(39)小さなパーゴラの下で ①



「教えてくれてありがとう、横溝」


 そういい残して、飯島は休憩室をあとにする。

 オフィス棟を出て門のほうに駆けていくと、守衛と金田清治が何かを話していた。

 つい先日と同じ構図だが、あのときのような不穏な空気はないはずだ。

 守衛には金田のことを話していた。来訪しても追い返さずに、飯島に連絡してほしいと伝えてある。

 責任問題を危ぶんでいた守衛だったが、「責任はすべて俺がとります」というと、しぶしぶ首を縦に振ってくれた。女所帯で働く飯島に自分の家庭での肩身を重ねているのだろうか、前々から親近感を持ってくれていたからこそ成功した交渉だった。

 飯島は二人に合流していった。


「お疲れ様です。対応ありがとうございます。俺が引き継ぎます」

「飯島くんか。おつかれさん。じゃあ、あとは頼むよ」


 持ち場に戻る守衛を見送ってから、飯島は金田に向き直った。

 髭や髪はあいかわらずだが、今日は多少なり目に生気があるように思える。このあいだと同じ出で立ちに加え、着古したスカジャンを羽織っていた。


「はじめまして……ではありませんね。金田清治さん。蔡さんから話は聞いていますか?」


 飯島は軽く笑いかけてから、紳士的に礼をしてつづける。


「ようこそ、ベル・エ・ブランシュへ。ウェディングプランナーの飯島康人と申します」

 

 名刺を差し出すと、金田は片手で受けとって目を下ろした。


「飯島康人……蔡がいっていた名前だ。おまえが俺を受け入れてくれたのか」


 まともな声を聞くのは初めてだった。かすれぎみだが、深みと落ち着きがある。


「ええ。チャペルを見にこられる、と伺っております」

「ああ」

「それでは、こちらへいきましょう。秘密の場所があるんです」


 飯島は先導して歩いていく。

 向かう先は、敷地の端にある白いパーゴラだった。

 少し下ったところにあるおかげで周囲から見られにくく、かつチャペルを大きく見上げることのできる場所だ。ベンチがあるので、しばしば考え事をするときに飯島も利用していた。


「どうぞ、座ってください。カリヨンの鐘がきっとよく見えますよ」

「そうか」


 金田はアンティーク調のベンチの真ん中に腰を下ろした。

 隣に飯島も座ると、彼はチャペルを見上げながらつぶやいた。


「……本当に美しい。真っ白い教会に、大きな鐘。芝生の原っぱ。おまえと式を挙げるのに、これ以上ない場所だ。優衣」


 あたかも亡き妻が存在しているかのような口ぶり。

 やはり狂疾の気があるのではないかと疑ってしまう。

 しかし、そのまなざしは穏やかだった。蔡が話していた人柄は本当みたいだ。楯につかみかかった人物と同一だとは思えなかった。

 金田はまた口を開いた。


「おまえはウェディングプランナーといったな」

「はい」

「要するになんだ。結婚式をこしらえてくれる人間ということでいいのか」

「おおよそ正解です」

「そうか。おまえが相手してくれてよかった」

「……というのは」

「ちょうど仕事を頼みたい」

「それは」


 それは——できません。あなたの奥さんは、すでに亡くなっているからです。


 そうつづけることはできなかった。

 いいよどんだすえに絞り出したのは「光栄です」という事実から目を背けた言葉だった。

 あとは押し黙るしかない。

 すると金田がいった。


「このあいだは悪かった」

「……え?」

「謝っていたと伝えてくれ。あの優衣に似た娘に」


 黒瀬楯が金田優衣でないことを認識している。

 つまり彼女を妻だと思い込んでいるわけではないらしい。


「あまりにも似ていた。だから取り乱してしまった。見苦しいところを見せた」

「そうですか」


 飯島は前を見ていう。


「でも……謝るのなら、直接いってもらったほうがいいですよ」


 楯がこちらに歩いてきていた。


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