(17)2000:チンピラ警官と不良娘 ②
清治が万引き少女を連れてコンビニに戻ると、オーナーが複雑そうな顔で待っていた。
「おおい。僕はどうしやあええんだ」
「店番しとってください。奥の部屋借りますわ」
清治は少女の背中を押す。
入った事務室は狭かった。ウィンドウズ98の乗ったデスクや、掃除用具のロッカーなどでいっぱいなせいだった。
少女を椅子に座らせて、その前にしゃがむ。子ども相手には目線を下げたほうが話を聞きやすいと、松尾から教えられていたため実践してみたものの、ヤンキー座りで逆に威圧感が出てしまっていることには、清治自身は気づいていなかった。
「なんで万引きなんかしたん」
答えは返ってこなかった。少女は不機嫌そうにうつむいている。
「親御さんは知っとるんか? このままだと迎えにきてもらわなかん」
「こやせん」
「ああん?」
「親なんてこん」
少女はにらんできていった。
「なにい。喧嘩でもしたんか。ほんで家出して一文無しになってまった~ってか?」
「……家出じゃにゃあわ」
「あ? どういうこっちゃ」
「そんなんどうでもええがね」
吐き捨てるようにいってから、少女は悪ぶった顔で見下ろしてくる。
「ほれよか、あたし犯罪しよったよ。はよ少年院にでも突っ込みゃあ」
清治はあきれてしまった。
「なぁにいっとりゃあすか。世の中のどこに、あんなところにいきたがるやつがおるんだ。それに万引き娘ぐれえじゃあなあ。尻ひっぱたいて、エンエン泣かせて終わりだがや」
「子ども扱いしんでっ」
そう声を張り上げたときだった。
ぐううううう、と腹の虫が鳴いた。
清治は音源を見つめる。口を真一文字に結んで、身をわななかせている少女の姿があった。
「メロンパンと焼きそばパン、どっちが好きなん」
「……知らん」
「俺は焼きそばパンだ。おまえはメロンパンだろ。最初に手にとったもんでな」
清治はすくっと立ち上がる。スクールバッグの中から万引き被害にあった商品二点を回収すると、少女に見せながらいった。
「ほれ、立ちゃあ。今からおまえに教育したるわ」
「なにい。教育て」
「ええで立ちゃあて」
「だで、なにい」
「立て」
「なにいていっとるがねっ。変なとこつかまんでっ」
猫を雑に持ち上げるみたいに、後ろ襟をつかんで引っ張り上げる。
そのまま事務室を出て、清治は少女とレジに並んだ。困惑しているオーナーの前に商品を置く。
「オーナー。勘定」
びくっと少女の身が動いた。その肩を軽く叩いてつづける。
「こいつはどうも商品の買い方がわからんみてえでよ。俺が教えたるで勘弁したってください」
「……ええんか?」
「何があ」
小さく息をつき、オーナーはバーコードリーダーを手にとる。
ピッ。ピッ。金額がレジに表示される。清治は、自分で買おうと思っていた烏龍茶を商品に加えさせた。数字はさらに増える。どうしてこの世は生きる糧を買うだけで五パーセントもの重税を徴収されないといけないのか、といつも思う。年貢に喘ぐ農民の気分だ。
清治は懐から千円札を取り出して、少女にひらつかせてみせた。
「こいつが
むりやり少女の手に詰め込んで、トレーに置かせる。
オーナーは「千円のお預かりで」とふだんどおりにいって、お釣りを小さな手のひらにぐっと押しつけた。何かのメッセージを込めるように。
少女はずっと何もいえないでいる。
「こいつが釣り銭。とっといて損はねえでな」
清治はそこで、彼女の爪が汚れているのに気がついた。思えば、この年頃の娘が持つ香りの中に皮脂の臭いが混ざっている。身体を洗えていないだろうか。
彼は無料のおしぼりを多めにレジ袋へ放り込む。そして少女に渡した。
「買えたなあ? おい? これでおまえはただの客だがや」
続けて顔を覗き込んで語りかける。
「勘定が終わりゃあよ、俺はいつもありがとさんていうんだが……おまえはどうするん」
沈黙が流れた。
少女がか細い声でこぼしたのは「ありがと」という言葉だった。
屈辱か悔悟か、どちらを感じているのかわからない表情。乾いた唇は震えていた。
「ほいで、まだ足りねえ言葉があるはずだが」
先と同じくらいの時間を要して、少女はいった。
「ご……ごめんなさい」
「ちゃんといえるがや」
頭をくしゃくしゃと撫で回してやる。そのまま清治はオーナーを見た。
「な? オーナー」
「あ、ああ」
奇妙な買い物を終え、清治は少女を連れて外に出る。
真っ黒な空から冷気が降りてきて、店内との温度差に思わず「さぶ」とつぶやく。
すると少女は身をひるがえし、レジ袋を投げ捨てた。
「さぶいんはあんただがねっ。わけわからんことしよって、でっらうっざいわっ」
「何がわからんだ」
「とろくしゃあ芝居してっ。買えたなあじゃにゃあわっ」
「買えたがや。礼もいえた。ごめんなさいもできた。ええことだろ」
「全部やらされただけじゃんね。ばかにしんでよっ」
「そんなかっかしんでもええがん」
清治は耳の穴をほじる。それから地面のレジ袋を指差してつづけた。
「ほいで食いもんにゃあ当たってかん。マジで泣かしたほうがええんか」
「やってみやあ。マッポがどうせできゃあせんわ」
「泣かすていっとるがや。はよ拾え。おまえのもんだ」
「やだ。いらん。こんなもん——」
清治は少女に向き合ったまま、横に停めてあった警ら用の自転車を蹴り飛ばした。加減したつもりだったが、その音は派手に響いた。
「——拾えいうとるがあ」
少女の目の色が変わった。次に地面を転がるのは自分だと思ったのかもしれない。
彼女は迷ったあげくに袋を引っつかんで、小走りで逃げていく。
「この変態アホ警官!」
そんな罵倒を捨て置いて。
その背中にむかって、清治は大声で投げかけた。
「家出もほどほどにしやあよ! 不良娘!」
残響。
その終わりは、深夜のコンビニに静穏が戻ってきたのを告げていた。
「……こわけとらんよな。松さんにブチ殺されるがや」
そろそろと清治は自転車を起こす。最近よく不憫な目にあっている愛車に、心の中で謝っておいた。呼応するように後輪がからからと空転していた。
金田くん、と後ろからオーナーがやってくる。どうしようもない阿呆を見るような顔をしていた。
「補導もしんで。職務怠慢じゃないんか。しかもあんなことしよってからに」
食事と飲み物を買い与えてやったことだろう。
少女は否定していたが、やはり家出でもして金が底をついてしまったに違いない。さすがにあの腹の音を聞いて、黙って飢えさせるわけにはいかなかった。たとえ恫喝してでも食べさせなければならないと思った。彼女が犯行の間際に持っていたのは、きっと危険な好奇心ではなかったと思う。清治は、警察官としてはまったく模範的ではなかったが、最低限の人としての矜持は持っているつもりだった。
「ええですわ。見たかや、あの顔。まあ悪さなんぞせんでしょう」
「ならええんだが」
オーナーはふっふっと肩を揺らしてつづけた。
「金田くん。あれが坊主だったらボコボコにしとったろう? 女に甘いやっちゃなあ」
「しんて。俺のことなんだと思っとるんですか」
「へえ。女好きなのはバレとるぞ。こないだ居酒屋で口説いとったろう。コンパか?」
「なにい。オーナー見とったんかやあ」
「カミさんが町内会の集まりで同じ店におったんだわ。ほんで見かけたんだと」
「はあ。なんかカッコつかんなあ」
「警官が節操ないのはいかんていっとったわ、カミさん。そのうち未成年に手を出してまうかもしれんて、心配もしとったな」
よけいなお世話だと思ったが口に出さないでいると、オーナーはこうつづけた。
「ほういやあ金田くん。僕にも心配なことあったわ」
「なんですか」
「あの娘が前にやっていった万引き被害は、どうしたらええんだろか」
「ぐわあ」
拳銃で心臓を撃たれたふうなジェスチャーをする。
そのことを完全に失念していた。
胸を手で押さえたまま、清治は返した。
「どうせパンだのおにぎりだのくれえだがあ? かわりに払ったるで、足らずまいは俺にツケといてくれりゃあええわ」
しかしオーナーは手を横に振って笑った。
「やあ、ええて。不良娘の更生ドラマをタダで見ることができたもんでよ。お代はそれで立て替えといたるわ」
「はー。さっすが人情コンビニのオーナー様。よう見やあでらクソええ男だがん」
「適当ぬかしよって。こっすい商売人じゃないんか」
「んなこといったかや」
「このお。調子のええお巡りさんめ」
わはははは、とひとしきり笑ってからぶるりと震え、二人は店内に舞い戻って寒さをしのぐことにする。
最後に、清治は少女の消えていったほうを振り返った。
あの娘はこれに懲りて家に戻るだろうか。
悪さは今回きりで、ふつうに生活できるようになれば、それが最良なのはわかっていた。
しかし、どこかでまた遭遇しそうな予感があった。
※
深夜の公園。
公衆トイレの中では、蛍光灯の薄明かりがちかちかと明滅している。息を切らしながら灰色がかった髪の少女が入ってきたのは、その光が一際に瞬いたときだった。
個室に入り、内錠をかける。黒ずんだタイルの床にスクールバッグを放る。蓋の下りた便座に腰を下ろし、長い息をつきながら膝を抱えて顔をうずめた。
ちらりとバッグを見る。開いた口からは、コンビニのレジ袋が覗いている。
「なんなん、こんな……」
どうしてかメロンパンに手が伸びる。型崩れしているのは自分が投げたせいだ。
それを押しつけてきた警官の顔が浮かんできた。
公僕とは思えないふざけた言動。腰履きで着崩した制服。浅い制帽のかぶり。粗野な口調。乱暴なしぐさ。だけど——厳しくも冷たくない瞳。
「こんなん、いらんわ」
少女はメロンパンを抱きしめて、さらに深く身体を巻き込ませた。温度を逃がさないようにするためだ。
今晩はここで夜を明かさなければならない。時計もない。いつくるかもわからない夜明けを待って、眠れるのかもわからない状態で身を休めるしかないのだ。
タイルや陶器の便座からは冷気が漂ってくる。
冬がくる。
寒い。冷たい。
消えてしまいそうだ。
消えてしまいたくなりそうだ。
※
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