8.推しが尊くて、しんどい


 その日から、アイルの鍛錬にはお茶の時間が設けられるようになった。

 午前と午後に1回ずつ。

 それも私が必ずお茶の席に同伴することになった。アイル曰く、自分が甘い物好きだということは他にはばれたくないので、事情を知っている者が付き添うべきということらしいけど。


(私、ただのメイドなのに……一緒にお茶なんて飲んでいいのかな)


 ゲームのルイーゼとアイルはそんな関係ではなかったと思うけど。ゲーム内のルイーゼはアイルに同情しているだけで、それ以上の好意を持っていなかった。アイルはアイルで、他の使用人と比べればルイーゼに対して心を許していた様子ではあるけれど、あくまで主人と従者としての関係に留まっていたはずだ。


 戸惑いながらアイルの対面に座る。

 今日のお菓子はクロテッドクリームをたっぷりと添えたスコーンだ。アイルが甘い物好きと知ってから、私はお茶の時間に合わせてお菓子を用意するようになった。


 お菓子作りには前世の記憶が大いに役に立った。ルイーゼは貧しい農村の生まれだから、菓子なんて高級品はあまり口にしたことがない。侍女の仕事に関しては様々な知識を持っていても、お菓子作りに関しては素人だ。


 まさかここにきてあの時の経験が役立つとは思わなかった!


(お菓子作りは少しだけ自信があるんだよね……なぜなら、前世の時には『差し入れ』用にいろいろと作ったから!)


 前世の友達のゆんちゃんは絵が上手で、漫画も描いていた。同人イベントでは毎回、本を出していて、人気もあった。いわゆる『壁サー』だった。私もお手伝いとして一緒にイベントに参加したものだ。

 そうすると、だんだん周りのサークルの人の顔も覚えるようになってくる。私とゆんちゃんは挨拶用にお菓子を作って、それを配るようになった。


(痛チョコや、痛クッキーもいっぱい作ったなあ……懐かしい)


 キャラクターの顔を菓子に描いて作るやつだ。当然、「フェアリーシーカー」のキャラでも作った。私はアイルの顔で、ゆんちゃんはレオンの顔で。


(さすがにアイル本人に、アイルチョコや、アイルクッキーは出せないけど……!)


 その時の菓子作りの経験がここで活かせるとは思ってなかった。

 といっても、女子高生が作れる菓子なんてたかが知れている。私が作れるのはせいぜい、スコーンとか、クッキーとか。簡単なものくらいだ。

 こんな簡素なもので王族のアイルに喜んでもらえるか、始めは不安だった。


 しかし、意外にも……。


「これは何だ?」


 スコーンを前に、アイルは首をかしげている。一緒に猫耳がぴょこんと揺れて、それがとてつもなく愛らしい。


「スコーンです。クリームを付けて召し上がってください」

「そうか……いただくよ」


 はむ、と端っこを一口かじる。

 すると、猫耳がぴんと立ち上がった。


「ん……っ」


 アイルの碧眼が目に見えて輝き出す。

 その表情に私は至福を覚えていた。


(かっわいいいいいい……!!)


 何の変哲もないスコーンなのに、こんなに喜んでくれるなんて。


 この西の塔では、アイルにお菓子を作ってくれる人が誰もいなかったらしい。

 食事はシェフが担当して、それなりのものを毎回出してくれるようだが、嗜好品の類は皆無だ。アイルも甘いものが好きなことを隠していたくらいだから、周りにねだらなかったらしい。

 生まれた頃からこの塔に幽閉されているアイルは、塔の中で見たものしか知らない。


 だから、お菓子を見るのはこれが初めてなのだという。


 初めてクッキーを出した時、「これは何だ?」と聞かれて、私はびっくりした。素朴なクッキーで、王都でも普通に売られているようなものだ。


 恐る恐る一口かじって、アイルの耳としっぽがぴょんと跳ねた。目をキラキラとさせながら、こんなに美味しいものがこの世に存在したのか! とでも言わんばかりに、じっとクッキーを見つめていた。


 その姿を見て、私は泣きそうになってしまった。


 推しが尊すぎる!

 そして、好きな物すら満足に食べられないでいたアイルの境遇が不憫で、胸が痛くなる。


 もっとたくさん美味しいものを食べてほしい。お腹いっぱい食べてほしい! たくさんたくさん、幸せになってほしい!!


 その日からアイルにお菓子を差し入れるのが私の毎日の楽しみになった。


 アイルはスコーンを気に入ったらしく、いつもは無愛想な表情がすっかり緩んでいる。

 ああ、アイルがお菓子を頬張る姿を永遠に眺めていたい……。

 そんなことを考えながら、私もカップに口をつける。


 私たちがお茶をしている間、レオンはいつも一歩離れたところで直立不動の姿勢をとっている。レオンはかなり真面目な性格をしているらしく、こうして私たちが休憩している時も一分の隙も見せずに護衛の仕事を行っていた。


 レオンについての情報収集は難航していた。

 新しくわかったことといえば、レオンをアイルの護衛として遣わしたのはエドガー王ということ。こないだのフランツ王子とのやりとりから、レオンが忠誠を誓っているのはエドガー王らしいということ。


(ということは、レオンにアイル殺害を指示するのもエドガー王……?)


 それならばつじつまは合う。レオンがアイルを殺す時、悲しそうな表情を浮かべていたのも、「守ってやれなくてすまない」と言っていたことも。

 自分の意志ではなく、誰かの命令でやらされていたのなら納得だ。


(問題はエドガー王の狙いは何かってこと。フランツのことといい、王室は王室でいろいろと確執がありそうなんだよね)


 王室についても調べてみたいけど、迂闊に手を出すのは危険だ。たかがメイドが下手に探りをいれたら怪しまれる。最悪、他国のスパイかと疑われて消されてしまう可能性だってある。


(慎重にやらないと……)


 本当はこのお茶の時間にアイルからも何か聞き出せればいいんだけど。レオンがずっとそばにいるので、切りこんだ話ができないでいた。


 そんな風に頭を悩ませていたある日のこと。

 私に突然、チャンスが訪れた。


 いつものようにアイルと四阿あずまやでお茶を飲んでいた時のことだ。

 メイドの1人がやって来て、レオンに耳打ちする。

 すると、レオンは難しい表情を浮かべ、アイルに歩み寄った。


「アイル様。ご休憩中に失礼いたします。国王陛下が私のことをお呼びとのことで、少しの間、この場を離れてもよろしいでしょうか」

「ああ。構わない」

「すぐに戻ります」


 レオンはアイルに敬礼をして、足早に立ち去った。


 レオンがいなくなった!

 これはチャンスだ。

 私は思い切って、アイルに話しかけてみることにした。

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