12.黒騎士に目を付けられた


 私が固まっている間に、背後でレオンが動いた。

 腕をひねりあげられ、体を反転させられる。乱暴に突き飛ばされて、私は脱衣所の壁にもたれかかった。


「やっ……」


 喉奥から漏れた声は、恐怖心でせり上がって来たものだ。どん、と重い音が響いて、私はびくりと体を震わせた。

 すぐ目の前に立っているのはレオン。私の顔の横に手をついて、こちらを無機質に見下ろしている。


 いわゆる壁ドンみたいな体勢だけど……こんなにときめかない壁ドンは嫌だ。


 レオンの緋色の目に宿っているのは殺気。煮詰まった殺意が瞳の中に雷光のように浮かび上がる。昼間の顔が温厚なだけあって、そのギャップがより怖い。更にもう片方の手でナイフを私の首筋に押し当てているのだ。


 あ、もう、私、死ぬかも……。

 あまりの出来事に思考力が低下する。何も考えられなくなって、レオンの顔を呆然と見返した。


「お前は……何者だ?」


 底冷えするほどの声でレオンが告げる。


 問われている意味がわからない。

 私はがくがくと震えながら、口を開いた。


「わ、私は……」

「昼間の光景を見ていた。お前、野犬を1匹、のしていたな?」


 感情を排した機械のような声が怖い。

 全身が凍り付いたようになって、震えが止まらない。


「あの技は何だ?」


 どくん、どくんと、血液が全身をはね回る音が響く。


 私は直感した。

 ここで答えを間違えたら死ぬ。

 大きく息を吸いこんで、私は震える声で答える。


「レオン様は……誤解されていらっしゃいます。私はただの侍女にございます」

「ただの侍女があんな動きをできるものか。あれは名だたる師の元で武芸を習った者の動きだ」


 う……確かに習ったけど……。

 そこまで本格的なものじゃない。だって、教室ののぼりには「運動不足解消! ダイエットにも効果的!」と掲げられていたし。お遊びで習う程度のものだ。


 でも、そうか。

 ここは平和な日本ではない。日本では趣味程度に習う武術でも、レグシールの庶民がそれを身に着けていたら「異質」だ。


 どうしよう。

 ただの侍女が武芸を身に着けていた言い訳……!

 生命の危機にさらされて、思考が冴えわたる。考えろ、考えなきゃ、死ぬ。


 必死で頭を回転させ、私は前世の記憶から『フェアリーシーカー』の設定集を引っぱり出した。

 武芸……武芸……。

 そういえば、武芸に秀でた部族がいたはず!

 勇者パーティーの5人目の仲間。妖艶お姉さんキャラのファ=スレン。


 彼女の出身地は……!


「ケタルの民」

「は?」

「私の祖父は、そこの出身なのです。私は子供の頃より祖父から格闘術を学びました」


 うう……全部、嘘だから、動悸が激しい。

 でも、これが通じなかったらもう死ぬしかない。

 私は覚悟を決めて、レオンの目を真正面から見据える。

 

「……なるほど」

 

 と、レオンは静かに頷いた。


「今はなき七国家が1つ……『ケタル公国』の末裔。現在は南に広がるナハト樹林に居住している。レグシールの統治には下らず、独自の文化と社会を築いていると聞く」


 ケタル民族の文化は、レグシール国民にはなじみのないものだ。

 彼らは排他主義の激しい民族で、他の街や村と交流を行わない。ナハト樹林は未開の地で、足を踏み入れれば生きては出られないと言われている。そのため、ケタル民族は他からの介入をまぬがれ、独自の社会を築くことに成功していた。


「お前が使った技は、ケタルの民独自のものというわけか。ではなぜ、今までそのことを隠していた?」

「祖父から秘匿するようにと言いつけられておりました。しかし、アイル様の危機を前にして、思わず体が……」


 レオンは真意を測るように、鋭い眼差しで私を見据える。

 私は腹に力をこめて、その視線を受けとめた。


 1秒1秒が長く感じられる。

 永遠にでも続くかと思われた睨み合いは――


「筋は通っている。それにお前がアイルのことを守ったのはこれで二度目だ。もしお前がアイルの命を狙う暗殺者なら、迂闊に正体をばらすことはしないだろう」


 視界が揺れた。レオンが私から手を離したことで支えが消えて、私の体が崩れ落ちたのだ。私はへなへなとその場に膝をつく。

 頭上から聞こえてきたのは、冷酷な声だった。


「次に妙なことをしでかしたら、その時こそ命はないと思え」


 私がハッとして顔を上げると。凍りつくような視線で、レオンが私のことを見下ろしていた。


 それだけを言い置いて、レオンは脱衣所を後にする。


 レオンの姿が見えなくなると、まるで時が動き出したかのようにどくどくと全身を血液が跳ねまわった。うるさく鳴る心臓を私は、ぎゅっと抑えこんだ。




 震えが止まらない。あれほど楽しみだったお風呂に浸かる気分にもなれなかった。

 風呂に入っている間にまたレオンが戻ってきたら、と考えるととてもそんな気にはなれなかった。やっぱり気持ちが変わった、今のうちにお前を殺しておく、なんてレオンが言い出したらどうしよう。


 あの冷めきった双眸を思い出し、その度に全身がぶるりと震える。

 私は自分の部屋へ逃げ帰った。


 部屋の中は真っ暗だった。コレットはもう就寝しているらしい。私は自分のベッドにもぐりこんで、布団をかぶった。


 そして、先ほどのことを何度も思い起こした。


 あんなレオンの姿……初めて見た。

 『フェアリーシーカー』におけるレオン・ディーダは穏やかな紳士だ。常に物腰が低く、丁寧で、主君のためを思って行動する。理想的な騎士様だった。


 それなのに……。

 何なの、さっきのは。


 あんなの、レオンじゃない。

 あれじゃあ、騎士っていうより暗殺者みたいだ。

 あれがレオンの本性なの?


 ……死ぬかと思った……。


 そして、死の恐怖を間近に感じたことで、私は実感していた。


(私……どこかまだ『ゲーム気分』でいたんだ)


 前世の記憶を思い出してから、今日で2週間ちょっと。


 私はこの世界のことを甘く見ていた。ゲームをプレイしている感覚で過ごしていた。本当の私は画面の外でコントローラーを握って、呑気に傍観者をしている――そんな気持ちでいた。


(でも、ちがう。この世界は現実。フェアリーシーカーの世界に私は今、生きてるんだ)


 この世界は現実だ。

 アイルもレオンも実在している。そして、ゲームの世界では脇キャラであったルイーゼ・キャリーだって。


(死んでも、リセットしてやり直せばいいって話じゃないんだね……)


 死んだら終わる。

 私という存在は消えてなくなる。


 怖い。

 こんな思いを抱いたのは初めてだ。日本で生きてきた頃はもちろん、ルイーゼの人生だって命の危険にさらされるようなことは今までなかった。


 死の恐怖が私をがっちりととらえて離さない。心臓はうるさいくらいに動いているのに、手足はどんどんと冷えていく。


 その日、私は寝付くことができずに、朝を迎えたのだった。

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