髪の女子就活生。
バッグとジャケットを横に放り、うなだれるように段差に座り込んでいる。地べたなので行儀が悪い。擦れた雰囲気もあいまって、そのまま煙草でも吹かしはじめそうだった。通行人がちらちらと彼女を見ていく。
飯島はその姿を見つめたあと、歩いていって就活生——黒瀬楯に声をかけた。
「……君、そんなところで座らないでもいいだろう」
「あ? あー、サーセン」
ビルの警備員に咎められたと思ったのだろう。顔を上げてから飯島だということを認識して、彼女ははっと驚いた表情で見てきた。
「今日は暑い。倒れるまえに日陰を探したほうがいいんじゃないか」
「……ですね」
そう答えながらも動く気配はない。
少しして、黒瀬楯はぽつりといった。
「あの、面接のときはスミマセンでした。バカっていって」
「……いや、俺のほうこそ悪かった。言葉が強すぎた」
「ふだんは俺っていうんですね」
くすっと笑った。新たなパズルのピースを見つけたときみたいだった。
飯島には、彼女がどうしてこんな顔をするのかわからなかった。
「許さないっていったらどうするんですか?」
「どうしようか……」
「じゃあ、お詫びに私と少し話してください」
沈黙のあと、飯島は受け入れる意思表示で黒瀬楯の横に座った。行儀の悪い人間の仲間入りをしてしまったが、不思議と人々の視線は気にならなかった。
彼女はまたぽつりといった。
「私……黒瀬楯っていいます」
「さっき面接で聞いたよ」
「知らないですか。私のこと」
「ああ……」
記憶をたどったが、何も有用な情報は出てこなかった。
ただ唯一、思い当たるといえば当たる節があったので答えた。
「学生インターンできていなかったか?」
「はい。きてました」
正解だったみたいだ。
ベル・エ・ブランシュでは、短期間ではあるものの、過去にインターンシップとして何人か学生を受け入れていた時期があったはずだ。飯島自身は多忙だったため関わりはなかったが、どこかですれ違っていたのかもしれない。
ほっとした飯島だったが、しかしその答えを最後に黒瀬楯は黙ってしまった。
静かな間が生まれる。
——黒瀬楯っていいます。
その名前を思って、飯島は口を開いた。
「
「……変な名前ですよね。子どものころはイヤでした。可愛くないし」
「いや、いい名前だよ」
何かを考えることはしなかった。
履歴書で初めて目にしたときに感じたことが、こぼれ出ていた。
「美しい名前だ」
楯。
盾。矢や槍から防ぎ守る。矛と対をなす存在。
「名付けは君の親御さんか?」
「はい。おと……父がつけました」
「君の将来のことを考えて、つけてくれたのかもな」
意味をつかみかねている彼女に、飯島はつづける。
「これから君がもっと大人になるにつれて、誰かや何かを攻撃することなんてなくなる。みんなそうだ。人は守るものばかりが増えていく。二本の腕では持ちきれないくらいに。そのたびにきっと、君の名前は強く意味を持ちつづける。生涯誇っていい。そんな名前だ」
すると、黒瀬楯は顔を伏せて聞こえないくらいの小さな声で何かをこぼした。その肩の震えは、夏の気温には似つかわしくなかった。
彼女は沈黙を経て顔を上げると、飯島を見つめてきていった。
「飯島さん。付き合ってくれてありがとうございました」
「もういいのか」
「はい」
黒瀬楯はぱっと立ち上がった。階段に下ろしていた尻を払い、遠くを振り返る。
その先には、ベル・エ・ブランシュのチャペルがそびえ立っていた。
カリヨンの鐘が日差しを弾いてきらめいている。
それをまぶしそうに手をかざして眺めながら、彼女は笑っていた。
「あーあ。あの鐘を毎日見てたかったな」
その言葉は、すでに選考に落選したことを悟っている。
きれいな受け答えができずに、しまいには面接官に暴言を吐いてしまった就活生——そんなものが合格するはずがないと。
「今日はありがとうございました。さよなら」
黒瀬楯は頭を下げ、立ち去ろうとする。
これからどこにいこうというのか——。
「——どこにいこうってんだよ」
不穏な声が聞こえたのはそのときだった。
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