11.イヤミ王子を敵と認定
「申し訳ございません。アイル様。私が迂闊だったばかりに、アイル様の身を危険にさらしてしまいました」
レオンは戻ってくると、アイルの無事を確認して安堵した。
それから深々と頭を下げる。
私はその顔を見て、複雑な心境になった。レオンは心底、自分の力不足を悔いているかのような面持ちをしていたのだ。
何でこの人がそんな顔してるの。3年後、自分の手でアイルのことを殺すくせに。
わからない。レオンが何を考えているのか……。
アイルは冷静な声で告げる。
「顔を上げろ。お前をおびき出したのは、この犬を差し向けたのと同じ人物だろう」
「アイル様……まさかその人物にお心当たりがあるのですか」
アイルは目を細め、険しい表情を浮かべる。辺りに視線を漂わせ、声を潜めた。
「……ここだとまずい。来い」
「はい」
アイルとレオンが私に背を向ける。
その背に私はおずおずと声をかけた。
「あの……アイル様」
「お前はもう下がっていい」
「え……」
アイルは振り返らずにレオンを連れて、西の塔へと入っていく。
私は呆然となった。
そんな。
私だって、事件の首謀者が誰なのか知りたい!
だって、アイル様を傷つけようとした奴だ。つまり、私の敵。
というか、アイル様が何だか冷たい。
さっきまであんなに楽しげにお話できていたのに。あの時間はもしかして幻だったの?
夕闇迫る庭園。吹きこんで来た風はひんやりとしていて、私の体を冷やしていく。
寂寥感が胸に押し寄せて、私はぐっと唇を噛みしめた。
とぼとぼと私は自室へ帰った。
私はこの塔に住みこみで働いている。私の部屋は2階。この塔では身分の低い者ほど下の階で暮らす決まりとなっている。ちなみにアイルの部屋は6階だ。
これが私とアイルの身分差なのかあ……と、私は更に落ちこんだ。
自室の扉を開けた途端、
「ルイーゼ~! 無事でよかった!」
「わ、もう、コレット!」
コレットに勢いよく抱き着かれ、私はたたらを踏む。
私とコレットは同室で、2人部屋だった。
「使用人たちの間では大騒ぎになってるよ! アイル様とルイーゼが暗殺されそうになったって!」
「暗殺って……ずいぶん話が大きくなってるのね」
「ルイーゼ、本当にケガはないの?」
「大丈夫。アイル様が守ってくれたから」
コレットを落ち着かせて、引きはがす。私が部屋の中に入ると、その後をぴったりと付いてきた。爛々とした眼差しを向けてくる。
話を聞きたくて仕方ない! といった様子だ。
しょうがないなあ、と私は苦笑した。
といっても、私が話せることはあまり多くない。庭園で突然、野犬に襲われ、アイルが撃退してくれたってことだけだ。
(さすがに私が野犬の1匹を投げたことは秘密にしておこう……)
コレットに話をしたが最後、きっと明日には王宮中に噂が広まってしまうにちがいない。
「犬……!」
私の話を聞いて、コレットは蒼白になる。
「アイル様と一緒にいる時に犬に襲われるなんて……怖かったでしょう、ルイーゼ」
「ただの犬ならよかったのに……。怪物かって思うくらい、あのわんこたち凶暴だったよ」
「わんこ」
あ、しまった! またいらんことを言ってしまった気がする。
「犬をわんこって呼ぶの初めて聞いた。それってルイーゼの出身地の方言?」
けらけらと笑いながらコレットは言う。
方言というか。ネット用語と言いますか。
無駄かもしれないけど、私は祈った。
明日になって、使用人たちに「わんこ」という言葉が流行っていませんように……!
私はため息を吐いて、ベッドに腰かける。
「それにしても、あの犬たち、私には目もくれずにアイル様のことを狙っていたみたいだけど」
「アイル様は犬に嫌われやすいからね」
「え? そうなの?」
「アイル様は猫族の血が入っているから」
猫族……?
あー! そういえばあったね。そんな設定。
『フェアリーシーカー』に登場する獣人は3つの種族から構成されている。
猫族、犬族、兎族の3つだ。
その中でも猫族と犬族は折り合いが悪く、歴史上でも幾度も争いを繰り広げて来た。それと関係があるのか、猫族の獣人はイヌ科の動物に嫌われ、犬族の獣人はネコ科の動物に嫌われている。
「そっか。それでなんだ」
「凶暴になっていたのは、餌を抜かれていたとか、興奮剤の類を飲まされていたとかなんだろうね。前にもこういうことってあったから」
「え、そうなの!?」
今日のことが初めてじゃなかったんだ!
聞き捨てならない台詞に、私は身を乗り出した。
「いったい何のためにそんなことを……?」
すると、コレットは複雑そうな表情を浮かべて応える。
「決まってるじゃない。嫌がらせよ」
「え? 誰の?」
「……こんなことするなんて、フランツ王子しかいないでしょ」
コレットの言葉を受けて、私は唖然とした。
あ。ふーん。なるほど。そういうこと。
じわじわと実感が湧いてきて、胸の中に炎が宿る。
フランツ王子、許すまじ!
アイル様の敵、イコール、私の敵!!
私は怒りの炎をメラメラと燃やしながら、拳を握る。
フランツ・レグシール。
レオンの次に警戒しなければならない人物ができた。
その日の夜のこと。
私は自室を出て、湯浴みへと向かっていた。
日本では当たり前の「お風呂」も、レグシール国ではそうではない。ルイーゼが生まれ育った農村には風呂なんてなかった。川で水浴びするか、濡らした布で体を拭くくらいだ。
庶民からすれば大量の湯を使う風呂は贅沢品だ。
しかし、ありがたいことにこの西の塔には風呂場があり、週に1度、使用人が使うことも認められている。王族に仕える使用人が不潔では面目が立たないということだろう。
(本当は毎日、入れたらいいんだけどね……)
侍女である私が風呂に入れるのはその日の最後。それも終わったら風呂掃除をする決まりとなっている。残り湯だし、週に1度だけど、贅沢は言ってられない。お風呂の日を私はいつも楽しみにしていた。
今日はせっかくのお風呂の日。ゆったり風呂に浸かって、昼間の嫌なことは忘れてしまおう!
私はうきうきとしながら、風呂場へ向かった。
夜も遅い時間帯だ。廊下はしんと静まり返っている。多くの使用人は自室で休んでいる頃だろう。夜の空気は冷たくて、私は足早に風呂場に向かった。
脱衣所の扉を開けて、中に足を踏み入れた――その時だ。
「んっ……!?」
突然、後ろから口を覆われる。腹に巻きついた腕が私の体を締めつけ、呼吸が止まった。
ばたんと扉が閉まる音が大きく耳に響く。
何!? いったい誰!?
私は内心でパニックを起こしながら、目を白黒とさせる。喉元にひんやりとしたものが押し当てられた。
その冷たさで背筋が凍る。刃物だ。肌にピタリと押しつけられている。
遅れて恐怖心が全身を駆け上がる。私がひゅっ、と息を飲みこんだ直後。
「動くな。声を上げたら殺す」
耳元で響いたのは、いっさいの感情を排した冷酷な声音だった。
私はその人物の正体にすぐ気付いた。
同時に心臓が止まりそうになった。
嘘でしょう……何でこの人が……。
震えが止まらない。がくがくと全身を震わせながら、悲鳴を飲みこむ。
私を押さえつけている人物。
それは『黒騎士』レオン・ディーダだった。
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