(31)正義のヒーロー



 ショッピング施設からの帰り道の途中だった。


「いかん。腕がえらい。そこのコメダで休憩しよまい」


 大量の買い物袋のせいで、清治の両腕はもはや限界だ。

 彼は目に入ったコメダ珈琲店を顎でしゃくっていった。そこは、黒地の看板にオレンジ色の文字が目を引く愛知県で有名な喫茶店チェーンである。


「だもんであたしも持ついうたがね」


 小さな袋をぶら下げた優衣が、あきれぎみの顔で横からいってくる。


「しょうがあらへんなあ。入ろまい」


 木製の扉を彼女に開けてもらい、清治はえっちらおっちら入店する。赤いソファーのテーブル席にどかっと腰を下ろした。


「ぐあっ。でぇらえれえわ。腕が棒になってまった」

「おつかれさん。腕さんよう頑張りました」


 優衣が対面に座ってくる。

 清治は大の字でソファーに寄りかかり、天井を仰いだ。息はまだ上がりぎみだ。


「おぉい。誰か労ってくれんかやあ」

「いったじゃん。足りんの?」

「足りん。ああ、えらい。足も棒みてえだわ」

「はぁ……子どもみたい」


 しかたなさそうに息をついたあと、優衣はふいにいたずらっぽい顔をした。テーブルの下で投げ出した清治の足に、すりすりと生足を撫でつけてくる。どうやら慰労しているつもりらしい。


「足さんもよう運んでくれました」

「なんじゃほりゃ。猫がじゃれついてきとんかと思ったわ」

「猫じゃにゃーわ」


 わざとらしいイントネーションで猫の真似をする優衣。


「うはははっ。猫だがやっ」


 笑いが弾ける。元気が戻ってくる気がした。

 思えば、彼女が純粋にふざけて笑わせにくるのは初めての気がする。

 妙に嬉しくなった清治はメニューを手にとり、ページをばらばらとめくった。


「おっしゃ。今日は奮発したる。シロノワール頼むぞ、優衣」

「なにい。ええの? お金あるん?」


 そういうも瞳のきらめきが隠しきれていない。


「俺は腹が減った。ただこいつはでけえ。山分けでちょうどええだろ」

「昔に一回食べただけだもんで、楽しみだわ」


 母親が優しかったころの話だろうか。今よりもっと輝いた顔をしていたかもしれない。


「俺はアイスコーヒーでええな。おまえはどうすんだ」

「あたしメロンソーダ飲みたい」

「ほうか。おぉい。姉ちゃん、姉ちゃん。注文頼むわ」


 手を招くと女性店員が向かってくる。

 彼女は注文をとろうとして——優衣を見てこぼした。


「塚本? あんた何やっとんの」


 優衣は気まずそうな顔をした。


「あっ……寺内てらうち

「なにい。おまえのツレかや」


 清治は寺内と呼ばれた店員の顔を見た。

 特に好みではないが、悪くない素材をしている。化粧を覚えたら化けるかもしれない。

 そんな失礼なことを考えていたのが伝わったのか、彼女はじろじろと値踏みするように見返してきた。少なくとも客に接する態度ではない。


「うん。友達」


 優衣は遠慮がちに首肯して、寺内に顔を向ける。


「ここでバイトしとったんだ。制服よう似合っとるじゃん」

「あんた、学校にこん思っとったらこんなチンピラのところに転がり込んどったん?」


 寺内の言葉にかちんときた。勤務中だったら職務質問で詰めているところだ。清治はこれ見よがしに親指を向けていった。


「おい、優衣。おまえツレは選んだほうがええぞ。とんだ無礼もんだがや」

「男物のスカジャン着さして、なに自分のもんぶっとんの」


 胸の前に垂らした一本結びの三つ編みの毛先を、寺内は苛立ちまじりにいじる。


「しかも優衣て呼び捨て? とろくっさ」

「ぶっとらんし、優衣は優衣だがあ」

「ちょっと。喧嘩しんといて」


 優衣が両者をなだめつつ寺内に顔を向ける。


「ごめん寺内。色々あってがっこにいける感じじゃなかったじゃんね。この人は清治ていって、あたしの世話焼いてくれとるの。なんでそうなったかは話すと長くなっちゃうもんで、今はいえんけど……」

「清治て。あんた男なんて下で呼ばんがん……」


 いってから、寺内は優衣の口元の絆創膏に気づいて顔を寄せてきた。


「なにい。顔ケガしとるがね」

「えっと、これは」

「こいつに殴られたんと違う? 世話されとるとか、嘘いわされとらん?」

「清治はそんなことしん。ケガのことはまた長なるでいえんけど……あと——」


 ガシャンと音が鳴った。清治がテーブルを蹴り上げた音だった。


「——あのよお」


 黙って聞いていることができなかった。彼は寺内をねめあげて吐き捨てた。


「なあに今さら心配するふりしとんだ。ぶっとんのはおまえだろが」

「清治、やめて」

「優衣を学校から追い出したんはおみゃあらだがや。寝床もろくに貸さんで、陰口ばっかぴーちくぱーちくいいよって。ほんでこいつがボロボロになってもほかっとる。とろくせえ。だで、ツレは選べいうたんだ」

「そ、それは……」


 寺内は歯嚙みして言葉が出ない。


「やめていうたよ。清治」


 優衣が困り顔で手を伸ばしてくる。袖をつままれて、清治は怒りを鼻息とともに逃がすことしかできない。彼女は両者にいい聞かせるようにつづけた。


「寺内。あたしは清治て呼びたいで呼んどる。世話してくれとんのもホントのホント」


 次に清治のほうを見る。


「清治。寺内はあたしを最後までなんとか泊めてくれとったじゃんね。事情を話さんでもなんもいわんかったよ。だけど、この子があたしのことでお父さんお母さんとどえらい喧嘩しとったの聞いちゃったもんで、こっちからごめんなさいして出てったじゃんね。あたしが携帯電話なんて持っとらんもんで、連絡がとれんかっただけ。ほれに——」

「うちは陰口なんか叩いとらん」


 清治は寺内を見る。彼女は伝票のバインダーを握り締めていた。


「あんな子ら、縁切ったった」

「えっ……」

「むかついとったですっきりした。おかげで快適だわ」

「寺内。そんなんしんでも……」

「するわ。たーけ。友達バカにされてへらへらしとるほど、うちは腐っとらん」


 寺内は優衣の頭を小突く。

 優衣はきょとんとしたあと、「痛いじゃん」と文句を垂れた。だがその口元は小さく笑っていた。

 清治はその光景を腕組みしながら見ていた。

 すると、寺内が彼に向き直ってきていった。目つきから窺える感情はいまだに芳しくないものだったが。


「あんちゃん。塚本のいうこと、とりあえずは信じといたるわ」

「ほうか。ありがとさん」

「ほんでさ、世話しとるていうんなら、この子学校にこさしてほしいんだけど。四六時中捕まえといたろうなんて腹じゃないだろし、あんちゃんも昼間はなんかしとるでしょ」

「なんと社会人。清治は働いとるじゃんね」


 なぜか優衣が自慢げに答える。


「ほうなん? 何屋さん?」

 

 わずかに見直したような目を向けてくる寺内に、清治はいった。


「正義のヒーローだがや」


 馬鹿正直に警察官と答えるのはよくないと思った。

 優衣の事情を他言できない以上、保護目的とはいえ十六の娘を部屋に連れ込んでいる時点でかなり危うい。しかもそれが罪を取り締まる人間のしわざとあっては、釈明をする前に同僚に突き出される可能性がある——ということで、女性と会ったときに使っていた肩書きを利用した。


「……塚本。こいつほんとに大丈夫なん?」


 寺内が心底不信がった様子でいう。


「ちゃんとしたお給料もらっとる人だで、大丈夫だいじょうぶ」


 優衣はあわててフォローした。何をいっているんだというふうに再び袖をつまんで揺さぶってくる。


「ならええけど……で? どうしてくれるん?」

「高校に通う話なあ」


 あらためて尋ねられ、清治は考えた。


「そいつは俺もどうにかしたらなかんて思っとったが、ちゃんとツレとしておまえがおるんだったらなんとかなりそうだな。俺は構わんけども。優衣、おまえはいきてえんか?」

「うん。いきたいよ。この子がおるし」


 寺内をちらりと見ると、三つ編みをいじりながら頬を赤らめていた。


「ほうか。ほんじゃまあいきゃあ。今どき高校くれえは卒業しとかなかんでな」


 清治はうんうんと頷いてからつづけた。


「寺内、色々とこいつの世話頼むわ。見てみやあ。制服のシャツ一枚しか持っとらんし、ボタンも飛んどる。おさがりでええもんで着さしたってくれ」


「安い御用だけど……」といってから、寺内は清治にじろりと視線を流してくる。


「あんちゃんが飛ばしたんと違うだろね」

「まぁだそんなこといいよるんか。しんて」

「……近いことはあったかもしれんなぁ」


 おすまし顔で優衣が横入りしてきた。


「は?」

「変な雑誌見せてきよってなぁ。服脱げなんていわれた気がするなぁ」

「やっぱいかんわ。お巡り呼ぼまい」


 即座にどこかへきびすを返そうとする寺内を、そのお巡りが引き止めた。


「んなわけあらすか。おい、優衣。なに適当ぬかしとんだ、たあけ」


 きゃははは、と優衣は笑った。

 もう一言二言いってやりたい清治だったが、しかし彼女の楽しそうな顔を見るうちに出てきたのは柔らかい息だった。ふと寺内を見ると、自分と同じような表情をしていた。

 そのあとは話がついたということで、やっと正式に注文することができた。

 ドリンクを傍らに、二人はシロノワールに舌鼓を打つ。「うみゃあ、うみゃあ」と優衣はほおばっていた。鼻先にアイスクリームがつくと、それを手の甲で拭ってぺろぺろと舐めた。なおのこと猫みたいだった。






 休憩が済み、フタバ荘にむけて再出発する。

 コメダ珈琲店を出るときに、寺内は小さく手を振っていた。明らかに優衣にだけ。

 すでに空は夕刻の色を見せはじめていた。並んだ大小二つの影法師が徐々に伸びていく。木枯らしは吹かず、穏やかな帰路だった。


「優衣。今度教室で会ったら俺が謝っとったていったってくれ」


 清治は前を見ながらいった。


「あの寺内てのはええ女だな」

「うん。はるかっていうの。一番の友達じゃんね」

「もうちっと俺を信用してくれたっても罰は当たらんけどな」

「正義のヒーローとかいうでいかんじゃんね。見てくれから違うもん。ほりゃ信用されんよ」


 優衣はくすくすと笑っている。


「間違っとらんがや。警官様だぞ」

「うん。ほうだね。——ほんとに、間違っとらん」


 どこか耳に残る声色だった。

 清治は目を向けた。優衣がこちらを見ていた。


「間違っとらんよ。正義のヒーロー」


 橙色の光を受けて、そのきれいな瞳はきらめいていた。



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