(23)チンピラ警官と非行少女 ②



 清治が万引き少女を連れてコンビニに戻ると、オーナーが複雑そうな顔で待っていた。


「おおい。僕はどうしやあええんだ」

「店番しとってください。奥の部屋借りますわ」


 清治は少女の背中を押す。

 入った事務室は狭かった。ウィンドウズ98の乗ったデスクや掃除用具のロッカーなどでいっぱいなせいだった。

 少女を椅子に座らせて、その前にしゃがむ。子ども相手には目線を下げたほうが話を聞きやすいと、松尾から教えられていたため実践してみたものの、ヤンキー座りで逆に威圧感が出てしまっていることには、清治自身は気づいていなかった。


「なんで万引きなんかしたん」

 

 答えは返ってこなかった。少女は不機嫌そうにうつむいている。


「親御さんは知っとるんか? このままだと迎えにきてもらわなかん」

「こやせん」

「ああん?」

「親なんてこん」


 少女はにらんできていった。


「なにい。喧嘩でもしたんか。ほんで家出して一文無しになってまった~ってか?」

「……家出じゃにゃあわ」

「あ? どういうこっちゃ」

「そんなんどうでもええがね」


 吐き捨てるようにいってから、少女は悪ぶった顔で見下ろしてくる。


「ほれよか、あたし犯罪しよったよ。はよ少年院にでも突っ込みゃあ」


 清治はあきれてしまった。


「なぁにいっとりゃあすか。世の中のどこに、あんなところにいきたがるやつがおるんだ。ほれに万引き娘ぐれえじゃあなあ。尻ひっぱたいて、エンエン泣かせて終わりだがや」

「子ども扱いしんでっ」


 そう声を張り上げたときだった。

 ぐううううう、と腹の虫が鳴いた。

 清治は音源を見つめる。口を真一文字に結んで、身をわななかせている少女の姿があった。


「メロンパンと焼きそばパン、どっちが好きなん」

「……」

「俺は焼きそばパンだ。おまえはメロンパンだろ。最初に手にとったもんでな」


 清治はすくっと立ち上がる。スクールバッグの中から万引きされたパンを二つ回収すると、少女に見せながらいった。


「ほれ、立ちゃあ。今からおまえにしたるわ」

「なにい。教育て」

「ええで立ちゃあて」

「だで、なにい」

「立て」

「なにいていっとるがねっ。変なとこつかまんでっ」


 猫を雑に持ち上げるみたいに、後ろ襟をつかんで引っ張り上げる。

 そのまま事務室を出て、清治は少女とレジに並んだ。困惑しているオーナーの前にパンを置く。


「オーナー。勘定」


 びくっと少女の身が動いた。その肩を軽く叩いてつづける。


「こいつはどうも商品の買い方がわからんみてえでよ。俺が教えたるで勘弁したってください」

「……ええんか?」

「何があ」


「……たあけだな」と小さく息をつき、オーナーはバーコードを読みはじめる。

 清治は自分で買おうと思っていた弁当と烏龍茶をそこに加えさせた。そして懐から千円札を取り出し、少女にひらつかせてみせる。


「よう見とれよ? 客はな、金をここに出したりゃあええんだ」


 むりやり少女の手に詰め込んで、トレーに置かせる。

 オーナーは「千円のお預かりで」とふだんどおりにいって、お釣りを小さな手のひらにぐっと押しつけた。何かのメッセージを込めるように。

 少女はずっと何もいえないでいる。乾いた唇は震えていた。


「釣り銭を受け取りゃあ、終いだがや。どえりゃあ簡単だろ?」


 清治は顔を覗き込んで語りかける。


「勘定が終わりゃあ、俺はいつもありがとさんていうんだがよ……おまえはどうしとる?」


 沈黙が流れた。

 少女がか細い声でこぼしたのは「ありがと」という言葉だった。


「……ほいで、まだ足りねえ言葉があるはずだがや」


 先と同じくらいの時間を要して、少女はいった。


「ご……ごめんなさい」

「いえるがや」


 頭をくしゃくしゃと撫で回してやる。そのまま清治はオーナーを見た。


「な? オーナー」

「あ、ああ……」


 奇妙な買い物を終え、清治は少女を連れて外に出る。

 真っ黒な空から冷気が降りてきて、店内との温度差に思わず「さぶ」とつぶやく。

 すると——少女は身をひるがえし、レジ袋を投げ捨てた。


「さぶいんはあんただがねっ! わけわからんことしよってっ!」

「何がわからんだ」

「とろくしゃあ芝居してっ! でっらうっざいわっ!」

「飯を買えた。礼がいえた。ごめんなさいもできた。ええことだろ」

「全部やらされただけじゃんね。ばかにしんでよっ」

「そんなカッカしんでもええがん」


 清治は耳の穴をほじる。それから地面のレジ袋を指差してつづけた。


「ほいで食いもんにゃあ当たってかん。泣かしたほうがええんか」

「はっ。やってみやあ。マッポがどうせできゃあせんわ」

「泣かすていっとるがや。はよ拾え。おまえのもんだ」

「やだ。いらん。こんなもん——」


 清治は少女に向き合ったまま、横に停めてあった警ら用の自転車を蹴り飛ばした。加減したつもりだったが、その音は派手に響いた。


「——拾えいうとるがあ」


 少女の目の色が変わった。次に地面を転がるのは自分だと思ったのかもしれない。

 彼女は迷ったあげくに袋を引っつかんで、小走りで逃げていく。


「この変態アホ警官!」


 そんな罵倒を捨て置いて。

 その背中にむかって、清治は大声で投げかけた。


「家出もほどほどにしやあよ! 不良娘!」


 残響。

 その終わりは、深夜のコンビニに静穏が戻ってきたのを告げていた。


「……こわけとらんよな。松さんにブチ殺されるがや」


 そろそろと清治は自転車を起こす。最近よく不憫な目にあっている愛車に、心の中で謝っておいた。呼応するように後輪がからからと空転していた。

「金田くん」と後ろからオーナーがやってくる。どうしようもない阿呆あほうを見るような顔をしていた。


「補導もしんで。職務怠慢じゃないんか。しかもあんなことしよってからに」


 食事と飲み物を買い与えてやったことだろう。

 少女は否定していたが、やはり家出でもして金が底をついてしまったに違いない。

 さすがにあの腹の音を聞いて、黙って飢えさせるわけにはいかなかった。たとえ恫喝してでも食べさせなければならないと思った。

 彼女が犯行の間際に持っていたのは、きっと危険な好奇心ではなかったと思う。

 清治は、警察官としてはまったく模範的ではなかったが、最低限の人としての矜持きょうじは持っているつもりだった。


「ええですわ。見たかや、あの顔。まあ悪さなんぞせんでしょう」

「ならええんだが」


 オーナーはふっふっと肩を揺らしてつづけた。


「金田くん。あれが坊主だったらボコボコにしとったろう? 女に甘いやっちゃなあ」

「しんて。俺のことなんだと思っとるんですか」

「へえ。女好きなのはバレとるぞ。こないだ居酒屋で口説いとったろう。コンパか?」

「なにい。オーナー見とったんかやあ」

「カミさんが町内会の集まりで同じ店におったんだわ。ほんで見かけたんだと」

「はあ。なんかカッコつかんなあ」

「警官が節操ないのはいかんていっとったわ、カミさん。そのうち未成年に手を出してまうかもしれんて、心配もしとったな」


 よけいなお世話だと思ったが口に出さないでいると、オーナーはこうつづけた。


「ほういやあ金田くん。僕にも心配なことあったわ」

「なんですか」

「あの娘が前にやっていった万引き被害は、どうしたらええんだろか」

「ぐわあ」


 銃で心臓を撃たれたジェスチャーをする。

 そのことを完全に失念していた。

 胸を手で押さえたまま、清治は返した。


「どうせパンだのおにぎりだのくれえだがあ? かわりに払ったるで、足らずまいは俺にツケといてくれりゃあええわ」


 しかしオーナーは手を横に振って笑った。


「やあ、ええて。不良娘の更生ドラマをタダで見ることができたもんでよ。お代はそれで立て替えといたるわ」

「はー。さっすが人情コンビニのオーナー様。よう見やあ、でらクソええ男だがん」

「適当ぬかしよって。こっすい商売人じゃないんか」

「んなこといったかや」

「このお。調子のええお巡りさんめ」


 わはははは、とひとしきり笑ってからぶるりと震え、二人は店内に舞い戻って寒さをしのぐことにする。

 最後に、清治は少女の消えていったほうを振り返った。

 あの娘はこれに懲りて家に戻るだろうか。

 悪さは今回きりで、ふつうに生活できるようになれば、それが最良なのはわかっていた。

 しかし、どこかでまた遭遇しそうな予感があった。



                   ※



 深夜の公園。

 公衆トイレの中では、蛍光灯がちかちかと明滅している。息を切らしながら灰色がかった髪の少女が入ってきたのは、その光が一際に瞬いたときだった。

 個室に入り、内錠をかける。タイルの床にスクールバッグを放り、蓋の下りた便座に腰を下ろした。長い息をつきながら、膝を抱えて顔をうずめる。

 ちらりとバッグを見る。開いた口からはコンビニのレジ袋が覗いている。


「なんなん、こんな……」


 どうしてかメロンパンに手が伸びる。型崩れしているのは自分が投げたせいだ。

 それを押しつけてきた警官の顔が浮かんできた。

 公僕とは思えないふざけた言動。

 腰履きで着崩した制服。

 粗野な口調と乱暴なしぐさ。

 だけど——厳しくも冷たくない瞳。


「こんなん、いらんわ」


 少女はメロンパンを抱きしめて、さらに深く身体を巻き込ませた。温度を逃がさないようにするためだ。

 今晩はここで夜を明かさなければならない。時計もない。いつくるかもわからない夜明けを待って、眠れるのかもわからない状態で身を休めるしかないのだ。

 タイルや陶器の便座からは冷気が漂ってくる。

 冬がくる。

 寒い。冷たい。

 消えてしまいそうだ。

 消えてしまいたくなりそうだ。



                   ※


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