5.推しはやっぱり推しだった
レオンに負かされてからというもの、アイルは中庭で剣の鍛錬を続けていた。決闘で敗れたことがよほど悔しかったのだろう。
レオンと2人で剣の打ち合いを続けている。
今はもう夕暮れ時だ。中庭は王城の影となる位置に建てられているから普段は日陰となっているが、この時間帯になると西日が差しこんでくる。陽光が王城の白亜に照り返して、眩い光を放つ。私は目を細めて、掌で庇を作った。
「おい、お前」
アイルが険しい表情で振り返る。
「付き添う必要はないと言っただろ。中に入っていろ」
これを言われるのは2回目だ。2人が剣の稽古を始めた時にも言われた言葉だけど。
私は首を振る。
「いえ。私はアイル様のそば仕えですから。ずっとおそばにいます」
すると、アイルは嫌そうに顔をしかめてしまう。
「見られているのは気に障る」
私はハッとして、目を伏せた。
「…………申し訳ありません」
アイルの声は冷たい。その上、不快そうに眉をひそめている。
その声と表情に、私はショックを受けていた。
(そうだった……私、嫌われてるんだった……)
そりゃ嫌いな女にじろじろ見られてたら、不快だよね……。
と、考えて、泣きたくなってしまう。
その時、レオンが少しだけ笑って、
「……素直じゃないですね」
ぼそりと呟く。
アイルは叩きつけるように言い返した。
「うるさい! もう一度はじめからだ」
「はい、アイル様」
レオンの含みのある笑顔が気になったけど、私は早くその場を立ち去ることにした。
塔の中に入ってからも、模擬剣が打ち合う音がずっと響いてきている。
(せめて、お茶でも淹れてさしあげよう)
私は調理場へと向かった。
その途中、
「アイル王子、また中庭で剣を振り回しているけど……」
使用人たちのひそひそ話が耳に入る。
「やっぱり獣人は野蛮なのねえ……。剣技なんて身に着けたところで無駄なのに。あの子、これからもずっとこの塔で幽閉されて過ごすんでしょう?」
「先日の脱走騒ぎみたいのはもう勘弁してほしいわね。アイル王子のせいで伝統ある剣闘大会もめちゃくちゃだったわ」
私は足早に廊下を通り抜けた。
この陰口がアイルの耳に入っていませんように。
心の底からそう願った。
(確かアイル様の好きな飲み物はミルクティーだったな)
ゲーム内のプロフィール欄に書かれていたことを思い出し、私は紅茶を挿れる。ミルクと砂糖、茶器をお盆に乗せ、中庭に戻った。
「アイル様。お茶を淹れて参りました。少し休憩されてはいかがですか?」
アイルは目を見張ってこちらを見る。そして、また顔をしかめてしまった。
「……いらない」
すると、レオンが苦笑して助け船を出す。
「あまり根を詰め過ぎても体によくありませんよ。優秀な剣士になりたいのでしたら、時に休息をとることも必要です」
アイルはレオンの方を睨み付け、そして、ふんとそっぽを向いた。
そのまま歩き出す。その先にあるのは中庭に設置されている四阿(あずまや)だ。私はほっとして、お盆をテーブルへと運んだ。
ルイーゼは若い頃から侍女として働いていただけあって、体が動きを覚えている。ポットからカップに紅茶を注いで、アイルの前に置いた。
そして、レオンの方を振り返る。
「……レオン様もどうぞ」
本当はレオンにお茶なんて淹れたくないけど。ここでレオンを無視するのはメイドとしておかしい。だから、私は内心いやいやで声をかけたのだが、
「いえ。私はけっこうです」
レオンは一歩離れたところで、直立不動の姿勢をとっている。
すると、アイルが驚くべきことを口にした。
「こいつの分は、お前が飲め」
「え? い、いえ! 私はメイドですので、ご主人様と一緒の席に着くことは……」
「お前は自分で飲めない物を、僕に出したのか?」
「そんなことは……! えっと、その……」
アイルのしかめ面は迫力がある。じーっと睨まれて、私は降参した。
「……失礼します」
果たしてメイドが主人と同じテーブルに着いていいものだろうか……?
内心で戸惑いながら、アイルの対面に座る。
アイルは紅茶に何もいれずにストレートで飲み始めた。
あれ? と、私は思った。アイル様の好みはミルクティーじゃなかったっけ?
首を傾げながら、私はカップに口を付けた。さすがは最高級の茶葉が使われているだけあって、豊かな風味が舌の上に広がる。
アイルの方を伺うと、眉をひそめて紅茶を睨み付けている。何を考えているのだろう。
無言の間が居心地悪くて、私は口を開いた。
「アイル様の剣はすごいですね。先ほども見惚れてしまいました」
「別に大したものじゃない。……こんなんじゃ、まだまだ届かない」
悔しそうにアイルは呟く。
そこで私は使用人たちの噂話を思い出した。アイルはずっとここに幽閉されている。それなのになぜ剣技を磨いているのだろう。
アイルはいったい何を目標にしているのだろうか?
「アイル様は……どうして、剣の修業を行っていらっしゃるのですか?」
「お前には関係ない」
アイルはむっとした顔で、目線を逸らす。
「も、申し訳ありません……」
たかが1メイドが出過ぎたことを言ってしまった。
これではますます嫌われたかもしれない。と、私はショックを受けて、顔を伏せる。
すると、アイルはすぐに言いつのった。
「いや……ちがう。今のは、その……ちがう」
「えっと……」
アイルは気まずそうに視線を散らしてから、私の方を向いた。
「剣闘大会に出場し、優勝するためだ」
「そうだったのですか」
なぜ剣闘大会に?
と、聞いてみたかったけど。それ以上、つっこんで聞いていいものかわからず、私は逡巡する。
私の疑問を察したのか、アイルは話を続けた。
「大会に出たのは僕の勝手だ。そのせいで使用人たちには迷惑をかけてしまったと思っている。けど……僕は皆の意識を変えたかったんだ」
「と、言いますと……?」
「獣人は……獣とはちがう。野蛮でも、愚鈍でもない」
その言葉に私はぎくりとなる。
「もしかして……全部、聞こえていらっしゃたんですか? その、使用人たちの噂話を……」
「この耳は飾りじゃない」
目線を下げ、アイルはさびしそうに続けた。
「だけど……無駄だった。いや、それどころか、僕のせいで余計に獣人へのイメージを悪化させてしまったかもしれない……」
その言葉を聞いて、私の胸がどくんと跳ねる。
――ああ。やっぱりアイルはゲームで見たイメージ通りの人なんだ。
だから私はアイルのことが好きだ。
アイルは生まれた時からずっと過酷な環境で育ってきた。
外に出ることを許されず、この塔に幽閉されて。周りには誰も味方がいなくて。王室からも、使用人からも、兵士からも、邪魔者扱いばかりされて。
それでもアイルは剣を振り続けてきた。
獣人は人間よりも劣る――そのレッテルを覆すために。
獣人の汚名を晴らすために、ずっと1人で剣を握って来た。
人間よりも獣人は身体能力に優れ、武道に適性を持つ。その獣人としての優秀な一面を、身をもって皆に示したかったのだ。
だけど、その思いは叶わなかった。
アイルがどんな思いで剣闘大会に出場したのか。そして、半獣人であることがバレて、罵倒され、石を投げられた時、どんな思いを抱いたのか。
想像するだけで、私の胸はぎゅっと痛んだ。
(1人でこんなにがんばっているのに……この子の思いはずっと報われないんだ)
だったらせめて私だけでも。
周りが皆、この子のことを理解しないのなら。
せめて誰か1人でもわかってあげたい。その思いを受けとめてあげたい。
私は机の下で掌を強く握りしめた。
「……アイル様はすごく、がんばっていらっしゃると思います」
アイルの猫耳がぴくりと跳ねる。
その碧眼がわずかに揺れて、細められた。どこか切なそうな表情を浮かべながら、口を開く。
「………………」
小さくつぶやいた言葉を私は聞きとることができなかった。
「え……?」
「何でもない」
鋭い声が返って来て、次の瞬間にはアイルは立ち上がり、私に背を向けている。
「僕はもう少し素振りしてから戻る。お前は先に帰っていろ」
その背を見ながら、私は思った。
――死なせたくない。
この子を絶対に、死なせたくない。
改めてそう強く決意するのだった。
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