(13)採用面接 ③



 見れば、少し離れたところに近隣の私立中学校の女生徒が四人いた。

 三人が一人を囲んでいる構図だ。夏休みの登校日だろうが、なかよく遊びに出かけているふうには見えない。


「わ、わたしはお家に帰るって……」


 建物の塀を背に、囲まれた少女がいう。気弱そうな風貌だ。


「あんたはうちらの財布だっていってんじゃん」

「財布持たずに遊びにいくやつがいるわけねーだろ、バカ」

「どうせ持ってんでしょ。はやくついてきなよ」


 どうやら強請ゆすりを受けているみたいだった。

 少女たちはそれなりに目立っているが、通行人は見て見ぬふりだ。年々トラブルに首を突っ込むことのリスクが肥大化し、同時に人々の心から余裕が失われつつあるこの国らしい光景だった。

 すると「聞いてんのかよ」と、一人が気弱そうな少女の頭をはたいた。


 ——チッ。


 大きな舌打ちが聞こえた。

 黒瀬楯だった。

 先ほどの笑顔からは想像もつかないような、冷え込んだ目でにらんでいる。

 そして、ブラウスの袖をまくり上げながら、ずかずかと少女たちへ進んでいった。身長があるせいで下手な男性よりも迫力がある。

 思わず飯島は声をかけた。


「待ちなさい。何をするんだ」

「飯島さんはランチにいってください。まだ食べてないですよね」


 振り返らずにいう。芯の通った声だった。

「それはそうだが……」と戸惑いながらも、飯島は彼女の荷物を拾って追っていく。

 黒瀬楯はドスのきいた声で少女らに絡んでいった。


「オイ、中坊」


 少女たちは彼女をねめ上げる。


「なんだよ」

「さっきからキィキィうっせーんだよ。黙れっつーの」

「てめーが黙れよ、ババア」


 スーツ姿というだけでそこまでいうのか、と飯島は思った。

 リーダーと思しき気の強そうな一人が放った言葉だった。

 その挑発的な態度は、相手が社会人であるがゆえに下手な真似はできないだろうと踏んでいるからこそ見せられるのかもしれない。

 黒瀬楯は全員を見下ろして、凶悪な大蛇のごとく威嚇する。


「ガキがイキってんじゃねーよ」

「そのガキ相手にイキってんのキモくねえ?」

「あー? オイ、やんの?」

「え? 何やんの? やってみろよ——」


 どん、と黒瀬楯が少女の肩を突き飛ばした。

 片手とはいえ細腕とはいいがたい。少女は腰を地面にしたたかに打ちつける。予想外の暴力と現実的な痛みに、さっと彼女の顔色が変わった。

 しかし。


「——やってっけど?」


 黒瀬楯はそんなものおかまいなしに髪をつかもうとする。

 すんでのところで、一人が割って入った。


「や、やめてください」


 強請られていた少女だった。

 涙ぐみながらも、手を広げて黒瀬楯をしっかりとにらみつけている。


「何? テメー」

「……この子の友だちです」


 きっと元はそうだったのだろう。

 たとえば、借りたもの返却しなくても何もいわれなかった。たとえば、ふいにいった陰口が枝葉を伸ばした。そんな些細なきっかけで、いつからか関係が歪んでしまっていた。

 修復は簡単ではない。

 しかし今このとき、友だちという単語に残りの三人が喉を詰まらせる気配があった。


「そんなの知らねーよ。鈍くせーツラしてさあ」


 黒瀬楯が少女を押しのける。

 その子を助けるんじゃなかったのか、と飯島が思った次の瞬間だった。


「やめてくださいっ!」


 少女が彼女を両手で押した。

 それは、胸のふくらみに触れたというほうが正しいぐらいの弱々しさだったが、黒瀬楯は塀に叩きつけられた——そんな演技をした。


「ってーなぁ! ブッ殺すぞ!」


 怒号に吹き飛ばされるように、気弱そうな少女を除いて三人が逃げだす。

 その中の一人、気の強そうな少女が起き上がりつつ、身のすくんでしまった彼女に手を伸ばした。


「つかんで! いくよ!」

「ま、まって!」


 気弱そうな子は、その手をとって走っていってしまった。

 小さくなっていく集団からは「マジでヤバすぎ」だとか「デカ女突き飛ばすとかやるじゃん」といった声が聞こえる。

 急転直下の展開に、静寂だけが残った。どこからかクラクションが響く。

 通行人は黒瀬楯をならず者でも見るような目で見ていた。

 いつのまにかこの場面の悪役は、強請りをする女子中学生から、年下に暴力を振るう柄の悪い女に移り変わっていた。

 飯島は後ろから声をかけた。


「黒瀬さん」

「はああっ」


 彼女は妙な声を出して振り向く。裸を見られたみたいな反応だった。


「は? なんで? ランチ食べにいってっていいましたよね?」

「放っておけるわけないだろう」

「あー、ヤバ。マズいところ見られちゃった」


 気がつけば、黒瀬楯から凶悪な大蛇めいた雰囲気は失せていた。

 取り繕うみたいに髪や服を整え、少しだけ上目で見てくる。


「これ、リアルにお願いなんですけど……今の忘れてくれませんかね?」


 それには返さず、飯島は荷物を渡しつつ語りかけた。


「君はすごいな」

「何がですか」

「とぼけなくていい。今のは全部演技だったんだろう?」

「いえ」


 特に答えなかった。かわりに懐かしげな目をしていった。


「私って、昔からちょっとガキ大将みたいなところがあって、ああいうの嫌いなんです」


 黒瀬楯が意図していたかは不明だが、自身という共通の敵を作り出して少女たちに立ち向かわせるというのは、単純に一方を庇護ひごするよりも、このときは上手な選択だと思った。ともに危機を脱したこの経験が、少女たちの関係を快方に向かわせてくれるのなら、何もいうことはない。

 荷物を抱えながら、黒瀬楯は気まずさをにじませて笑った。


「ゴメンなさい。私って根が荒いから。せっかく飯島さんに名前を褒めてもらったのに、さっそく中学生どついちゃいました。盾どころか矛じゃねーかってゆう」


 ——違う。君はまさしくたてだった。あの子たちを全員守ったじゃないか。


 そう伝えたかった言葉は、しかし飯島の口から出てくることはなかった。

 どうしてだろう。瞳の中に彼女を映すことを、なによりも優先してしまっていた。


「今度こそお別れですね。さよなら。今からでもちゃんとごはん食べてください」


 会釈をして去っていく黒瀬楯。

 その背中にむかって、飯島はつぶやいた。


「……昼飯なんか、どうでもいいよ」


 ベル・エ・ブランシュへきびすを返す。

 出ていくときよりも大股で歩く。

 オフィス棟に乗り込み、休憩室でランチを食べていた立花にむかって告げた。


「部長。採用面接の件ですが——……」




 ……——人の愛を美しいと思う心だって?


 そんなもの、一番大切に決まっている。




                   ※


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