(38)魔術師



 結論からいえば、ベル・エ・ブランシュにて金田清治のケアを手伝う計画は、なんとか始められそうだった。


 同僚の宮木みやき夏菜子かなこ横溝よこみぞ麻里まりは話を受けた当初こそ戸惑っていたが、彼の身に起きた悲劇を説明すると、


「正直覚えてないっすけど、主任や黒瀬が助けたいっていうなら、まあ……」

「思い出したわ。当時私は高校生だったけれど、とても悲しかった気がする」


 と納得してくれたみたいだった。

 仮にも殺人を犯した男が訪れるのだ。何も感じていないはずはなかったが、一緒に説得した楯の気持ちを汲みとってくれたのかもしれない。どちらよりも上背のある彼女だが、二人にとっては可愛い後輩だ。


 部長の立花たちばなは、ただ黙って飯島の話を聞いていた。

 のちに返ってきたのは「好きにしなさい」という言葉だった。


 ウェディングプランニング課以外の人間には話せなかった。

 今や式場の顔と呼べる存在になった飯島だが、他部署や上層部を動かすほどの力はない。何かあった際の責任はすべて背負うつもりで、ごまかしていくしかないと思っていた。






「金田さん、今日はきますかね?」


 オフィス棟の休憩室にて。

 窓際に立ち、飯島が白亜の門を眺めていると、背後から楯が顔を出してきていった。


「どうだろうな。蔡さんに許可を伝えてから数日経つが」


 飯島はコーヒーをすすって腕を下ろす。

 すると、肘がふくよかな何かに当たった。


「悪い」


 反射的に引いて振り向く。

 楯が取り澄ました顔で見てきていた。


「……」


 次に彼女が見せるのは、胸のふくらみに指を添わせるしぐさ。

 ゆっくりと、ここに当たったと教えるようにブラウスにできた小皺を直し、挑発的に目を細めてきていった。


「わざとですか?」


 飯島は顔をしかめるしかない。


「そんなわけあるか。おまえが近すぎるんだよ」

「そうですか?」

「そうだ。気をつけろ」

「あは。ゴメンなさい」


 悪びれるのは言葉だけで、楯は適切な距離をとろうとはしなかった。

 パーソナルスペースが体のシルエットみたいな女だ。

 確実にからかっている……。

 どうしたものかと考えると、さらに後ろから声がかけられた。


「黒瀬はまた飯島くんで遊んでいるの?」

「麻里さん」


 楯が半分振り返って見る。

 横溝麻里が入室してきていた。彼女もまた一息つきにやってきたらしい。タンブラーを持っている。

 飯島はこれ幸いと助けを求めた。


「横溝か。いいところにきた。こいつをどうにかしてくれ」

「黒瀬ぐらいのものよね。この式場でこんなふうに飯島くんに絡めるのって」

「主任はイジってなんぼですから」

「おまえな。いい加減にしろよ」


 飯島は肩に乗せられた楯の手を忌々しげに見る。

 横溝はその様子をかすかに鼻で笑っていった。


「というだけで何もしないのが『ベル・エ・ブランシュの愛の魔術師』様よね」


 聞き覚えのない別称で呼ばれ、飯島は尋ねた。


「愛の……なんだって?」

「愛の魔術師」

「なんだその妙な呼び方は。横溝が考えたのか?」

「私があなたに対してそんなふうに感じていると思う?」

「まったく思わないが……」

「は? マジ? 自分のことなのに知らないんですか?」


 楯がふふんと笑い、いってくる。


「最近SNSで使われてる主任のニックネームですよ。誰かがいいはじめたのが広まったみたいです。やっぱりインパクトのあるネーミングはバズリやすいですよね」

「知らないな。SNSはうちのアカウントですらチェックしていないんだ」

「うわ。おっさんくっさぁ」

「うるさいぞ。人の勝手だろうが」


 すると、横溝が説明してくれた。


「飯島くんのプランニングした演出が、まるで『魔法』みたいだってことでいわれているみたいよ。たしかに、君のやり方は真似できないなって思うけどね。悪いことじゃないから安心しなさい」

「そうかもしれないけどな……」


 飯島は首の後ろをさする。

 愛の魔術師などという、赤面したくなるあだ名を受け入れることは難しかった。同時に、それがひとりでに歩き回り広まっていくのが煩わしかった。


「——黒瀬いる? ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけどぉ」


 宮木夏菜子が休憩室に顔をのぞかせてきたのは、そのときだ。

 楯は「はぁい」と返事をすると、後ろから宮木の両肩に手を乗せて、一緒に退出していく。オフィスのほうから「先輩を上から潰すな~」という声だけが聞こえた。


「いったか……」


 二人を見送ったあとで、飯島は横溝に振り向いていった。


「そうだ。ありがとう。横溝」

「なに? あなたを黒瀬から助けたこと?」

「いや、違う。俺と黒瀬の説得を受け入れてくれたことだ」

「ああ……そのこと」

「悪いが、おまえは反対すると思っていた。だから、あらためて礼をいいたくなった」

「べつに。結婚している身としては、夫のことを思うと変なことには関わりたくないなっていうのはあるけど」

「わかっている。絶対におまえたちに危険はないようにする」

「当たり前よ。部下のことはしっかり守りなさい」


 小さく息をつき、横溝は近づいてくる。


「それにしても、不思議なことをするわよね。あの事件の旦那さんをここに受け入れようだなんて。彼の癒しになれば……なんていっていたけど、やっぱり愛の魔術師としては——たとえ殺人者でも見捨てておけない?」

「まあな」

「そう」


 横溝はあきれたようにつづける。


「本当、あなたは不思議な男よね。前からずっとそう」

「おまえが蚕養こがいだったころからか?」


 横溝は奥二重の目を少し丸くした。


「よく覚えているわね。私の旧姓」

「そりゃ覚えているだろ。俺にとっては恐ろしい存在だったからな。トラウマだ」

「ばかなこといわないで。優しくしていたじゃない」

「どうだか」

「いけすかないのも変わってないのね」


 横溝はタンブラーの底で小突いてくる。

 飯島が軽くよけると、彼女は追撃してこず、彼の背後を向いたままいった。


「そういえば、飯島くん」

「どうした」

「事件の旦那さんってどんな人なの?」

「身長は俺と同じくらいだな。あとは癖のある髪で、髭がだいぶ生えていた」

「ふうん。なら……」


 横溝は窓の外を指差した。


「あそこにいるのってそうじゃない?」


 飯島は振り返って見た。



 ——白亜の門に、金田清治が訪れていた。


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