3.侍女は推しを救う決意をする
RPGゲーム『フェアリーシーカー』。
老舗ゲームブランドの看板シリーズの最新作だ。家庭用ゲームソフトとして販売され、国内だけで50万本も売り上げた。
その概要は、勇者が旅に出て仲間を集め、世界を救うという王道ファンタジーだ。
アイルは勇者が出会う3人目の仲間だった。
半獣人のため王宮の離れに軟禁されているアイルが部屋を抜け出して逃げている最中、勇者と出会う。そして、勇者はアイルを外の世界へと連れ出すのだ。
アイルははじめ仲間たちを拒絶し、彼らに剣呑な態度ばかりとる。だが、旅の最中で徐々に勇者と打ち解けていく。
アイルと勇者が初めて握手を交わしたシーンは、私の中で屈指の名シーンだ。
だが、その直後のことだった。希望が絶望へと変わるのは。
アイルは仲間の1人に殺される。
突然の展開に私は度肝を抜かれた。
そのままテレビの電源を落として、1時間近くは放心していた。何かの間違いかも、と思い直して、友達にメッセージを送った。
「ねえ、アイル様、死んだんだけど……」
すぐに返信がきた。
「あそこ超泣いた」
という言葉と共に、号泣のスタンプ。
それでも私はまだ信じられなかった。
死んだと思っていたキャラクターが、ストーリー終盤で再登場することだって稀にある。
私はスマホで検索した。
「アイル 死ぬ」
すると、検索窓にたくさんの候補が並んだ。
「アイル 死ぬ 離脱」
「アイル 死ぬ ショック」
「アイル 死ぬ 復帰しない」
目の前が真っ暗になるとはこのことだ。
アイルの死が衝撃すぎて、その日は夕食が喉を通らず、一睡もできなかった。
寝不足のまま登校する途中で――私は交通事故に遭って死んだ。
このままではまた同じことが起こるにちがいない。
アイルが勇者と出会って旅に出たら死んでしまう。
今のアイルは14歳。勇者と旅に出るのは17歳。今から3年後のことだ。
まだ猶予はある。何とかしなくちゃ……と私はベッドの中で必死に考えた。
涙にくれる夜が開けて、朝になった。
私はベッドから抜け出して、姿見の前に座った。そこに映ったのは見慣れた高校生の私じゃない。
ウェーブかかった長い金髪。抜けるように白い肌。透き通った綺麗な色の碧眼。面差しは優しげで、まだ少女なのにどこか母性を感じさせる。
ルイーゼは儚げな美少女だった。
今は泣いたせいで目が腫れぼったくなって、髪もぐちゃぐちゃで、額には大きなたんこぶができている。美人が台無しだ。
目元は悲しげに歪んでいる。
何て情けない顔をしてるんだろう、と思って、私は小さく笑った。
ぱんと両手で頬を叩く。白い頬にほのかに赤みが差した。
アイルが死ぬ未来を知っているのは私だけ。
つまり、その未来を変えることができるのも私だけなんだ。
私は決意した。
推しが死んでしまうなんて――それを現実世界で体験するなんて堪えられない。
アイルが死ぬ未来は変えてみせる。
アイルは絶対に死なせない!!
+ + +
王宮の中でも奥まった位置に建てられた塔。
通称、西の塔にアイルは軟禁されている。
使用人の中でも一部の者だけがその中に入ることを許されている。私は先日の剣闘大会でアイルを庇った功績を認められ、アイルのお付きとして働くことが決まった。
塔の中の構造はシンプルだ。塔のてっぺんにアイルの部屋。その下の階に使用人の部屋や、調理場、浴室などが設置されている。
私はアイルの部屋を目指して階段を登っていた。
「ついてねえなあ……」
長い階段を登る途中。
塔の中ではいろいろな声を拾うことができた。
例えば、階段の出入口に配置されていた兵士はこうぼやいていた。
「王子があんな半端者だなんて、聞いてねえよ」
「おい、やめろ。聞こえるぞ」
「ここで働く奴、みんな思ってることだろ? なあ、獣人は臭いって話、聞いたけど、ほんとか?」
また、調理場の前を通り過ぎた時は、メイドたちがひそひそ話に精を出していた。
「アイル様、ここを抜け出して勝手に剣闘大会に出場していたらしいわよ」
「えー、アイル様の部屋って最上階でしょう? どうやって抜け出したのよ?」
「それが部屋の窓から飛び降りたって……」
「やっぱり獣人って、人間よりも獣に近いのねえ」
「剣闘大会では決勝戦まで勝ち進んだって話だけど、その戦い方もすごく野蛮だったって聞いたわ」
私は歩きながら顔をしかめた。
アイル様は臭くなんかない。いい匂いするし!
アイル様の剣技は野蛮じゃなくて、むしろ優美よ!
しかし、思っていたよりもこの国の獣人への差別意識は問題だ。
獣人は臭い。野蛮で知性に劣る。
レグシールの人たちはそう思いこんでいる。それは10年ほど前まで、レグシールと獣人の国ガトルクスが領地をめぐって激しい戦争をくり返していたからだ。10年前にガトルクスとの戦争は終結し、両国は同盟を結んだ。それからは互いの国では国交が結ばれて、両種族が行き来するようになった。
しかし、民衆の意識は簡単には変わらない。獣人への差別を作り出したのはレグシール国の王家なのだ。
レグシールでは兵士の戦意を高めるために、長年、民意操作を行ってきた。獣人への中傷を国家単位で広め、民衆に差別意識を植え付けていたのだ。
その上、アイルの出生にも問題がある。
父親はレグシール国の王であるエドガー・レグシール。だが、母親はエドガーの正妻ではない。エドガーは未だにアイルの母親が誰であるかを語らない。つまり、アイルが誰の子なのかは王しか知らないのだ。
当然、王室は揉めた。王が不貞の末に作った子。半獣人の上に、母親は不明。
普通であればアイルは追放されるだろう。実際、アイルを排除しようという動きが王宮内でもあった。
だが、臣下の進言を王はすべて無視した。
アイルを王宮で育てると言ってきかなかったのだ。そして、妥協案として、アイルを王宮の離れに軟禁して、育てることが決まった。アイルの存在は民衆には隠され、外に出ることも許されない。
先日の剣闘大会に出場するため、アイルは部屋を勝手に抜け出した。そのせいでアイルの監視はより強固な体制に変わっていた。離れに勤める兵士やメイドの数を増やしたのだ。
アイルは王子とはいえ庶子であり、王位継承権が限りなく低い。ここで働くということは、使用人たちにとっては閑職に飛ばされたようなものなのだ。
だからか、西の塔を歩く間、愚痴や陰口がいたるところから聞こえてくる。
中にはアイルのことをあからさまに蔑む言葉まで聞こえてきて、私は気分が悪かった。
そんなことを考えているうちに、最上階にたどり着いた。
「アイル様、おはようございます」
私は部屋の扉をノックしてから開ける。
中は質素な作りをしていた。最低限の家具が置いてあるだけの室内だ。
とてもではないが、王族が住む部屋とは思えない。
(今日からアイル王子のそば仕えとして働けることになった……ここまではゲーム通りだ)
私はアイルの部屋に入り、カーテンを開ける。
問題は私の先日の「推し」発言のせいで、アイルに嫌われてしまったかもしれないということだけれど……。
(まずはアイル王子に好かれて、信頼されるようにならないと……)
今の私の立場はただの侍女。ゲーム中ではただのNPCキャラクターだ。
アイルの死を回避するためにできることが少なすぎる。
だから、まずはアイルに信頼されるようになろうと私は決めた。そのためには侍女として有能なところをアピールしておかないと。
「アイル様。朝ですよ」
朝日が室内に差しこむ。
ベッドを照らし出して、アイルの姿が映った。
「う……ん……」
悩ましげな寝ぼけ声が返ってくる。
アイルは薄い布団を引っぱって、ころんとベッドの中で転がった。猫耳がぴくぴくと動いている。ふにゃりと持ち上がったしっぽが、力なくシーツの上に垂れた。
私の体温は急上昇、口元を抑えて顔を背ける。
無理、無理、無理!
推しの寝顔! 推しの無防備な寝姿! しんどい! この世の万物と、アイル様を構成するすべてのものに感謝を……!!
「んー……」
いつもの凛とした態度がすっかりと緩んでしまっている。
アイルはぽわぽわとあくびをしながら、上体を起こした。目をこすりながら、こちらの顔を見る。
そして――
「なっ……!?」
ぴこーん! と両耳を立てて、身を引いた。
顔がカッと赤くなる。
口をパクパクとさせてから、
「な、なぜお前がここに……?!」
その問いに私は首を傾げた。
「なぜと言われましても……アイル様を起こしに参りました。今日からアイル様のお付きとして働かせていただきますので、」
「ひ、必要ない!」
説明の途中でアイルが叫ぶ。どんどんと顔が赤くなっていっている気がする。
もしかして、何か気に障ることをしてしまったのだろうか……。
「勝手に僕の部屋に入るな!」
アイルはとうとう布団を頭からかぶって、殻に閉じこもってしまった。布団の端からしっぽがぴょこんと飛び出ているのがかわいいけれど……。
「も、申し訳ありません……!」
私は真っ青になって、頭を下げる。
どうしよう。
本格的にアイルに嫌われてしまったのかもしれない。
やっぱり例の「推し」発言がよくなかったのだ。頭のおかしな女だと思われているのだろう。
私は慌ててアイルの部屋を飛び出した。
と、そこで突然、目の前に現れた影と衝突しそうになる。
「わ、ご、ごめんなさい……!」
「おや。どうしました?」
転びかけたところを肩に手を置かれ、助け起こされる。
落ち着いた声は穏やかな低音。私はその声で心を落ち着かせて、息を吐き出した。
「それがアイル様に部屋を追い出されてしまいまして……」
「そうですか……アイル様は気難しいお方だと聞き及んでおりますが、噂通りのお方なのですね」
「あの、ありが……、っ…………!?」
体を離してお礼を言いかけたところで、私は絶句した。
目の前に立っているのは背の高い青年だった。
まるで貴族の御曹司を思わせる秀麗な見目だ。赤髪に、勇ましげな緋色の目。騎士服をまとった体は均整がとれている。精悍な顔立ちと併せて凛とした空気をまとっていた。
アイルに負けず劣らずの美形男。
その見た目……ものすごく見覚えがあった。
フェアリーシーカーのゲーム中に何度も見た。前世の記憶が彼の名前を告げている。
私がじっと見つめていることに気付いたのか、男は手を胸に当てて、完璧な敬礼をする。
「申し遅れました。本日からアイル様の護衛を仰せつかりました。騎士のレオン・ディーダと申します」
私は心の中で絶叫した。
(れ、レオン・ディーダ……!)
心臓がばくばくとうるさい。
レオンはフェアリーシーカーの中でも重要人物だ。仲間キャラクターの1人だった。勇者が仲間にする4人目の人物。
そして、私の天敵だ。
何を隠そう、ストーリー中でアイルを刺殺するのはこの男なのである。
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