(5)2021:インタビュー ②

 一時間ほど経過して、記事にする内容が充足したころだった。

 ひと段落ついた空気の中、飯島たちは応接係に出された茶で口を潤していた。

 ふと、益子が尋ねてきた。


「そういえば、お話は変わりますが……飯島さんは、社会人になられてからこれまで、ずっとこの業界で活躍されているのですか?」

「いえ、私は中途で採用されまして。ひょんなことから、今の上司にこの仕事を紹介されたんですよ。そうしたら、見事にとり憑かれてしまったという感じですかね」


 先ほどの飯島の語り口が、益子の脳裏をよぎっていった。


「……とり憑かれてしまったと。なかなか強い表現ですね」

「たしかに。いいすぎかもしれません」

「そんなことないですよ。主任は、昇進よりも自分のプランニングを大切にしてるくらいですから」


 今まで黙って見学していた黒瀬が、そう口を挟んできた。

 飯島は渋い顔で振り返る。


「黒瀬」

「えー? さっきは茶々いれるくらいでいいっていいましたよね?」


 黒瀬は澄ました顔でいってくるが、本気でそう思っているわけではなく、言葉の真意を理解したうえで、あえて突っ込んできている感じがした。


「それはそうだが……」

「大丈夫ですよ、飯島さん。それより、今の話を詳しく教えてもらえますか?」

「あっ、聞いちゃいます?」


 益子がにこやかに顔を向けると、黒瀬はなぜか自慢げに説明を始めた。

 ——ベル・エ・ブランシュのウェディングプランナーは、課長職以上になると中間管理業務が主な仕事になり、プランニング業務からは遠ざかっていく慣習があった。愛し合う二人の門出に一から十まで関わることができるのは、役職持ちではチーフプランナーまでだ。


「実績でいったら、ホントは課長とかになっててもいいんですけど。主任は、それを辞退してまでお客さんのために頑張ってるんです」

「なるほど。役職や給与より、新郎新婦への祝福に身を捧げておられるのですね。これはいい小話を頂きました」

「ネタになりそうでよかったです。主任はこういうの恥ずかしがって絶対にいわないと思ってたんで、かわりに私がいってあげました」


 それこそ恥ずかしい。人前で母親に世話を焼かれているような気分だったが、ぐっと堪えて飯島は話を繋げた。


「まあ、黒瀬がいったことは事実ではあります。私はこの先も、できるかぎりプランナー職にこだわっていきたいと思っていますね」


 うんうんと頷きながら、益子はいった。


「それが、一年前に私たちのオファーを断られた理由にもなっているのですね」

「え、ええ。……その節は大変失礼いたしました。少々棘のある言葉を使ってしまったと記憶しています」


 話題にすべきかどうか迷っていたことだったので、飯島は答えが遅れぎみになってしまう。

 益子はあわてて手を横に振った。


「あっ、ごめんなさい。変な意味はまったくなくて。断られた理由にようやく合点がいったといいますか。取材を受ける時間さえ惜しい——むしろ立派な姿勢だと思いました」

「そういって頂けると助かります。心変わりをした甲斐がありました」

「おかげでとてもいい記事が書けそうです」


 益子はにっこりと笑んだ。次に、黒瀬のほうに顔を向ける。


「それじゃあ、黒瀬さん。ちょっとだけインタビューいいかしら?」

「あ、はい」


 黒瀬はチェアーから立ち上がり、飯島と座る場所を交代する。

 すると、益子は開口一番にこういった。


「黒瀬さん。お話を聞くまえに、一つあなたについてわかっていることがあるのだけれど、当ててみていいかしら?」

「え? 全然いいですけど。益子さんって占い師やってたんですか? 新宿の母? 的な?」


 黒瀬は口に手を当てて軽やかに笑った。

 益子もまた「あっははっ」と同じように笑い、なにげないしぐさでボイスレコーダーのボタンに指を添わせる。


「そうね。そっちの道に進んでもおもしろかったかもしれないけど、今私がいおうとしていることは、きっと誰もが気づくものだと思うわ」

「えー? なんでしょう?」

「ずばり、あなたは飯島さんを尊敬している。それも、とても」


 笑みが抜けていく黒瀬にむかって、益子はつづける。


「なぜかって? 理由はね、彼のインタビューを聞いているときのあなたが、いい顔をしていたから」

「……そんな顔してました?」

「ええ。さらにいえば、あなたがこの式場への入社を志望した理由も、それが大きいと考えているのだけれど……どう? 正解かしら?」


 黒瀬は答える。その表情は、凛としたものに変わっていた。


「はい、そのとおりです」

「きっかけを教えて頂けますか?」

「学生のときに、たまたま主任のプランニングした結婚式に出会ったんです。ぶっちゃけ、それまではブライダルの仕事なんて全然興味なかったんですけど、メチャクチャ衝撃でした。こんなにきれいな光景があるんだなって。そこから、ベル・エ・ブランシュがアップした動画をいっきにコンプリートしました」


 すでにそのころには、飯島康人のプロデュースは名を馳せていた。SNSで話題になって流れてきた動画を目にして、憧れを抱く人間も少なくないらしい。

 彼女もまたその一人なのであろう。


「なら、最初は飯島さんのファンからのスタートだったんですね」

「あー、ファンってゆーかぁ」


 黒瀬は背後をちらりと見やったあと、へらりと笑った。


「はい。そんな感じです」


 そして、思い返すように頷いてつづける。


「主任のプランニングはホントにすごいです。みんな心の底から幸せそうで……なんてゆうか、胸がぎゅうってなるんです。ここに入社してからも、挙式を見るたびに感動が大きくなっていって。いつか私もこの人みたいなウェディングプランナーになりたいって思っています。いえ、なるって決めてます」

「いい意気込みですね。目標にむかって頑張っていってください」


 益子はボイスレコーダーを停止させる。


「ありがとうございました。インタビューをこれで終わります」

「えっと、ありがとうございました」


 彼女がする綺麗なお辞儀に対して、黒瀬は見よう見まねで首を曲げていた。



                   ※



 最後に飯島の写真撮影を行い、ウェンディの取材は終了する運びとなった。


「飯島さん、これからもあなたのご活躍を期待しています。応援させてくださいね」

「ええ。ありがとうございます。お気をつけてお帰りください」


 最後にそう言葉を交わし、外まで一緒に出てきた飯島と黒瀬に見送られながら、益子はカメラマンとともに社用車に乗り込む。


「それじゃあ、いくわよ」


 益子はサングラスをかけ、車を発進させた。白亜の門をくぐり、帰社すべく大通りに出る。

 黄昏時の緩やかな流れの中、彼女はゆっくりと口を開いた。


「ほかのメディアとか見ていても思うんだけどね」

「なんですか?」


 斜陽が眩しくて、カメラマンはキャップを深くかぶり直す。


「芸術でもスポーツでもさ、そのフィールドでいわゆる『天才』と呼ばれる人って、なぁんかやっぱりふつうの人とは違うのよねえ」


 飯島康人の顔が浮かんだ。


「益子さんは彼のいっていたこと、百パーセント理解できましたか? 絆の根源だとか」

「うーん。帰って、聞き直して、素起こしして、ケバとりして……それからかなあ」

「もう片方の新入社員の女の子はどうでしたか?」

「黒瀬さんね。彼女はとりあえず若いなあ」

「いや、年齢の話はもういいですって」

「ちゃんとインタビューの中身の話よ。まさに社会に出たての女の子って感じだったな。シンプルでわかりやすい。ああいう子はね、私頑張ってほしいなって思う」

「そうですね。それで——」

「なに? なんか気になってそうじゃない?」


 益子は年増くさい顔をしていった。


「たしかに、黒瀬さん肌白くてグラマーだしキレカワだし? 世の男性は放っておかないでしょうね。けっこうギャル? マイルドヤンキー? っぽいけど」

「何いってるんですか。そういう意味で聞いたんじゃないですよ」


 カメラマンは鼻を掻いてから、話を戻した。


「益子さん、あの子にいったじゃないですか。いい顔で飯島さんの話を聞いていたって」

「うん」

「あの内容をすんなり呑み込めるっていうのも、どうなのかなって僕は思ったんですよ」

「うーん。そりゃあ、目標の人が熱心に語っていたらなんでも聞き入るでしょう」

「そうかもしれませんけど。なんていうかなあ。言語化が難しいな」

「べつに単純なことだと思うけどねえ」

「ですかね」

「ですよ」


 その生返事のあとは、短い会話しか生まれなかった。

 カメラマンは、今日の取材で撮った写真を確認していく。その中の一枚を見て、彼は何かを益子にいおうとしたが、やめておいた。かわりにキャップのつばをさらに深く沈める。目も眩むような夕日が差しつづけていた。



                 ※



 ウェンディの取材班を見送ったあとで、飯島は安堵の息をついた。

 これで部長の立花に一つ借りを返し、また本職に専念することができるのだ。

 などと思っていると、隣の黒瀬が顔を向けていってきた。


「主任。おつかれさまです」

「ああ、黒瀬もな」

「とりま任務完了ってことで……ハイ、主任も出して」


 彼女は拳を見せてくる。飯島が理解できぬまま同じようにすると、「イエーイ」と突き合わせてきた。フィストバンプと呼ばれるものだった。

 黒瀬はもう一度呼んできてつづけた。


「主任。もう少しで定時ですね」

「そうだが、それがどうしたんだ」

「今日は月曜ですけど、もしかして残業してく系ですか?」

「いいや、さすがに帰るぞ」


 定休日前の月曜日は残業を控える。そういう不文律があった。

 黒瀬は小悪魔めいた顔でいった。


「だったら、今夜は飲みにいきません? 取材の打ち上げってことで」



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