(40)小さなパーゴラの下で ②



 チャペルを背景にして、芝生の丘から楯が歩いてくる。

 青空の下、髪を風になびかせている姿は一枚の絵画みたいだ。

 もしあれが金田優衣だったとしたら、夫を迎えにきているようだと思った。


「主任。こんなところにいたんですね」

「横溝が教えてくれたのか」

「はい。主任が飛び出していったって」


 楯はベンチの前までくると、金田に小首を傾けて挨拶した。


「こんにちは。今日はいい天気ですね」

「ああ」


 金田の口髭が動いた。どうやら笑んだらしい。


「いい場所ですよねー、ここ。ゆっくり見ていってください」

「そのつもりだ。だが、まずはおまえにいわなければ」

「私に? なんですか?」

「先日はすまない。傷つけるつもりはなかった」

「は? ……あー。気にしないでください。昔から体はジョーブなんで、全然ヨユーですよ」


 楯は力こぶに手を当てて、にやりと白い歯を見せる。

 しかしそこで、その言葉が金田優衣と自分のどちらに向けられたものなのか疑問を抱いたのだろう。自身の顔を指差していった。


「てゆーか、金田さんって私が誰かってわかってます?」

「安心しろ。おまえを奥さんだとは思っていないそうだ」


 飯島が横から答えてやると、金田は目で頷く。

 それを見て、楯はいった。


「ふーん。じゃあ、ちゃんと自己紹介しとこっかな? 金田さん、私は黒瀬楯っていいます。黒と瀬戸際の瀬に、木へんに盾って書いてジュンって呼びます」

「黒瀬か。わかった」

「彼女もウェディングプランナーなんですよ。まあ、今年に入社したばかりでまだまだ勉強中の身ですが」


 飯島は紹介を続けつつ、楯に顔を向けた。


「おい、黒瀬。立ったままも疲れるだろう。座ったらいい」


 ベンチはちょうど三人が並んで座れる長さだ。

 飯島は金田をはさんだ反対側を顎でしゃくってみせる。

 しかし、楯は従わなかった。

 一人分の空席を見たあとに答えた。


「やー。私はこのままでいいかな」

「……やはり俺が怖いか。気にしてないと口ではいえても、近くに寄るのは別だ」


 金田は自嘲ぎみに髭をさする。

 すると、楯はむっとしていった。


「ビビってるっていいたいんですか? 私のことナメないでくれます?」


 彼女は金田の前で屈むと、いわゆるメンチを切るかのように、ぐいっと顔を近づけてのぞき込む。長いまつげの本数まで数えられそうな距離だ。


「全然怖くありませんけど?」

「おい、黒瀬……」


 飯島が小さくたしなめる。

 一方の金田は、楯のまなざしをじっと受けとめていた。

 そしておもむろに問いかけた。


「怖くないのなら、少しだけ顔に触れていいか」


 楯がわずかに目を見張るのを認めて、飯島はいった。


「金田さん。さすがにそれは……」

「いいですよ。触っても」


 押し切るような声だった。

 楯は触れやすいように形のいい顎を持ち上げる。

 金田は彼女の左目の輪郭にそっと指を這わせた。あまり触れられない初心うぶな場所だ。 ぴくりと動く目じりを愛でるようにしてから、無言のまま手を離す。

 楯が尋ねた。


「……これでよかったですか?」

「本当に優衣に似ている。そのままだ」


 そうつぶやく横顔は、少し苦しそうに感じた。

 名古屋ヤング夫妻事件の傷跡——その片鱗を見た気がした。


「……金田さん」


 飯島は宙を見上げた。そのまま語りかける。


「奥さんは今もあなたの近くにいますよ。きっとすぐそこに」

「……そうだな」


 金田が目を伏せ、沈黙が訪れる。

 すると——飯島の見上げた先をさえぎるように、ずいっと楯が立った。腰に手を当てて、二人をじろりと見下ろす。


「ちょっとぉ。メンズで勝手にしんみりしないでくださいよ。チルしにきたんじゃないんですか? メンドクサイなあ」

「ああ。すまない」

「シャキッとしてください。私の鉄拳で気合い入れときます?」

「……百五十キロだったか?」

「そ」

「気合いが入るどころか、気を失いそうだな」


 飯島はふっと笑う。

 曇りかけた空気が晴れた気がした。彼女がいてくれてよかった、自分一人ではこうはならなかっただろう、と思った。

 横を見ると、また金田の口髭が動いていた。






 それからは式場の仕事の大変さだったり、蔡がいかに世話焼きかなどの話をゆっくりと交わしながら、三人はチャペルをずっと眺めていた。

 楯は結局ベンチに腰を下ろすことはなく、飯島のそばに立って会話に興じていた。


「そうしたら黒瀬が——……」


 ふと近くにあった雲が遠くに移動しているのに気がついて、飯島は腕時計を見た。

 思ったより時間が経っている。さすがにこれ以上は業務への支障が大きい。


「金田さん、すみません。お時間がもう」

「ああ……わかった」


 金田は名残惜しそうに立ち上がった。

 楯が素朴な顔でいう。


「あれ? 帰っちゃうんですか?」

「黒瀬。俺もおまえも仕事中だということを忘れていないか?」

「忘れてないですけど? てゆーか、今もこれ仕事じゃないんですか?」


 飯島はうまく意味が飲み込めなかった。

 いってしまえば、この時間は仕事を抜け出して行っているボランティアだ。


「仕事ではないと思うが……」

「主任が前に研修で教えてくれたじゃないですか。新郎新婦の心のケアも、プランナーの大切な仕事だって。金田さんは新郎さんでしょ?」


 ——金田清治が新郎? 新婦はもういないのに?


 言葉が出なかった。

 楯はかまわずつづけた。


「結婚式場を探してここにきたんですよね? なんとなくですけど、私はこの人は式を挙げることができる気がします。ウェディングプランナーの勘ってやつかな」


 気休めか。

 慰めか。

 それは彼にとって必要なことなのか。

 冒涜ではないのか——。


「……新人に勘もクソもないだろ。ふざけるな」


 吐き捨てるいい方になってしまった。

 楯が入社して以来、彼女に対してあきれたり、注意をする場面はあったが、怒りを放つことはなかったのに。


「じゃあ、女の勘」


 楯はへらりと笑った。

 それは少し悲しげに見えた。


「……」


 飯島の中で後悔が首をもたげるが、もう遅い。

 ぶつけた感情の破片が自分にも跳ね返ってくることに気づいたあとは、恥ずかしささえあった。


「……黒瀬はいい女だな」


 二人の様子を眺めていた金田がいった。パーゴラを後にしようとする。


「金田さん……」

「俺はもういく」


 金田はスカジャンのポケットから飯島康人の名刺を取り出して、ひらひらと見せながらつづけた。


「またきていいか」


 飯島が答えるより先に、後ろで楯がいった。


「はい。待ってます」


 その言葉に背を押されるように、飯島はぐっと頷いた。


「……お待ちしております」


 そして気がつけば、実際に背中に手が添えられていた。

 見守るような感触だった。



                   ※



 金田清治は二つの視線に見送られながら、白亜の門までくる。

 去り際に守衛室のほうを見ると、守衛が軽く手を上げているのがわかった。口髭を動かして応じてから前を向く。

 すると、ベル・エ・ブランシュを訪れる男女とすれ違った。

 挙式の相談にきたのだろう。仲睦まじい様子だ。

 女性の左手の薬指で婚約指輪が光っている。


 ——一段飛ばしで指輪もらっちゃったがね。


 そう妻が笑っていたことを思い出した。



                   ※


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